「絵が描ける人って、すごいなー」
 作品を見つめて嘆息する水島くん。
 その言葉には、少し僕の中で引っかかるところがあった。
「水島くんは、自分で絵を描きたいとか思わないの?」
「いや、思ったことはないな」

 あまりにもあっさりと否定の言葉がでてきて、僕は面食らう。
 美術が好きなら、自分も描きたくなるんじゃないかと思っていた。

「なんというか、優れた芸術作品を見た時に『美しいな』『素敵だな』という気持ちは湧くんだけどね。僕の場合、その感動が『描きたい』という衝動には接続しないんだ」
「そうなんだ」

 春夏秋冬は地球上の全ての地域にあるわけではない。
 何かの本でそんな知識を得た時と同じような驚きが、僕を貫いた。

 「描きたい」という衝動には接続しない。
 そういう人も、いるのか。

 自分が物心ついて初めて絵を描いた時のことを思い出す。
 四歳の頃に出会った絵本、『ウサギのぴょんくん、たびにでる!』。
 好奇心旺盛なウサギがぴょんぴょん跳ねて、いろんなところを冒険する物語。
 愛らしくて元気なぴょんくんを見るといつでも、熱い気持ちが体中に湧いてきた。

 その熱い気持ちが、自分でも気づかないうちに、「僕もこんな絵が描きたい」という想い——水島くんの言葉を借りれば「衝動」——に変わっていた……気がする。
 僕自身のそういう経験から、絵を見て感動した人は、自分も何か描いてみたくなるもんだと思っていた。
 それが当たり前だと、無意識のうちに思っていた。

「だから、僕は思うんだよね」
 水島くんが使った「だから」という接続詞を聞いて、自分が考え事をしていたのはほんの数秒間だと気づいた。

「『絵を描きたい』という衝動を持っていることは、それ自体がひとつの才能なんじゃないかって」

 ガイドがそう締めくくった後も、なお僕の目は正面の水彩画から離れようとしなかった。

 木漏れ日の下、男の子がぎこちない手つきで持つ白いお箸が、彼自身の口とは反対方向に伸びている。
 眩しいほどに黄色い卵焼きを、女の子の満開した口が迎え入れていた。
 
 見つめ合う二人の幸せそうな笑顔が、僕の目を掴んで離さない。
 胸の奥、ほこりかぶった引き出しの中で、何かが小刻みな音を立てた。