その日の午後、占い部屋に早速一人目の客が訪れた。

「奇術の館に行ったら、領主様のお屋敷に出張所ができたっていうんで驚いたわ」

「急にそういうことになったんです。事前にお知らせできなくてごめんなさい」

「いいのよ。近くなったし、こうやって堂々と領主様のお屋敷に入れるようになったんだもの。願ったり叶ったりだわ」

ハイディは嬉しそうに笑った。

「あ、お預かりしていた小箱のことなんですけど」

サラはヴィルヘルムのことは伏せ、良くない呪いがかかっていたと伝えた。

「それで、その箱を買い取りたいとおっしゃる方がいるんです」

これは昨日グレンと話して決めた事だった。このままハイディに箱を返すのは危険だから、グレンが相応の値段で買い取ると申し出てくれたのだ。

「買い取るなんて、私ももらった物なんだから別にいいわ。持っていても気味が悪いしね」

「そう言えば、アシュリー捜査官とお知り合いなんですね」

ハイディはサラの顔を見るとふっと表情を曇らせた。

「サラとは友達になりたいと思ってる。だから正直に話すわね。私があなたの所に行った理由」

ハイディはサラがサルマンホテルの窃盗事件の犯人逮捕に関係したと聞いて占い部屋を尋ねたのだという。

「私ね、彼と付き合っていたの」

「彼って、アシュリー捜査官ですか!?」

「違う違う。アシュリーは幼馴染。付き合っていたのはアシュリーが逮捕した犯人の方よ」

ハイディはそう言って笑った。サラは驚きに目を見開き、なんとも言えない気分になった。ハイディに恨まれていたのだろうかとも思ったが、そんな風には見えない。

ハイディは少し俯いて、落ちてきた髪を耳にかけ直して話し始めた。

「彼が盗みを働いたのは私のためだったの。ホテルのベルボーイじゃ私に釣り合わないって。だからって何故人の物を盗ったりしたのか、私には理解できなかった。彼が逮捕されたって聞いて、正直彼を恨んだわ。恥ずかしかったの。それまで何があっても結婚しようって誓いあってたのに、一気に冷めちゃった」

ハイディはそう言ってサラを見ると肩を竦めた。

「愛し合って結婚するのが夢だったの。でも彼を犯罪に走らせたのは私なのよね。だから身分違いの恋はもうしないわ」

「それで領主様と?」

「そうね。少なくとも領主様なら私のために盗みを働いたりしないでしょ? うちは銀行だし、お父様にはもうこれ以上心配かけられないしね」

ハイディの横顔が寂しそうでサラまで胸が苦しくなりそうだった。気持ちが冷めたと言ったけれど、そんなに簡単に割り切れるものだろうか。

サラは立ち上がってハイディを抱きしめた。

ハイディは身分違いの恋と言ったが、貴族でもないサラにこうして話をしてくれるように、身分差を気にかけるような人柄ではない。

けれど父親のことを考え、罪を犯してしまった彼との恋をすっぱりと諦める覚悟をしたのだろう。それでもやり切れない気持ちを抱えてサラのもとを訪ねてきたのだ。

サラはハイディに言うべきかどうか迷った。ベルボーイの窃盗事件にはまだ明らかになっていないことがある。

アレンにリリアのオルゴールを奪うように唆した人物がいるように、あの窃盗事件にもベルボーイを唆した黒幕がいる。

しかし、今更そのことをハイディに伝えたところで余計に苦しませてしまうだけかもしれない。

それにハイディを危険なことに巻き込んでしまいかねない。

ハイディはサラの手を握ると、意志の強そうな榛色の瞳を明るく輝かせて言った。

「ねぇサラ、領主様にはもうお会いした?」

「え、いえ。お忙しい方ですから」

「そう。でも何故領主様はこの屋敷に占い部屋を作ったのかしら」

ハイディに見つめられ、サラはグレンのことを話すかどうか一瞬迷ったあと、ここに来ることになった経緯を話して聞かせた。

「グレンとアシュリー捜査官は領主様の幼馴染だそうですよ。あ、ハイディはアシュリー捜査官と幼馴染だって言いましたよね? 領主様とも幼馴染ではないのですか?」

サラがそう尋ねると、ハイディは物憂げに頬杖をついて庭を眺めた。

「アシュリーの家は代々警察一家なの。うちは銀行だし、警備とか色々相談することもあって、父たちが仲が良いのよ。それで子どもの頃よくうちに来てたの。でも領主様は違うわ。会ったのはこの間が初めてよ」

「領主様はどんなお方なんでしょうか。グレンはあまり良いようには言ってなかったけれど、使用人の方たちは皆領主様を尊敬しているようだし、ハイディが結婚したいと思うくらい素敵な方なんですよね?」

「え、ええ。そうだ。もう一度占ってみてくれない?」

ハイディはすっと背筋を伸ばすと、膝の上で両手を組み合わせた。

初めてハイディがサラの占い部屋に訪れた時、ハイディは領主との結婚についてサラに占いを頼んだ。

サラの水盤には領主らしき男性の後ろ姿が映し出され、その隣に見えたのはサラ自身だった。

貴族でもない自分が領主の相手になるはずもなく、その日の占いは失敗に終わった。

あの日は調子が悪かったのだと思い直し、サラはルーン文字の書かれた小石を袋から取り出した。

ハイディにいくつか選んでもらっている間に、サラは意識を集中させる。

一番に浮かんだのはベルボーイの青年だった。そしてアシュリーの顔も浮かぶ。それからグレンの顔が見えたところでサラはドキリとして集中を乱した。

再び息を吸ってゆっくりと吐き出す。

石に描かれたルーン文字がふわりと浮かび上がり、サラの目の前でゆらりと揺れて景色を映し出す。

三人の男性たちが浮かんでは消え、最後に残ったのはアシュリーだった。

「ハイディの結婚相手は、長く付き合いのある方で、ハイディを守ってくれる人。占いにはそう出ています」

サラがそう伝えると、ハイディは目を丸くしてテーブルの上の石を見た。

「長い付き合いのある人? なら領主様ではないってことなの?」

「あくまで占いですから」

「そうね。……分かったわ。ありがとう」

ハイディが帰って行ったあと、サラはテーブルの上の石を片付けながらそこに再びグレンの顔が浮かぶのを見て手を止めた。

何故胸が痛むのか。強く瞼を閉じて残像を振り払う。

サラの占いで見えたのは、ハイディの心の中にいる男たちだ。それは即ちハイディがグレンのことを気にかけている証でもある。

そのことがサラの気持ちをざわつかせている。

自分には望むことすらできない人なのだ。そう分かっていても揺れるのを止めることができない。

ドアをノックする音に振り返ると、そこに今まさに思い浮かべていた人物が立っていた。

サラの胸をしめつける甘やかな笑みを浮かべて。