「明日は絶対来いよ、わかったな?」
 片桐(かたぎり)先生の重たい声。
 キュッと腕を組む仕草は、遠隔で僕を羽交い締めにしているかのよう。
篠崎(しのざき)も、日々練習を積み重ねれば団体戦に出られるはずだ。なるべく休まないように」
 自分のラケットだけ気体でできているんじゃないか、そう疑うくらいボールがラケットに当たらない僕にとって、先生の励ましには全く現実味がない。
「はい、すみません……」
 僕は一礼すると、そのまま先生と目を合わせないようにして、職員室を後にした。

 部活をサボる言い訳のレパートリーがそろそろ苦しい。体調不良、親戚の法事、課題……。
 卓球部の練習に行かなくなってから一週間と少し。さすがに怪しまれている様子だし、そろそろ行った方がいいのかな。
 はあ。

 正門に近づいた僕に、強い向かい風が襲いかかった。
 十一月のひんやりとした風。「今ならまだ引き返せるぞ。練習に参加しろ」と警告しているみたいだ。
 肌寒い説教を無視して、僕は校舎から足を踏み出した。

 正門前の信号が青になり、信号待ちをしていた人たちが、一度に歩き出す。
 部活を引退した三年生や帰宅部が三々五々と談笑しながら歩く中、僕はひとりスタスタと足を動かした。
 横断歩道を渡り切り、左に曲がる。

「お腹すいたー ちょっと寄ってかない?」
「賛成! ハンバーガー食べたい!」
 前を歩く女子二人組の陽気なやりとり。うちひとりは、たしか僕と同じクラス。名前は……なんだっけ……ワタナベさんだったか、ワタベさんだったか、忘れちゃった。

 中学校に入学してもう半年ほど経つわけだけど、未だにクラスメートの顔と名前が怪しい。
 でも、それはお互い様だ。
 あのワタナベさんだか、ワタベさんだかにも、以前「シガラミくん!」と呼ばれたことがある。僕の苗字の読みは「シノザキ」だ。「シ」しか合ってない。
 たしかに、いろいろとしがらみの多い人生ではあるけどさ。

 女子二人組が右手の方のファーストフード店に吸い込まれていって、道が開けた。
 前の人にペースを合わせる必要がなくなって、僕は足を早める。
 なるべく早く、学校を離れたい。

 学校から五つ目の信号を渡って少し歩くと、右手の方に、石畳の階段。
 四十段くらいあるそれを、ひいひい言いながら登る。体力のない僕には、これだけで一苦労だ。
 残り数段となったところで、目の前の景色が灰色から青色に変わる。

 着いた。
 校門から歩くこと三十分弱。
 見上げれば広がる、澄み渡った空。
 目線を下げれば、群青色の川が流れている。
 ここは、枝杜川(えとがわ)河川敷。
 このあたりの住民の憩いの場であるとともに、関東圏の穴場観光スポットともなっている。

 足元には、さっき登ったのと同じくらいの段数の階段。
 階段を降りきって、柔らかい芝生を歩き、やがて川岸にたどり着いた。
 川岸は、コンクリートでできた五段ほどの階段になっている。
 僕はその一番上で腰を下ろし、スクールバッグを左手の方に置いた。
 ファスナーを開き、中からペンケースとA4サイズのスケッチブックを取り出す。