小さな鍵は小箱の鍵穴にぴたりとはまった。ゆっくりと回転させると、カチリと鍵が開く手応えがあった。

グレンがそっと蓋を持ち上げたが何も起こらない。サラが中を覗き込むと、中は真っ黒だった。明るい陽射しの中でいたせいか目がおかしくなっているのかと、何度か瞬きを繰り返した。

「なんだ、何もないじゃないか」

サラの肩越しに箱を覗き込んだアシュリーがそう言って箱に手をのばすと、中から黒い塊が箱の縁を這うように外に出てきた。

「うわっ、なんだ!?」

まるで煤の塊のようなそれは、左右にコロコロと転がると、次第に大きくなっていく。

サラたちはじっとその様子を見守った。

やがて左右に羽を広げた鳥のような形になると、空に飛び上がり空中で円を描くように飛び回った。

「お前たち二人を結び合わせればいいのか?」

鳥がサラとグレンに向かってそう問いかけた。

サラはハイディの話を思い出しハッとなった。「この箱を持つ者と鍵を持つ者。二人は結ばれる」ハイディに箱を渡した女性はそう言っていたという。

「違うの!」

サラは咄嗟にそう叫んだ。

「違う? じゃあ誰と誰を結び合わせればいいんだ? 俺様は早く自由になりたいんだ。さっさと教えてくれよ」

「お前はいったい何者だ? 何故鳥が喋る?」

グレンが聞けば、鳥は小箱の上にちょこんと停まって羽を畳んだ。

「俺様はヴィルヘルム。この箱は「封じの箱」魔女が俺様をこの箱に閉じ込めた。俺様が自由になるには箱を持つ者と鍵を持つ者を結ばなきゃならない。分かったら早く言え」

「言わなかったらどうなるの?」

「二人を結ぶまでそばを離れられない」

サラとグレンは顔を見合わせた。

「何故閉じ込められたの?」

サラは慎重に黒い鳥の様子を見ながら話しを続ける。

「それはこっちが聞きたいね!」

鳥はツンツンとくちばしで羽繕いをし、小箱の上に座り直した。

いつの間にか鳥の足は人間のような形に変わっていた。折り目のついた黒いズボンと革靴を履き足を組んでいる。

一度大きく羽を広げ、黒い羽を舞い散らせたかと思えば、その姿は人間そのものになっていた。ただし大きさは小箱に入る大きさのままだ。

開けてはいけない物を開けてしまったのではないか。サラの胸に不安が押し寄せる。

「あなたを閉じ込めたのは誰?」

質問を重ねると、箱から出てきたヴィルヘルムと名乗る小さな男は口の端を歪めて笑った。

「魔女だよ」

こちらを揶揄うように先程の言葉を繰り返している。答えになっていないことを分かっていてあえて隠しているようだ。

「その箱をハイディに渡した人?」

「閉じ込められてたんだから俺様が知るわけないだろ?」

「いつ閉じ込められたの?」

「うるさいなぁ。さっさと誰と誰を結ぶか言ってくれよ」

「二人を結んだらどうなるの?」

「死ぬまでずっと一緒にいられるのさ」

「死ぬまで?」

「そう、死ぬまでだ」

ヴィルヘルムはくつくつと嗤うとサラを指さした。

「お前と」

次にグレン、アシュリー、エドニーの三人を順に指さしていく。まるでサラの相手を選ぼうとしているようだ。

「駄目よ。あなたが結ぶ人はここにいない」

「お前が箱を開けた」

「そうね」

「なら、お前が望む相手を言えばいい。俺様にとっては誰だろうと関係ない」

それまで嘲笑うような笑顔を見せていたヴィルヘルムは、その顔から笑みを消し、鋭い眼でサラを睨みつけた。

「私はそんな呪いを受ける気はないわ」

サラは真っ直ぐにその眼を見返しキッパリとはねつけた。

そう、これは呪いだ。どちらかが死ねばもう一方も死に至る。ハイディが望むような幸せな恋を叶えるものではない。

「呪いだって?」

「そうよ」

「なら何故箱を開けた?」

「あなたが助けを求めたでしょ?」

サラは占いの中で、必死に助けを求める声を聞いた。誰かが知らずに開けてしまわなくて良かった。そう思う一方で、サラが鍵を見つけようとしなければこの箱が開かれることはなかったのだという後悔もあった。

領主は箱の中身を知っていて鍵を土の下に埋めたのだろうか。

サラの中にはいくつもの疑問が生まれる。この世に魔女はもう存在しない。もし、魔女と呼ばれる人間がいるなら、それはサラの母、ローラしかいない。ヴィルヘルムを箱に閉じ込めたのがローラなら、この箱はサラが開くべき箱だったのだ。

「だったら早く相手を言え! 俺様を自由にしろ!」

ヴィルヘルムは怒りで顔を赤く染め、拳を震わせて叫ぶ。

「あなたを閉じ込めた魔女の名前を教えて」

サラは手の中にある鍵を握りしめ、小さな悪魔を問い詰めた。


「忘れた」

しばらく睨み合っていたサラとヴィルヘルムだったが、先に目を逸らしたのはヴィルヘルムの方だった。

忘れたというよりは答えたくないといった感じだった。

それまで二人の会話を聞いていたアシュリーが、身を屈めるようにしてヴィルヘルムを覗き込む。

「嘘は良くないぞ。正直に答えろ」

「本当に忘れたんだよ! お、思い出したら答えてやるよ」

叫ぶようにそういうと、ヴィルヘルムは立っていた小箱から飛び降りた。

次の瞬間、小さな体は小箱に吸い込まれるように消えていた。

「これ、どうするんだ?」

アシュリーが小箱を持ち上げ不思議そうに眺めて言った。

「しばらく様子を見てみます。すみません、お騒がせしました」

サラはアシュリーから小箱を受け取ると、微かに聞こえてきた時計塔の鐘の音に慌てて三人に暇を告げた。

占い部屋の仕事に戻る時間だった。

立ち去ろうとするサラの手をグレンが掴んで引き止めた。

「どこに行くんだ?」

「奇術の館に戻ります。午後は占いの仕事があるんです」

「ここに住み込みじゃないのか?」

グレンは何故か怒ったような表情でサラを見つめていた。

「通いでも構わないそうなので」

「ふたつも仕事を掛け持ちするなんて働き過ぎだ。それにそんな危険な物を持ってひとりで遠くまで帰すなんてできない」

グレンは怒っているのではなくサラを心配しているのだと分かったものの、サラにはそうする他ない。

「エドニー、部屋を用意しろ」

「グレン様、お泊まりですか」

分かっていながら敢えて意地悪く尋ねるエドニーをグレンが睨みつける。

「サラは俺が送っていく」

追い討ちをかけるようにアシュリーがそう言ってサラの肩を引き寄せた。

グレンはアシュリーの手をサラの肩から引き剥がし、両手でサラの肩を掴んだ。

「働き過ぎは良くない。占いの仕事はやめてここで住み込みで働いたらどうだ? 奇術の館とここは遠すぎる。それにその奇妙な箱を君ひとりに任せるわけにはいかない。その鍵がここにあったということは、俺たちにも責任がある」

「責任だなんて。箱をここに持ち込んだのは私です。これ以上ご迷惑になるようなことはできません。それに奇術の館とはまだ契約期間が残っているので、辞めたくても辞められないんです」

「分かった。契約のことはこちらで何とかしよう。だけどその箱については一緒にどうするか考えよう。いいね?」

有無を言わさぬ口調でそう言うと、グレンはエドニーに目配せを送った。

おかしな箱を持ち込んで鍵探しにつき合わせ、挙句に箱からは奇妙な生き物が出てきたというのに、なぜグレンはサラを責めるでもなく助けようとするのか。

サラは困惑気味にグレンを見上げた。

「気味が悪くありませんか?」

他にどう問いかけていいか分からなかった。

奇妙な生き物を見て逃げ出すでもなく、サラはヴィルヘルムの呪いを跳ね除け、彼を封印した魔女の名を聞いた。

傍から見ればおかしなことこの上ないだろう。

すぐさま館から追い出されても文句は言えない。

「この箱のこと?」

グレンはサラの手から箱を取り上げ、光にかざすように持ち上げた。

古い時代に作られたと思われる精巧な飾り細工の施された小箱は、散りばめられた宝石が虹色の光を反射して輝いた。

「箱も、私も……」

グレンは浅く笑うと、館の方を振り返った。

「この館には魔女がいたって、知ってる?」

冗談めかしてサラの耳にそんなことを囁く。

どこまで本気にしていいのか分からず、サラは懸命に冷静さを保とうとしながらグレンの次の言葉を待った。

「奇妙なことには慣れてるんだ。言っただろ、ここの領主一族は吸血鬼の末裔だって」

「でもそれは噂だって……」

「ここには吸血鬼や魔女について書かれた書物もたくさんある。この箱についても何か分かるかもしれない」

サラにとってそれは魅力的な誘いだった。母の行方についても何か分かるかもしれない。

何より、サラのことを気味悪がらないグレンにほっとしたのと同時に、ますますグレンのそばにいたいと思わずにはいられなかった。

「一度戻って荷物をまとめておいで。それまで箱は預かっておくよ」





サラが領主の館に戻ってくると、何故かメイド用の部屋ではなく立派なゲストルームが用意されていた。

しかも「サランディールの占い部屋」と書かれたプレートがかけられている。

「どういうことですか?」

「契約期間が残っていると言ったでしょう。ですので、ここはあくまで奇術の館の出張所の扱いとなっています。売れっ子占い師の顧客は貴族の方が多いと聞き、貴族街に近い場所にあった方が便利だとグレンが領主様に進言されたそうです」

よどみなく説明するエドニーの表情には、どこか疲れたような辟易した感じがあるのは気のせいだろうか。

サラは部屋の中へ案内され、その大きな窓の向こうに広がる美しい庭園に目を奪われた。

「こんなに立派なお部屋を? 領主様にお礼を申し上げたいのですが」

「あー、領主様はお忙しいので何かあれば手紙を書いて欲しいとの事です」

「そうですか」

エドニーは何か言いたそうに口を開いたが、結局何も言わずに部屋を出ていった。

翌日の朝、サラは洗濯室へいつも通りに顔を出すと、何事もなかったかのように仕事に励んだ。

「これ、領主様の洗濯物だから、丁寧にお願いね」

そう言って渡された洗濯物の籠の中からグレンの香水の匂いがして、サラは思わずその中の一枚、白い紳士用のシャツを広げていた。

「同じ香水?」

領主とグレンは幼馴染で、グレンはこの館によく来るという。広すぎる程に広い館の中で、使用人と客がばったり会うことなどそうそうないだろう。

サラはグレンの言葉に期待し過ぎないようにと、頭の中に浮かんだ姿を追いやった。