母は、奔放な人だった。

 私を十六で産み、父親は数人の恋人の誰だかわからないという有様。
『父親候補』は誰も責任を取る気がなかったらしく、母の側からとっとと逃げ出して……つまり母はすべての恋人たちに捨てられたわけだ。
 母が私を産んだのは、ただ堕ろせなかったから。それと誰か一人くらいは責任を取ってくれるだろうと、そう見込んでいたからである。それは大きな見込み違いだった訳だけれど。
 とにかく、最初から誰にも必要とされずに私は生まれたのだ。

 子供を産んでも……母はやっぱり奔放だった。

 祖父母に預けられ、一ヶ月に数度母と会う。
 母はいつも濃い化粧をしていて、毎回違う男の人を連れて来た。
 男の前で猫なで声を出す母を横目に見ながら、お決まりのファミレスでご飯を食べる。物心がついた頃から記憶にあるその光景は、母の年齢と男が変わっていくだけの『変わらぬ』光景だった。

 母が私に会う頻度は、どんどん、どんどん減っていく。

 そして――ある日を境に一切姿を見せなくなった。

「それが、十二歳の夏」

 なぜだか笑いたい気持ちが湧いて、私はふっと笑みを零した。

「祖父母は私を憎んでた。それでも、育てることを放棄はしなかったことは感謝してる」

 祖父母は母を愛していた。そして、その分だけ私を憎んだ。
 まるで私に、母の素行の原因があるとでもいうように。そんなことがあるはずがない。私は、ただ生まれてきただけなんだから。

「住んでた場所はここよりも田舎だったから奔放な母の噂は広がってて。友達なんてできなかった」

 ――逃げたかった。
 狭く排他的な田舎からも、祖父母からも。母の残り香からも。

 高校に入ると同時に自転車で片道一時間のホームセンターでバイトをはじめ、興味があったデザイン系の大学への入学金を稼いだ。受験勉強のための画塾へ通うお金も、バイト代から捻出した。祖父母に言えば嫌そうな顔をしながらも、出してくれたかもしれない。だけど彼らに頼るのは嫌だったのだ。
 そして奨学金とバイト代で、念願のデザイン系の大学に通って……そこではじめて私は大きく息ができた気がした。

 自由だ、私は自由。それが嬉しくて嬉しくて、仕方がなかった。
 だけど、その自由の中でも私はいつでも恐れていた気がする。
 誰かと親しくなったとして――結局は裏切られ、捨てられるんじゃないかってことを。

 だって肉親や祖父母さえ、私を愛さなかったのだから。

 どうせ捨てられるなら……最初から寄りかからない方がいい。捨てられた時に、すぐに一人で立ち上がれるように。

『欲しい』だなんて、思っちゃダメだ。

 誰かに笑いかける時も、私は心の奥底でそう考えていたのだろう。
 はじめての恋人に振られた時も『琴子は甘えてくれない』と寂しそうに言われてしまった。

 だけど今は――

「琴子、大丈夫?」

 エルゥからかけられる言葉や頭を撫でる手は優しくて、『甘えていいのだ』と伝えてくる。
 顔を上げると青の瞳を視線が交わり、安堵させるような笑みを向けられた。

「……怖い」

 震える声でぽつりと零すと、優しく抱きしめられた。
 エルゥは温かい。その温かさは胸にぽかりと空いた穴を優しく浸していく。
 頬を涙が伝い、エルゥの胸を濡らしていく。彼はなにも言わずに私を抱きしめ続けてくれた。

「……僕がまず会おうか。琴子のお母さんに」

 私が泣き止んでからしばらくして。エルゥがそんなことを言った。
 顔を上げると、いつも通りの静かな青の瞳がそこにある。それが今日も綺麗だと、そんなことを私は考えてしまう。

「エルゥが?」
「うん。僕がまず会って琴子に会いたい理由を探る。その結果次第で、琴子が会うかは考えればいいんじゃないかな。人の悪意は僕にはよく見えるから、言いくるめられたりはしないよ」

 エルゥが手の甲で私の頬を撫でる。私はしばらく考えてから……こくりと頷いた。