「おまっ、なんつー·····、傘持ってなかったのか?」

ずぶ濡れの私を見て、お兄ちゃんは驚いた顔をした。そりゃそうだ、ほとんど全身濡れてるんだから。
けど、雨が降っててよかった。こうやって泣いていたのも誤魔化せるのだから。



「·····お風呂入る」

「おお、ちゃんと温めろよ?また風邪ひくぞ」

「··········」


ずぶ濡れになった制服のブラウスを洗濯機の中にいれた。それから靴下も下着も。スカートはクリーニングに出さなきゃ·····。


裸のまま、洗濯機を回す。




シャワーで体を温めながら、私は今更な事を考えていた。


私はあの人のことを、名前だけしか知らなかった。

あとは1つ上の学年とだけ。


どこに住んでいるのかも、いつも私服だったからどこの高校かも分からない。そう思えば、どうして骨折してるのかも知らなくて。


多分、彼は侑李と同じ病院で、診てもらって今もリハビリで通ってるのだろう。二度と会えない相手じゃない·····。探せば何とか会えるかもしれない。


探す?私が?

私にそんな資格ある?


私が和臣を置いてきてしまったのに?
私が、諦めるよう言ったのに?


出来るわけがない。
もう遅い。

ふふふと、乾いた笑いが漏れた。



「··········バカみたい··········」



もし会えたとして、私は何を言うつもりなの?
付き合えないけど、関わりを持ちたいって?


もう·····忘れよう、彼のことは。

和臣を、思い出のひとつにすればいい事なのだから。







「━━━━━おはよう、山崎さん」

いつも通りの学校、教室の近くで私に笑顔で挨拶をしてくれたのは、この前私に告白してきた山本君だった。


「おはよう」

私も笑顔で返事をすると、山本君は爽やかに笑い、すんなりと自分自身の教室へと入っていく。

ふられたというのに、そんな事がなかった様に接する山本君が凄いと思った。




「いい感じじゃーん」

それを見ていた桃が、茶化すように言う。



「もう」

「付き合うぐらいなら·····いいと思うけどなあ、私は」

「··········うん」

「けど、付き合わないんでしょ」

「そうだね」


曖昧に笑うと、桃は困った顔をした。


「山本君のこと、好きにはならない?」

「恋愛感情でってこと?」

「そうよ」

「うん、ないと思う。そういう好きにはなれない」

「そう、なら仕方がないか」

自分の教室に入り、席に着く。目の前に座っている桃は、「いつかさ?」と口を開き。



「密葉のことを、全部分かって、好きになってくれる人が現れるといいね」

「··········全部って?」

「一生、一緒にいたいって思える相手よ」

「··········」

「侑李君のことも含めてね。彼氏とかじゃなくて、いつでも寄り添えるようなさ?密葉を見守ってくれる人」

「·····そんな人いないよ」

「分かんないよ、この世界には何億人もの人がいるんだから」


桃は笑って、大きく手を広げた。


一生、一緒にいたい相手。

私を見守ってくれて、寄り添ってくれる人。



「桃もそんな人が現れたらいいね」

「ほんと、いい男転がってないかしら。拾うのに」


桃の言葉に、くすくすと笑う。


太陽が強く照らす空は、まるで、昨日のことを夢だったのかな·····と思うほどだった。




正直、心のどこかでいるかもしれないって思ってた。少しの期待。毎日来るって言っていた和臣は、いつもの場所にはいなかった。


それもそうだ·····。
私が昨日、終わりにしたんだから。



まるで、本当に夢のような出来事みたいだった。

すぐに、いつもの生活に戻った。とは言っても、ほとんど変わっていなく、毎朝6時に起きる生活。
朝ごはんの準備、洗濯機を回して、軽くリビングの掃除。


お兄ちゃんから「昼飯よろしく〜」との連絡が来ていて、やっぱり前もって言わない·····と、ため息を作りながら簡単にお兄ちゃん用の昼食を作っておく。




いつの間にか梅雨があけて、7月に入った。

あと2週間で夏休みに入る。でもその前に期末テストがあったりする。

別に頭が悪いわけではない私は、いつも平均点。特に得意な教科もなく、ある程度の勉強をするだけ。




まるでぽっかり心の中に穴が開いたような感覚だった。

「お姉ちゃん、今日お兄ちゃんが来たんだよ」

「そうなの?良かったね」

「お兄ちゃん、また髪色変わってたね」


嬉しそうに話す侑李を見れば、私も嬉しくなる。


「それより侑李、体調は大丈夫なの?さっきお昼残してたって言ってたよ?」

「だって酢の物だったんだもん·····あれ嫌い·····」

「ダメだよ、ちゃんと食べなきゃ」

「うーーー·····」


しょげてる侑李も可愛くて。

頭を撫でると、子犬のように笑う侑李が、本当に愛おしい。



「あ、雨だ。お姉ちゃん、雨降ってるよ。傘持ってきてるの?」

侑李が外をみて、私の事を心配してくれる。


「持ってきてるよ」

雨が降ると、どうしても思ってしまう。
彼は大丈夫なのかって·····。




もう、いつもの場所で待っていないのに。
心配する必要はないのに。







テスト期間が始まれば、帰る時間は早くなる。
いったん家に帰って、ご飯を食べて、面会時間までに病院に行こうと考えていた。


桃に「バイバイ」と言い、下足場向かう。

もう梅雨が明けたはずなのに、外はポツポツと雨が降っていた。


最近、雨が降るのが多い気がする。

洗濯物が乾かないから、雨は嫌い·····。



鞄の中を見て、ため息をついた。
いつも入れていたはずの折り畳み傘がなかった。そういえばこの前、折り畳み傘を使って侑李の病院から帰った後、庭に干していたのをぼんやりと思い出した。



それほど雨は強くはなく、家に帰ってシャワーを浴びれば·····。そう思った私は走って校門へと向かう。

私のクラスはテストが終わるのが遅かったのか、それほど人はいなく。

こうやって走ってる人はいなくて。


せめて鞄が濡れないようにと抱きしめながら走り·····。







「傘は?」





心臓が、止まるかと思った。


「傘、忘れたのか?」

どうして·····

どうしているの·····



驚きのせいで声が出ない私に、彼は私を濡れないように、自身の持っている傘を私の方に傾ける。


もう、松葉杖を持っていない彼は、「密葉?」と、顔を傾げて。

やっぱり、どうしても驚いて声が出ない。
だってもう二度と会えない相手だったのに。



「··········足は··········」

ようやく出たと思った声は、ちゃんと聞こえてるか分からないほど小さく。



「治った」


もう、あの別れから1ヶ月はたつ。

治ったのは当然のことで·····。



いや、じゃなくて··········。


「どうして·····ここに·····」

「密葉の学校ぐらい、知ってる」


そういえば、私はいつも制服姿だった。
学校ぐらい知ってるのは当たり前で。



「そうじゃなくて·····」

「うん」

「もう、会わないって·····」

「言ったな」

「じゃあ、どうして·····」


漆黒のような、髪と瞳は変わらない。
雨の中、キラリと光るピアス。



「やっぱ、あんたのこと、忘れられない。どうすればいい?」


そういう和臣の肩は、私を傘の中に入れているせいでどんどん濡れていき。

笑って、そう聞いてくるものだから、言葉が出ない。



「あん時みたいに、泣かせたいわけじゃないんだ」

ポツ·····ポツ·····と、雨がゆっくり降ってくる。
和臣は自分自身に言い聞かせるように、私にだけ聞こえるようなトーンで、口を開く。


「ただ、やっぱり諦めきれない。ずっと密葉のこと考えていた。すげぇ会いたくて·····ふられたっつーのに、マジで女々しいって·····」

「············」

「密葉が·····困るのは分かってる」

「··········」

「けど、俺の気持ちも知っててほしい。この先、ずっと変わらない」



それを言いに、来てくれたの?


ムカつく·····、イライラしてたまらない。
ほら、また·····涙がでる。

こんなにも、和臣に会えて嬉しいって思う自分がいる。


もう、決めたはずなのに。



「どうして私なの·····、そこまで思ってくれるの?」




私は涙を流しながら言った。

ゆっくりと、和臣の手が伸びてくる。


和臣の指先が、流れる涙を拾い。




「言っただろ、一目惚れなんだ」

「··········っ·····」

「あん時、傘·····、助けてくれた密葉が、俺にとってはすげぇ嬉しかった。自分でも、こんなに好きになるとか思わなかった」

「·····そんなの·····」

「好きだ、ずっと·····、密葉の事が好きだ」


涙を拭く指先が、徐々に頬を包んでいく。
雨のせいか、和臣の指先は少し冷たかった。でも、嫌だとか、気持ち悪さも感じなくて。逆に心地いいと思ったほどで。


私も会いたかった。
すごく会いたかった·····。
こんなにも心が喜びで溢れてる。



「これだけ会わないって言ってるのに?」


私はゆっくり顔を上げて、和臣を見上げた。


「こうみえて、結構一途だったりするからな」

「ストーカーじゃなくて?」



私はふふふと笑った。

と、その時、和臣の頬を包む手が止まった。


不思議に思って和臣を見つめていると、硬派の顔つきの男が、柔らかく嬉しそうに笑った。


「あんたが笑ってくれんなら、ストーカーでも何でもいいよ」