同時刻、未だに納得できず小首を傾げている凛花の元にも、相談が持ち込まれていた。直接、凛花が持ち掛けられた話しではないが、隣で聞いていた凛花にとっても他人事ではなかった。

 それは、前店主の時から時々来店する岡原 智子が、現店主に相談したことが発端だった。
 何気なく口にしたように聞こえたが、偶然にも岡原の表情を見ていた凛花は、それがすごく真剣な問いであることに気付いた。当然、大切な客の相談をスルーする凛花ではない。


「あのですね、例えばですよ」
 この前置きで、岡原の話しは始まった。

「例えば、一生懸命勉強して、そこそこの高校に進学して、そこそこの大学に進学して、一流の上場企業に就職した人がいるとしますね。でも、ある日、その人は気付いてしまうんです。
 自分が本当にやりたかったことは、これではなかった―――って」

 店主はお好み焼を作りながら、鉄板の縁に肘をついている岡原の話しに耳を傾ける。その横で、凛花は岡原の話しに聞き耳を立てる。

「そんな時、どうすれば良いと思います?
 今の仕事を止めて、本当にやりたかったことをやれば良いと思いますか?」

 岡原の問いに、店主の手が止まる。自分を見詰めている店主に気付き、岡原は頭を左右に振る。「自分の話しではなくただの一般論だから」と告げる。

 再びヘラを動かし始めた店主を見て、岡原が話しを続けた。

「テレビドラマなんかでは、すぐに仕事を辞めて、自分がやりたかったことに飛び込む―――なんてオチになりますけど、現実は、そんなに簡単ではないですよね。
 一流企業に就職したことを、誰よりも喜んでくれた家族。そこがゴールだと信じて、一生懸命自分に投資してくれた両親。期待を掛けられ、期待に応え、やっと目指してきた場所に辿り着き、周囲を見渡す。すると、そこは夢の場所ではなかった。
 だからと言って、全てを投げ捨てて、一体、誰が喜ぶというのですか?
 一体誰が、幸せになるというのですか?
 それでも、憧れはあって、決して消えない。
 そんな時、一体どうすれば良いのでしょうか?」

 喘ぎながら絞り出される言葉達。
 それは、やはり、岡原自身の叫びだった。
 他人の話しだと、笑って誤魔化していた岡原は、話し始めた姿勢のまま、泣きながら笑っていた。

 沈黙が訪れる。
 痛いほどの静寂。
 静か過ぎて耳が痛いなど、凛花にとっては初めての経験だった。

 そんな中、店主はでき上がったお好み焼きを岡原の前に移動し、小さなヘラを2本、その横に置いた。


「実は、私ね」
 この言葉から、紗希の話しは始まった。

「・・・大学行くの止めようかなって、思ってるの」
「は?」

 平良が思ったよりも大きな声で反応し、一瞬だけ周囲の視線を集めた。喫茶店にいることを思わず忘れてしまうほど、紗希の発言は衝撃的だった。

 臼田 紗希は、川中高校の3年生で、常にベスト5に入る秀才。平良でも知っている事実。川中高校の偏差値は、県内の公立高校では上から探して10番くらいのレベルだ。そこでベスト5ということは、十分に関東・関西の有名国立・私立大学に合格可能な水準にいるということを意味する。
 
 それなのに、大学に進学しない―――とは、一体どういうことなのだろうか?