そんな願いが届いたのかどうか、エドニーの体がぐらりと揺れたのをバルクロは見逃さなかった。

バルクロはエドニーに体当たりすると、その手から零れ落ちた箱を足で蹴ってローラの方へ滑らせた。

しかしヴィルヘルムがそれを邪魔する。

箱は途中で進む方向を変え、壁に当たって転がった。

そちらへ伸ばしたバルクロの手を黒い大きな足が踏みつけた。体をぶるりと震わせてバルクロを睨みつけてきたのは、立派な体格の黒狼だった。

唸り声とともに口からのぞいた牙は、バルクロを震え上がらせるのに十分だった。

まともに相手をして適う相手ではない。

バルクロが人間に奴隷として扱われていた頃、数多くの魔物たちを口先三寸で集め向こうの世界へ送った。

そうすることが彼らを守ることになると思っていた。

けれど今なら分かる。彼らにも離れたくない家族がこの世界にいたのだ。

なら、こちらの世界へ戻してやるのがバルクロにできるせめてのもの償いなのではないだろうか。そんな思いが一瞬過ぎる。

「戻りたいのか……?」

バルクロは黒狼に問いかけていた。

「…………」

言葉が通じないのか、答えはなかった。

「あっちの世界に長くいるとね、人間の言葉もこちらで暮らした記憶も忘れてしまうのよ」

エレインの声がした。瞬間、バルクロの胸に取り返しのつかないことをしたという後悔の念が押し寄せた。

「でもこっちでしばらく暮らせばまた思い出すわ」

そんなエレインの言葉にバルクロは左右に首を振った。

「その前に愛する人を傷付けるかもしれない」

直接的にであれ、間接的にであれ、魔物が近くにいれば人間は傷付く。人間が傷付けば魔物もまた傷付くのだ。まして記憶がないなら尚更だ。

ローラやサラのように限りなく人間に近い存在でさえ、ほんの少しの違いを人間は恐れ気味悪がる。

――やはり、共存などできやしない。