「··········かず、おみ·····?」

「バカ、手握りしめすぎ」


私の手を掴んでいる和臣は、そこに視線を落とした。まだ微かに震えている指を見つめ、「割れてんじゃねぇか」と、赤くなった手を優しく掴んだ。


「痛いだろ?手当しよう」


私の手が、赤く。
どうして
いつの間に·····

まさかあたしっ、気がつかないうちに。


「また·····、和臣に怪我させたの·····?」

「させてねぇ、密葉がずっと自分の手を握りしめてたんだ」

「で、でも、血がっ·····」

「そんな爪割れるぐらい握りしめたら、血が出るわバカ」


握りしめてた·····?
自分の手を?
血が出るほど?

今更、ジンジンと血が出る部分が痛みだしてきて。

和臣は、私の掌を見つめながら、深く息をはいた。


「·····ごめんな、来んの遅くなって。そばにいなくてごめんな」


悲しそうな声を出す和臣。
和臣は「手当しような」と、私の目を見つめながら言った。


洗面台へと私を連れて行き、血を洗い流してくれた。救急箱の置き場所を私に聞いた和臣は、さっきのソファの所へ私を戻し、救急箱を持って、私の横に座る。


「·····和臣·····」

「ん?」

血が出る場所に、消毒液が塗られていく。


「·····お兄ちゃんは?」

「ちょっと出てもらってる」


·····じゃあ、今は家にいないの?


「どうして和臣がここに·····」

「大和から連絡貰った」

「お兄ちゃんから?」

「覚えてねぇか?」


分からない·····。
覚えてはいる、「呼ばないで」と叫んでいたことも。

「ん·····、和臣を呼ばないでって言った·····」

「なんでそんな事言ったんだ?」


割れた爪に貼られていく絆創膏。


「怪我·····、させちゃうと思ったから·····」


和臣は小さな息を吐き、手当が終わった手を握りしめた。


「だからってこんな」

「·····」

「·····無意識だったんだな」

「·····え?」

「誰にも怪我させたくねぇから、ずっと握りしめてたんだろ?自分の手を」


和臣が、手のひらにキスをし。


「頑張ったな」


ポタリと·····涙が零れた。
和臣は手のひらから顔を離し、私の顔を覗き込んだ。


「大和から聞いた」

「·····お兄ちゃん·····?」

「ああ、侑李のこと」


転院すること·····。


「大和には言ってたんだよ。前の時、密葉、戸惑ってだろ?そん時の様子を大和だけに言ってた」

前の時?戸惑ってた?
それは和臣の眉の上部分に傷をつけてしまった日のこと。

お兄ちゃんに言っていた?


「密葉が俺に連絡する余裕が無かったら、すぐに俺に連絡しろって大和に言ってあった」


和臣に?



「·····転院が今回のきっかけか?」

今回のきっかけ·····。


「·····分からない·····、転院って言葉を聞いても、すぐにこんな事ならなかった·····」

「うん」


手のひらが、ジンジンと痛む。




「和臣の事を、考えてた。離れたくないって」

「うん」

「それで·····、侑李よりも、和臣を優先したって思って·····」

「うん」

「侑李を、1人にしようとした·····。私だけが幸せになろうとした·····。そしたら、手足が震えて·····」

「そうか、分かった·····」


和臣がソファにこしかけ、「おいで」
と私を抱きしめた。まだ微かに、指先が震えてる。


「俺と離れたくないってなんで?」

私の背中をさすりながら、優しく聞いてくる。


「·····好きだから·····」

「うん」

「もう、会えなくなると思った」

「会えるだろ?別に一生の別れじゃない、俺が会いにいく。俺が引退して、高校卒業したら、そっちに住むってのもありだしな」

「·····そんなの·····」


和臣を巻き込む訳には··········。


「遠いよ·····」

「そうだな」

「会えない間に、和臣が他の人とって思ったら·····」

「密葉」

「でも、そうするべきなのかなって·····。私だけ和臣を振り回す訳にはいかない·····」

「それ、別れたいってことかよ」


和臣の声が低くなった。
別れたい?
和臣と·····。
そんなの、別れたくないに決まってる。

でも、そういう決断も考えないと·····。


「他の女なんか、絶対ねぇ!密葉だけだって言っただろ!」

「わ、分かんないじゃんそんなのっ·····」

珍しく大きな声を出す和臣に驚いて、私も少し大きめの声をあげた。


「私よりも可愛い子なんて沢山いる!どうして和臣が私なのかも未だに分からない!」

「密葉しか考えられねぇんだよっ」

「分かんないっ、それに、この前やりたいって言ってたよね!?」

「何言って·····」

「どうしてしないの!? 他の人としてるのっ!?」

「密葉、いい加減にしろ。それ以上言ったら怒るぞ」

「だって!」



止まらない。止まって欲しいのに。


こんな事、言いたくないのに。
こんな事を言いたいわけじゃない。


和臣から距離を取ろうと和臣の体を押した時、それは塞がれた。和臣に強い力で手首を掴まれ、そのまま無理矢理後ろへと倒された。


一瞬、何が起こってるか分からず。

傷がある手のひらにはふれず、ソファへと沈めた私を、和臣は見下ろしていて。


「やればいいのか?」

そういう和臣は、とても辛そうで。


「密葉は安心すんのかよ?」

「かず·····」

「やれば、密葉は俺の事信じるか?」

「··········」

「どうなんだよっ!」


そのまま和臣は、荒い声をだし。

そのまま覆い被さるように、私の胸元に顔を埋めた。その事に驚き無意識に後ず去ろうとする私を、和臣の強い力で押さえつけられ。


「や··········やだ··········ッ·····」

こんなにも無理矢理なこと、今までしなかった。戸惑う私の胸元に顔を埋めている和臣は·····

··········そのまま動かなくて。


動かないことに気づいたらあたしは、少しずつ後退りをやめた。


「·····いつも我慢してたよ」


小さな声が耳に届く。


「会う度にやりてぇって。·····けど、俺はマジで密葉がいてくれるなら·····それでいいんだよ·····。密葉がそばにいてくれるだけで落ち着くし、安心する」

「和臣·····」

「密葉が不安なら、今からでもやる·····」

「··········」

「·········けど、こんなよく分かんねぇ抱き方はしたくねぇ····」


和臣はそのまま動かない。どんな顔をしているか分からない·····。

でも、こんなにも泣きそうな和臣の声を聞くのは初めてで。


「密葉がいつも不安な事は分かってる。密葉が頑張ってんのも、強がりなクセにすげぇ弱いとこも知ってる」

「·······ん········」

「俺はずっと密葉を守っていきたいし」

「·····和臣·····」

「密葉のためなら何処にでも行く」

「··········うん·····」

「なあ、どうすればいい?どうすれば密葉は俺の事信じてくれる? 俺、何回も言ってるだろ?」


私はいつも不安がっている·····。
その通りだと思った。
いつ侑李がどうなるか分からない·····。
いつ和臣が私に愛想つかして離れるか分からない。


私は自分のことばかり考えていた。

和臣の事を、何も考えていなかった。


和臣も不安だったんだ。
いつ、何が起きるか分からない私のことを·····。


私は和臣の頭に手をまわし、ギュッと抱きしめた。傷口が痛む。
だけど私は、力いっぱい抱きしめた。


「····密葉は向こう行ったら、他の奴と付き合うのか?」


そんなわけない。
和臣がいるのに、そんな人ができるわけが無い。私が異性として好きなのは、今抱きしめている人だけ。今も、これから先も。


「そんな事あるわけない·····。ずっと和臣だけだよ·····」

「·····俺もだ、絶対無い」


私がこうして和臣も思うように、和臣も私を思ってくれてる。どうしてそれが分からなかったのか。
こんなにも弱々しい和臣にさせてしまったのは私自身。


「ごめんなさいっ·····、ごめんなさい·····」

「密葉·····」

「嫌なこと言ってごめんね、·····もう二度と言わないから·····。·····許して····ごめんなさい······」

「·····うん」

「大好き·····、ほんとに·····大好きだよ·····」

「うん」

「和臣が好き」

「もっと言って·····」

「好き、大好き·····」

「もっと」

「大好き·····和臣が大好きだよ」

「うん···」

「不安にさせてごめんね·····」

「もういい、·····いいよ·····。次言ったら絶対許さねぇからな」

「うん」

「·····密葉?」

「うん」


「·····行けよ、迷ってんなら行け」


侑李と一緒に。


「密葉に何かあったらすぐに行く。だから密葉も迷うな」

「和臣·····」

「何かあったら俺を呼べ」

「うんっ·····」

「俺はずっと待ってるよ」


そう言ってくれた和臣が、本当に愛しくて。
胸いっぱいに広がる、たまらない感情·····。

必死に和臣を抱きしめた。



「顔見てぇ」


そんな和臣は、ようやく顔を上げようとして。
まだ私の胸元に顔を埋める和臣。私が抱きしめているせいで、起き上がることが出来ず。

「やだ·····」

「なんで?」

「泣いてるから·····」


胸元で和臣の笑う気配がする。


「何回も見たことあるけど」

「うん」

「見られたくねぇの?」

「うん」

「じゃあ·····しょうがねぇな」


呆れたように笑った和臣は、私が泣き止むまでずっとそのままでいてくれて。

このまま時間が止まればいいのにと、何度も願い続けた。