水盤の水を入れ替え、椅子に座って心を落ち着ける。

次の客が入ってきた。

若い身なりのいい女性だった。もっとも、最奥の占い部屋は値段も高い。訪れる客はそれなりに金を持った貴族がほとんどだ。

さっきの男もおそらくそれなりの身分ある人物だろう。サルマンホテルはサラや下町に住む者が近付くこともできないような高級ホテルだ。

サラは頭を振って男のことを頭から追い出した。

「ようこそ。サランディールの占いへ」

決まりの文句で客を誘う。女客は物珍しそうに室内を見渡し、サラの前に腰掛けた。

「何を占いましょう」

女客の注文は大概恋愛にまつわるものだ。今度の客も御多分に漏れず、

「領主様と結婚したいの」

開口一番にそう言った。

身に付けた宝飾品やドレスはいかにも高級そうなもので、身分不相応でもなさそうだ。

領主様は最近その地位を引き継いだばかりでまだ若いと聞く。領主の妻の座を狙う女性は後を絶たないことだろう。

今後この手の相談が増えるかもしれない、サラはそう思いながら指先にナイフを当てた。

「痛くないの?」

女客は落ち着かな気に唇を舐め、サラの指先を見ている。目を背けたいのに背けられない、そんな感じだ。

「ご心配なく。慣れておりますから」

穏やかな声を繕ってそう答える。実のところいつまでたっても痛いのには慣れない。

水盤に赤が滲んでいく。

男の背中が見える。その横に立つ女性の顔を確かめようと目をこらす。

女客も神妙に水盤を覗き込んでいる。

男は領主だろう。サラはその顔を知らない。水盤の中でも男はこちらに背を向けている。その隣の女に「こっちを見て」と心の中で語りかける。

女がゆっくりと振り返る。

その顔には見覚えがあった。サラは一瞬息を詰め、有り得ない占いの結果に水盤の水を無意識に掻き混ぜていた。

占いは失敗だ。

幸い女客の時には座長は来ない。鞭で打たれる心配はなかった。

「ねぇ、どうだった?」

客に急かされ、サラは曖昧に頷いた。

「まだ領主様はご結婚されるおつもりは無いようです。これからの努力しだいかと」

「そうなのね。領主様にはまだ心に決めた人はいないと言うことね。分かったわ、ありがとう」

サラは女客の答えにほっと胸を撫で下ろした。もっと先を占えと言われても今のサラの状態ではとてもまともな占いなどできそうにない。

今日は朝から調子が悪い。あの男のせいだろうか。今までに見たどんな男より端正な顔立ちだった。艶のある黒髪、目は笑いを含んで甘やかなのに怜悧でもあった。

スラリとした長身に程よく鍛えられた体からは、珍しい東洋の香が薫っていた。

サラはつい男のことを考えてしまっていたことに気付いて、慌てて客を見送るために立ち上がった。

「あなた名前は?」

「サラと申します」

「わたしはハイディよ。また来るわ」

ハイディは可愛らしく手を振って出ていった。まともに占いができなかったことを悔いる程にいい客にだった。

仕方ない。さっきの客にサルマンホテルへ来いと言われている。今日は占い部屋を閉めた方が良さそうだ。サラはベールを脱ぐと髪を手早く三つ編みにして水盤を持ち上げた。

そこには領主の隣でこちらを振り返るサラの顔があった。