夜。金露宮(きんろきゅう)
頼りなげな(ろう)の灯りの中、ふくよかな体躯の女官、(よう)梓明(しめい)が荒々しく入ってきた。
桂妃(けいひ)様、もうあのような者の元へ通われるのはおやめください」
唐突な言葉が部屋中に響く。薄い衣に替え、小卓で茶でも飲もうと腰掛けた直後だった。気色(けしき)ばむ梓明に、桂妃は小首をかしげた。
「そうは言っても、もう次の約束をしてしまったわ」
「ですが……もし、桂妃様にも呪いが感染(うつ)りでもしたらと思うと、心配で心配で」
「あら、呪いは感染(うつ)らないわよ。史伝にはそう記されている。それに、儀式の前にはどのみちあの〝銀楼宮(ぎんろうきゅう)〟へ閉じ込めなくてはいけないのよ」
桂妃は脇に置いていた巻物を出した。
梓明は口ごもった。桂妃はうっとりと微笑み、彼女の艷やかな頬を()でてなだめる。
「心配ないわ。この使命を果たした暁には、私はきっと陛下の寵愛を賜るでしょう……でなければ、」
そこまで言って口を閉じる。周囲を見やり、笑って誤魔化(ごまか)した。
「もう少しの辛抱よ。耐えて、梓明」
「はい……桂妃様がそうおっしゃるのなら……」
彼女はふっくらとした唇を震わせながら言った。まだ何か言いたげだが、黙らせることはできた。すごすごと引き下がっていく。
桂妃は史伝巻物を広げた。文字を追う。
近く、香月にこの史伝の中身を話さなければならない。こうした過程は逐一、宇静(うせい)へ報告しなくてはならず、またその報告次第で香月へ教えるべきことを指示される。いいように使われているだけなのだ。梓明の言うとおり、これは妃のするべき仕事ではない。もっとも、史伝を扱う家系であったゆえに抜擢(ばってき)されたのだろうが──宇静の思惑を解き明かさなくては、この不可解な役目も気持ちよくまっとうすることができない。
桂妃は一心不乱に書物を読んだ。香月の言っていた黒鱗も気になる。
その時、部屋の入口から声がかかった。
「精が出ますね。あまりご無理なされぬよう」
「まぁ、秋叡(しゅうえい)様」
桂妃はぱっと顔を上げた。秋叡が来たということは、もう報書を上げる時間だ。
「このような格好で申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ。あまりに熱心にお仕事をなされているようなので、お邪魔してしまいましたな」
秋叡は優しげに言った。そんな彼に桂妃は優雅に微笑む。そして、あらかじめ記しておいた報書を彼に渡す。
「ご苦労様です」
秋叡は堅苦しく言った。そして、すぐさま部屋を出ようとする。そんな彼を、桂妃はためらいがちに追いかけた。
「秋叡様」
「はい」
「あの、陛下はどんなご様子ですか?」
「どんな……変わらず、といったところです。儀式については前向きのご様子ですが」
それはそうだろう。玄竜神への供物を捧ぐ大事な儀式は皇帝の責務である。しかし、妙に胸騒ぎがするのだ。昼間、彼が香月が住む銀楼宮を見ていたこともあり、宇静が香月へ特別な感情を抱いているのではないかと疑っている。
桂妃は目を伏せた。
「では、やはり香月は儀式に捧ぐのですね……では、どうしてあの娘に史伝や前世での罪を教えなければならないでしょう。知らぬ方が幸せなことだってあるでしょうに」
「まさか、桂妃様。あの娘に情でも移しましたか」
秋叡が鋭く訊く。桂妃は首を横に振った。情が移ったわけではない。
これに秋叡は思案げに唸った。
「陛下はあの通り、誰にも心を開きません。何があの方をそんなにも縛り付けているのやら……幼い頃からああなのです」
「そうらしいですわね。確かに(いん)家の歴史は古く、玄竜神様の化身という由緒ある血筋です。歴代の中でもとくに国のことを一番に考えていらっしゃる。その重圧も大きいのかしら……陛下のお心を解き放つにはどうしたら良いのでしょう」
桂妃は憂いを口元に浮かべた。それが仄暗い灯りの助けで扇情的に浮かび、秋叡は慌てて目をそらして咳払いした。
「それはやはり、呪いを()つことではありませんか?」
簡潔に答える。
「どんな名君も血には抗えぬものです。ゆえに、あの方は世界を変えようとしている。神を崇めつつも世を武力で治め、神から自立しようとするお考えなのですよ。小国だった我が国は、今、海も山も広大な大地もあります。これを(ひら)いたのは紛れもなく陛下です。でなければ、こんなに大きくはならなかった」
主を心から慕うような秋叡の堂々たる解答に、桂妃はあっけにとられた。
「神からの自立ですか。確かにそう捉えてもおかしくはありませんね」
桂妃は穏やかに言った。すると、秋叡は満足そうに口の端を伸ばして頷く。そんな彼に、桂妃はこれ以上水を差す気にはなれなかった。秋叡の背中を見送る。廊下の奥で彼は衛尉(えいい)から何かを告げられ、足早に姿を消した。
桂妃は部屋に戻り、扉を閉めた。再び卓に落ち着き、書物に目を向ける。
(いにしえ)始祖帝(しそてい)は、一族間の霊力を持つ娘を玄竜神に捧げた。妃に選ばれた娘は十六になれば竜穴にて封じる。その間、尹家は一族総出で三日三晩祈祷(きとう)する】
「しかし、これに叛逆した娘がいた……娘の逃亡を手助けした男もその場で処刑、娘は神によって呪いの裁きを受ける。その者は玄竜神の妃である証として、背に黒鱗を持つとされる。魂魄(こんぱく)はすでに乖離(かいり)したものとされ、家柄、血筋は関係なく、霊魂のみが継承される。ゆえに呪魂者は各地で忌み嫌われる」
桂妃はゆっくりと声に出して読み上げた。
さて、香月は叛逆の玄竜妃と同じ名である。黒鱗の呪いを受け継ぐ娘を彼らはそう呼び蔑んでいるのだ。では、宇静は香月を憎むべき一族の恥であると思っているはずだ。
「陛下は、あの娘を不幸にしたいのかしら。これ以上の不幸はないでしょうに」
だが、すぐに秋叡の言葉を思い出す。
神からの自立を図っている宇静は呪いを断とうとしているのではないか。ということは、つまり──
桂妃は息を飲んだ。自身の考えに思わず身震いする。感情が乱れ、口元は笑いを浮かべている。冷や汗が止まらない。
「あぁ、困ったわ……どうしようかしらね」
夜更けの部屋で、彼女は静かに呟いた。

 ***

香月は後宮がわずかに緊張感を持ったことを察知した。最近、窓の外を女官らがやたら慌ただしく走り回っている。しかし、外へ出られないので何があったのかは想像がつかない。もしかすると、ようやく宇静が世継ぎのことを考え始めたのかもしれない。そうすれば、この国の安寧は保たれるのだろう。
しかし、素直に喜べない。宇静のあの冷たい目が、夢に出てくる黒袍の男と重なって仕方ない。もしかすると、いや、宇静こそがあの男の子孫であるのだ。そんな残虐非道な男が心優しい桂妃を寵愛するという描写ができない。
とにもかくにも呪いの根源は神である。そして、執行したのはあの男であることは間違いない。
「私は、あの人に呪われたのだわ……」
呟くと、言葉の恐ろしさに喉が締め付けられた。無意識に背中を触る。この憎き呪いの刻印は、来世にも受け継がれてしまうのだろうか。できることなら、ここで断ち切りたい。そのためにはどうするべきだろうか。
「香月!」
思考を掻い潜るように鋭い声を浴びせられる。背後には金色の装飾をまとった桂妃がいた。
「け、桂妃様!」
「呼んでも出てこないなんて、なんて無礼なんでしょう」
「申し訳ございません。考え事をしておりました」
「考え事?」
桂妃は形のいい眉を不機嫌に歪めた。
「あなたがどんな考え事をするというの?」
今日の妃はなんだか棘がある。しかし、まともに返事ができなかったこちらが悪いので、どんな罰でも受ける所存である。香月は頭を垂れたまま正直に言った。
「呪いについてです。私、思い出したのです」
「思い出した? 何を?」
「えぇと……」
夢の中のことは誰にも話したことがない。香月はどこから説明したら良いか迷った。すると、焦れた桂妃が詰め寄った。
「どうしたんです? はっきりおっしゃいなさいな」
「あ、はい……あの、私は生まれた時から、どうやらこの呪いの始祖の記憶を夢に見るのです」
「なんですって?」
桂妃は頓狂(とんきょう)な声を上げた。すると、部屋の外で控えていた侍女たちが一斉に立ち上がる。部屋に踏み入ろうとするも、桂妃が制した。その物々しさに香月はゴクリと唾を飲んだ。
やがて、桂妃はぎこちなく笑って部屋を締め切った。外では主の様子にどよめいていたが、それもしばらくすれば落ち着いた。
「──香月、すべて話しなさい」
「はい」
香月は小さな声で答えた。そして、これまでの経緯をたどたどしく話し始めた。
「私は、生まれた頃からすでに呪魂者(じゅこんしゃ)として村から嫌われていました。村は私を恐れ、両親共々、険しい山の中にある洞窟で生活を強いられました。やがて父はどこかへ消え、母はこの生活に耐えきれず病み、川に身を投げて死にました。その頃から、私は毎夜同じ夢を見ていました」
「夢……?」
「はい。月下で、私は逃げ惑います。そして、あえなく捕らえられ、背に呪いを受けるのです」
香月の言葉に、桂妃は険しい顔つきで聞いていた。半信半疑のようだったが、香月は構わず続ける。
「その呪いを与える者は、申し上げにくいのですが……陛下と同じ顔でした」
声が震えたが、桂妃は咎めることはなかった。むしろ、先を促すように頷くだけ。
「この光景を毎夜見るたび、背中が痛むのです。思えば、十三になった頃からそうだったかと。しかし、夢はこの後宮に入ってから変化しました。私は青年に連れられて逃げたのです。そして、捕らえられました。その青年は胸を()たれて死にました。その時の恐ろしさと言ったら……様々な感情が胸中を(めぐ)り、ひどく混乱しました」
香月は言いながら、ふと思い出した。そう言えば、初めて宇静に会った瞬間と同じ感情だったように思う。あれの正体はいまだにつかめないが、もしも宇静がこの呪いをかけた末裔ならば、激情に駆られるのも不思議ではないのかもしれない。
「そう……そうだったのね」
桂妃が言う。その声はどこか(たかぶ)りを抑えるようでもあった。そして、彼女は椅子に深く腰掛ける。かと思えば動作はせわしなく、頭を抱えたり卓を指で小突いたり、何かを考えているようだ。
やがて、艷やかな紅色の唇で呟いた。
「香月──呪いをかけたのは確かに始祖帝です。そして、陛下はその血筋よ」
「……っ」
桂妃の言葉に、香月は全身を強張らせた。
「玄竜神様にそむいた報いとして霊魂に呪いを刻んだ。それは間違いないわ。玄竜神様の化身として、使命を果たしただけのこと」
「この呪いは、どうやったら解けるんでしょう?」
香月は胸を抑えながら言った。桂妃が驚きに目を見開く。対し、香月は真剣だった。
「私はもう、この(からだ)で呪いを断ち切るべきだと思うのです。こんな思いをするのは、もう私だけにしたいのです」
優しい桂妃ならば答えをくれるはずだ。そう信じて、彼女の助言を仰ぐ。
桂妃はしばらく言葉を失っていた。そして──緊張をほぐすように口元を緩ませる。桂妃は香月の頬を撫で回した。
「呪いを断ち切る……そんなこと、考えもしなかったわ」
そう言い、香月の額まで手を這わせる。そして、前髪を思い切り掴んだ。
「でもね、香月。呪いは続くわ。だって、こんなにも醜穢(しゅうわい)なあなたが許されるはずないでしょう?」
突然の暴挙に香月は青ざめた。目の前で笑う優しい桂妃が、たちまち狂気を帯びる。喉は縛り付けられたかのように機能せず、掴み上げられた前髪により頭皮がきしむ。絶望に支配され、身動きが取れない。
桂妃は香月を床に叩きつけた。黒鱗の背を思い切り踏みつける。
「あぁ、おぞましい娘。まるで虫けらのようね。そうしているほうがお似合いよ」
「桂妃様……そんな……」
「まったく。陛下の手前、優しく丁寧に施したのが(かえ)って(あだ)になったものだわ。思い上がりも甚だしい。不愉快よ」
「申し訳ありませんでした。どうか、お許しください……!」
床に伏して許しを請う。確かにそれは、地を這う虫のごとく惨めなものだった。しかし、桂妃の言うことは理解できる。罪人がおいそれと許されるわけがないのだ。考えの甘さをすぐさま改める。
桂妃は(たか)ぶったまま、香月を見下ろしていた。
「香月、あなたにまともな暮らしは許されないわ」
「はい、その通りです」
「あなたは、汚らわしい罪人よ」
「はい」
「しかし、今回は目を瞑りましょう。陛下にも報告しないでおくわ。感謝なさい」
「あ、ありがとうございます、桂妃様」
香月は恐ろしさのあまり、目を瞑っていた。顔を上げることはできない。桂妃は陰険な笑いを漏らした。
そして、女官らを従えて銀楼宮を出ていく。それでもなお、香月は動けずにいた。乱れた髪を元に戻すこともできず、呆然としてしまう。
先ほどの桂妃の怒りを脳内で反芻(はんすう)し、ゆっくり飲み込む。そうすると、いかに己が(いや)しい存在であるか思い知った。
「……うっ」
嗚咽(おえつ)が飛び出す。大粒の涙が床を濡らし、香月は顔を覆って泣いた。あの美しい桂妃に憧れ、勝手に友情を抱いていた。そんなはずがないのに、こんな自分でも受け入れてくれると期待していたのだろう。
夢のようなひとときだった。そのあとに訪れるのは激しい痛み。こっぴどく絶望を背中に刻みつけられた。こんなことならば、知りたくなかった。
「知りたくなかったのに……」
夢の中の彼女も同じく期待していた。あの感情がようやく交わる。
──あぁ、これが、(かな)しみなのだわ。

 ***

数日が過ぎた。あれから桂妃は一度も訪れない。だが、その方が香月にとっては都合が良かった。会ってどんな話をしたら良いか分からない。もう一生会わずにいたい。
香月は寝台にいることが多くなった。出される食事も喉を通らない。窓も扉も締め切っており、部屋の中はとにかく陰気だった。なんだか洞窟に住んでいた頃と変わらない。
そんな日々が続くのだと思っていた。彼が現れるまでは。
「──琳香月」
夕刻、落日でできた人影が部屋の中に伸び上がる。男性の深い声だった。
香月は頭をもたげて寝台から身を乗り出して見遣(みや)った。
「誰ですか?」
長いこと話していなかったせいで、声がしゃがれる。いくらか整えて扉に近寄る。
「誰?」
「誰かは知らぬ方がよかろう」
彼は静かに言った。この後宮でまともに話をした人は数えるほどしかいない。どこの誰か見当もつかず、ただただ息をひそめて彼の声を聞くに徹する。
「食事をしていないそうだが、何かあったのか?」
「食べたくありません」
香月は正直に言った。影が憂いげにため息をこぼした。
「それでは体を壊す」
「いいんです。私は罪人ですから……食事は不要です」
すると、彼は言いよどんだ。香月はその影をじっと見た。大きな人影だ。一体、どこの誰が話しかけているのやら想像もつかない。
「お前は罪人だったのか?」
やがて、彼が言った。
「そうです。だって、そうでしょう。私は玄竜神様にそむいたのです。呪いは(めぐ)り、次の私も次の私も永遠と報いなければなりません」
香月はわずかに声を荒らげた。チリチリとした感情が心臓の奥でくすぶるようなもどかしさだった。こんな話をわざわざしなくとも、皆がよく知っているはずだろうに。
「では、未来永劫(えいごう)、その呪いを受け入れ続けると?」
「はい。玄竜神様に許しをいただくまで私は何度でも生まれ変わり、苦しみ続けるのです。それこそが我が魂に課された宿命(さだめ)です」
「逃げ出したいとは思わないのか?」
「逃げたとて、捕まります。今までもずっとそうでした」
影が揺れた、ような気がした。だが、構わず続ける。
「その昔、私を連れ出した人がいました」
香月は夢の模様を思い出した。
「私を哀れんだ彼は、私と共に生きようと言い、儀式から逃げ出しました。私たちは懸命に走りましたが、一族や玄竜神様は許してくれませんでした。そして彼は死に、私は呪いを──」
思い出すだけで吐き気を催す。言葉を切ると、影はまたもため息をついた。そして、迷うように言う。
「その者は、きっとお前を愛していたのではないか?」
「愛……?」
思わぬ言葉にハッとする。しかし、それがどんなものか想像がつかず、すぐに顔を伏せる。
「私にはそのような情が分かりません」
つい語気を強めて言うと、影がまた揺らいだ。だんだん影の輪郭が(よい)に飲まれていく。香月は影を掴むように指先を伸ばした。
「香月」
影が静かに言う。その声音が弱々しく、影と同じく形がぼやけていった。それが言い知れぬ慈愛に満ちており、香月の心をぎゅっと締め付けた。無意識に感じるそれは、切なさ。
「いつか、必ずお前を──」
言葉が遠ざかっていく。影が消えていく。香月は思わず寝台から這い出た。そして、扉を思い切って開け放つ。
「……誰もいない」
燃えるような陽が沈み、地平線が宵闇を呼び起こす。長い廊下には誰もおらず、香月はその場に座り込んだ。
あの声、あの言葉──夢の中で幾度となく見た、あの優しい青年を思い浮かべずにはいられなかった。

 ***

その夜、桂妃のもとに侍女が飛び込んできた。血相を変えた彼女は、(あご)が外れたかのように言葉を紡ぐことが難しく、しばらくあわあわとあえいでいた。
「何があったの?」
「へ、陛下が……倒れられて……」
それだけ告げ、侍女は腰を抜かしてさめざめと泣いた。
侍医(じい)が言うには山を越えたと……しかし、目を覚まされないのです」
「これもきっと、あの呪いのせいですわ」
侍女の言葉を遮って、梓明が確信ありげに言う。その戸惑いはまたたく間にあちこちへ響き渡った。桂妃は狼狽のあまり、卓にもたれかかった。
「桂妃様」
口々に嘆く侍女たち。そんな彼女らに、桂妃はキッと眉をつりあげた。
「私たちが路頭に迷っていても仕方がないでしょう! 陛下のために何ができるか、よく考えなさい」
とは言え、何ができるか。古代人たちのように祈るしかないのだろうか。文明が発展しても、天命には(あらが)えないのだろうか。
「桂妃様、儀式を執り行うことはできないのでしょうか?」
梓明が問う。侍女たちが涙目で桂妃を見つめる。呪いが悪いのだと皆が声を揃える。
だが、現在の霧国は玄竜神との関係が破綻していると言って等しい。それでも、神罰というものがあるならば宇静の異変はまさしく、それによるものか。では、やはり彼は呪魂者を寵愛する(・・・・・・・・)という禁を犯したのかもしれない。
「……陛下の(ゆが)んだ心を正す必要があるわね」
桂妃はひそやかに呟いた。侍女たちが耳を傾ける。
「これも陛下のため……きっと、玄竜神様も分かってくれるはずでしょう」
その声に侍女たちの目が期待の色に変わる。桂妃はたおやかな笑みで彼女たちの心を慰めた。
だが、心にともした火は黒い。そんな彼女をあらわすかのごとく、蝋の火が大きく揺らめいた。