それから、僕は水島くんに事情を話した。
 といっても、何もかも打ち明けたわけではない。
 不本意ながら卓球部に入部したことと、練習が嫌になり河川敷で絵を描いていたこと、そしてそれがバレてしまったことを中心に説明した。
 河川敷で出会った女の子の存在は伏せて。

「そういうことだったんだ」
 水島くんは、何かが腑に落ちたという様子で何度も頷きながら僕の話を聞いていた。
「どうりで変だと思っていたよ。全然部活に行っている様子がないからさ。放課後ときどき卓球部の集団を見かけても、篠崎くんの姿は見当たらないし」
「ごめんね。今までちゃんと説明してなくて」
「まあ、誰だって秘密のひとつや二つくらいあるものだろう」
 人生何周目かと思わされるような寛大さを見せる水島くん。

「ちなみに、その河川敷で描いていた絵は、今も持っているのかな?」
 僕は頷いてカバンからスケッチブックを取り出し、水島くんに手渡した。
 受け取った水島くんは、感心した表情で僕の絵を見ながら、パラパラとページをめくった。
「見事な絵だね。同じ風景が何枚も描かれているのに、一枚一枚からその日ごとの空気感が伝わってくるよ」

 しばらくして、ページをめくる水島くんの手が止まった。
「ふむふむ、なるほどね」
 妙に楽しそうな声が気になって、僕は水島くんが開いているページを確認した。
 夜空を見上げて歌う少女の横顔。
 僕らの心が通じていた最後の夜に描いた絵だ。
「それであのとき、彼女の名前が出てきたのか」
「ごめん、そこまでにして」
 僕は、水島くんの手から強奪するようにスケッチブックを取った。
「残念だな。もう少し見たかったものだ」
 水島くんがニヤニヤと笑っている。その豊潤な語彙力で僕の頭の中を分析されているような気がして、いたたまれなくなった。

「続きはまた見せてもらうとして」
 水島くんが咳払いをして、真顔に戻ってから言った。
「それで、篠崎くんはどうしたいのかな」
「えっと」
 僕が、どうしたいか。
「このまま卓球部の練習を続けるのか。ずる休みの日々に戻るのか。あるいは、それ以外に何かしらの道を選ぶか」
 すぐには、答えが出てこなかった。
 言われるがままに部活に参加したり、夕方になってどうしても行きたくなくなって練習を休んだり。
 今までその場限りの行動を取っていた僕は、自分がどうしたいのかをきちんと考えたことがなかった。
「篠崎くんが選ぶことだよ」
 何も言えずに、うつむく僕。

「以前、篠崎くんの事情を僕がまだ知らなかった頃にも言ったことだけど、『絵を描きたい』という衝動を持っていることは、それ自体がひとつの才能なんじゃないかって思うんだ」
 水島くんが、机の上に置かれた本の表紙を撫でながら続ける。難しそうな西洋美術史の本。
「僕にはそんな素敵な才能を持っている篠崎くんが眩しく見えるし、その衝動を大切にしてほしいと思う」
 よく手入れされたレンズの中で、僕のシルエットがぴくりと動いた。
 
 成績優秀で、テニス部と生徒会を掛け持ちし、教養があり、将来有望。
 僕がどう頑張っても追いつけないはずの存在。
 その水島くんが、僕のことを「眩しく見える」と言った。

「もっとも、これは僕の個人的な希望でしかないから。篠崎くんが納得いくようにすればいいと思う」
 知識で武装されていない、水島くんの真心がそこにあった。  

「そのために僕にできることがあれば、なんでも言ってほしい」