「はい。僕は第四皇子の玄武です。十五歳です。真名は啓恩。母は四夫人の瑞貴妃です」
にこりと微笑んだ玄武は、まるで姉にそうするように華の袖を引いて歩きだした。
こぼれる雫が玄武殿へ向かった痕跡を残していった。
厚意を受け取ることにした華は、玄武殿の宮女の手を借り、濡れた襦裙から着替えた。
白銀に輝く裳に、鮮やかな花鳥風月が描かれた豪奢な被帛は、華嵐妃でなければ身につけられないものだろう。
転ばないよう宮女に手をとられて客間へ導かれる。
するとそこには、着替えを済ませた玄武が待っていた。
精緻な意匠の卓や椅子は品がある。螺鈿細工が施された棚の上には、金魚が泳ぐ水瓶が飾られていた。趣のある部屋に佇む皇子は、静謐な絵画のように美しい。
椅子があるのになぜか立っていた玄武は、袂をひるがえして片膝をつく。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。我が主、華嵐妃にお目にかかれて光栄に存じます」
こちらはまだ名乗っていなかったが、玄武は華が華嵐妃だと気づいたのだ。着替えの最中に宮女から聞いたのかもしれない。
澄んだ双眸でまっすぐに華を見上げる玄武は、てのひらを差しだした。育ちのよさをうかがわせる優雅な仕草だ。
そうすると華のほうも儀礼に応えなくてはならない。
「私は華嵐妃。よろしくお願いします、玄武皇子」
重ね合わせた手を握られ、卓に導かれる。黒檀の椅子には温かそうな貂の毛皮が敷かれていた。
華が腰を下ろすのを見届けた玄武は、となりの椅子に座る。宮女が温かいお茶を提供した。
「どうぞ、お飲みください。体が温まりますよ。まさかあなたが華嵐妃だとは思いませんでしたが、運命的な出会いができて僕は嬉しいです」
「私も、あなたが玄武皇子だとは思わなかったわ」
これで四人の皇子すべてに会えたわけである。
玄武は華より年下だが、皇子という身分のためか、完璧な配慮と礼儀正しい口調には幼さを感じさせない。そういえば皇子は嵐妃に指名されるために、幼い頃から教育を受けて育つのだとか、朱雀が語っていた。
勧められたので薫り高いお茶を口に含むと、なんだか変わった味がした。高価な茶葉はそういうものかもしれない。
お茶を嚥下した華の喉元を見つめていた玄武は、微笑を浮かべる。
「僕も兄上たちのように花嫁行列を出したかったのですが、用意していたところに、四皇子との結婚は保留にするとの通達がまいりました。華嵐妃は、まだ結婚はしなくてよいというお考えなのでしょうか?」
「え、ええ、そうね。よく考えてからにしたいわ」
「それから、懐妊の儀も延期するだとか。もしかしたら華嵐妃は、四皇子のことがお嫌いなのかな……と僕はあれこれ悩んでしまって、ご挨拶にうかがえませんでした」
しゅんと肩を落とした玄武に、華は慌てて弁明する。
「嫌いだとか、そういうわけではないの。ただ私は暫定の嵐妃だから、今後の経過を見ようというのが皇帝陛下の出した結論なのよ。だから結婚や懐妊をどうするかは、まだ先の話ね」
「そうですか……。華嵐妃は市井にいたのを、青龍兄様が見出したと聞きました。やはり、青龍兄様のことがお好きなのですか?」
突然の質問に目を見開く。手にしていた茶碗を取り落としそうになり、卓に置いた。
「……えっ⁉ そ、そんなことは……」
「僕は、いかがですか? 華嵐妃より年下ですけど、僕は閨房の試験にすべて合格しました。誰よりもあなたを愛する自信があります」
熱心に口説いてくる玄武に、戸惑いを隠せない。
突然迫られても、急に好きになれるわけではない。それに話した通り、結婚や懐妊の儀式は延期されたのだ。
嵐妃に指名されることが皇子の務めであると教育されてきたのだろうから、彼にとっては勉強した成果を披露したいという考えと思われる。
言葉を紡ごうとしたとき、ぐらりと頭が揺れる。
「それは……ん……な、なに……?」
猛烈な眠気に襲われて、華は卓に手をついた。
どうしたのだろう。意識が朦朧とする。
くすりと笑った玄武の声が、脳内に木霊した。
「僕の子を産んでくださいね。閨の用意はできていますから。――燈牙。華嵐妃を寝台にお運びしろ」
「はい、玄武様」
室内に入ってきた宮男を見た華は、息を呑んだ。
彼の背格好は、華を水路に突き落とした男にそっくりだったから。顔を見たわけではないが、衣は同じものである。
燈牙に体を軽々とすくい上げられ、華は暴れた。
このままでは意識を失っている間に、胎内に子種を注がれてしまうことになりかねない。
「や、やめて……さわらない、で……」
薄れてゆく意識を必死につなぎ、男の腕から逃れようともがいた。
そのとき、「お待ちください!」と宮女の咎める声が室外から届く。
はっとした燈牙が足を踏みだしたとき、戸口を人影が塞いだ。
「ここにいたのか。俺の華嵐妃を迎えにきた。渡してもらおうか」
険しい表情を浮かべた瑛琉は、炯々とした双眸を玄武に向ける。
にこりと微笑んだ玄武は、まるで姉にそうするように華の袖を引いて歩きだした。
こぼれる雫が玄武殿へ向かった痕跡を残していった。
厚意を受け取ることにした華は、玄武殿の宮女の手を借り、濡れた襦裙から着替えた。
白銀に輝く裳に、鮮やかな花鳥風月が描かれた豪奢な被帛は、華嵐妃でなければ身につけられないものだろう。
転ばないよう宮女に手をとられて客間へ導かれる。
するとそこには、着替えを済ませた玄武が待っていた。
精緻な意匠の卓や椅子は品がある。螺鈿細工が施された棚の上には、金魚が泳ぐ水瓶が飾られていた。趣のある部屋に佇む皇子は、静謐な絵画のように美しい。
椅子があるのになぜか立っていた玄武は、袂をひるがえして片膝をつく。
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。我が主、華嵐妃にお目にかかれて光栄に存じます」
こちらはまだ名乗っていなかったが、玄武は華が華嵐妃だと気づいたのだ。着替えの最中に宮女から聞いたのかもしれない。
澄んだ双眸でまっすぐに華を見上げる玄武は、てのひらを差しだした。育ちのよさをうかがわせる優雅な仕草だ。
そうすると華のほうも儀礼に応えなくてはならない。
「私は華嵐妃。よろしくお願いします、玄武皇子」
重ね合わせた手を握られ、卓に導かれる。黒檀の椅子には温かそうな貂の毛皮が敷かれていた。
華が腰を下ろすのを見届けた玄武は、となりの椅子に座る。宮女が温かいお茶を提供した。
「どうぞ、お飲みください。体が温まりますよ。まさかあなたが華嵐妃だとは思いませんでしたが、運命的な出会いができて僕は嬉しいです」
「私も、あなたが玄武皇子だとは思わなかったわ」
これで四人の皇子すべてに会えたわけである。
玄武は華より年下だが、皇子という身分のためか、完璧な配慮と礼儀正しい口調には幼さを感じさせない。そういえば皇子は嵐妃に指名されるために、幼い頃から教育を受けて育つのだとか、朱雀が語っていた。
勧められたので薫り高いお茶を口に含むと、なんだか変わった味がした。高価な茶葉はそういうものかもしれない。
お茶を嚥下した華の喉元を見つめていた玄武は、微笑を浮かべる。
「僕も兄上たちのように花嫁行列を出したかったのですが、用意していたところに、四皇子との結婚は保留にするとの通達がまいりました。華嵐妃は、まだ結婚はしなくてよいというお考えなのでしょうか?」
「え、ええ、そうね。よく考えてからにしたいわ」
「それから、懐妊の儀も延期するだとか。もしかしたら華嵐妃は、四皇子のことがお嫌いなのかな……と僕はあれこれ悩んでしまって、ご挨拶にうかがえませんでした」
しゅんと肩を落とした玄武に、華は慌てて弁明する。
「嫌いだとか、そういうわけではないの。ただ私は暫定の嵐妃だから、今後の経過を見ようというのが皇帝陛下の出した結論なのよ。だから結婚や懐妊をどうするかは、まだ先の話ね」
「そうですか……。華嵐妃は市井にいたのを、青龍兄様が見出したと聞きました。やはり、青龍兄様のことがお好きなのですか?」
突然の質問に目を見開く。手にしていた茶碗を取り落としそうになり、卓に置いた。
「……えっ⁉ そ、そんなことは……」
「僕は、いかがですか? 華嵐妃より年下ですけど、僕は閨房の試験にすべて合格しました。誰よりもあなたを愛する自信があります」
熱心に口説いてくる玄武に、戸惑いを隠せない。
突然迫られても、急に好きになれるわけではない。それに話した通り、結婚や懐妊の儀式は延期されたのだ。
嵐妃に指名されることが皇子の務めであると教育されてきたのだろうから、彼にとっては勉強した成果を披露したいという考えと思われる。
言葉を紡ごうとしたとき、ぐらりと頭が揺れる。
「それは……ん……な、なに……?」
猛烈な眠気に襲われて、華は卓に手をついた。
どうしたのだろう。意識が朦朧とする。
くすりと笑った玄武の声が、脳内に木霊した。
「僕の子を産んでくださいね。閨の用意はできていますから。――燈牙。華嵐妃を寝台にお運びしろ」
「はい、玄武様」
室内に入ってきた宮男を見た華は、息を呑んだ。
彼の背格好は、華を水路に突き落とした男にそっくりだったから。顔を見たわけではないが、衣は同じものである。
燈牙に体を軽々とすくい上げられ、華は暴れた。
このままでは意識を失っている間に、胎内に子種を注がれてしまうことになりかねない。
「や、やめて……さわらない、で……」
薄れてゆく意識を必死につなぎ、男の腕から逃れようともがいた。
そのとき、「お待ちください!」と宮女の咎める声が室外から届く。
はっとした燈牙が足を踏みだしたとき、戸口を人影が塞いだ。
「ここにいたのか。俺の華嵐妃を迎えにきた。渡してもらおうか」
険しい表情を浮かべた瑛琉は、炯々とした双眸を玄武に向ける。