十年前と坂本も変わっていなかった。

 特徴的な話し方である関西弁は、そのままだし、大人になってもメイクは少し落ち着いてはいるが派手なまま。

 フレンドリーな所も変わっていない。

「おっ、この子が娘ちゃん? あたしは坂本、よろしくな!」

 葵菜は、少し困惑しながらも、ぺこりと頭を下げて、

「しんざき、あおなです。ごさいです」

「よく言えたなぁ! 葵菜ちゃん、よろしくな」

 幼稚園で自己紹介をされたら、自分もすると習っているのだろう。

 我が子ながら、賢いと思う。

「さて──」

 そう言うと、さきほどの緩い空気はどこやら、場の空気が張り詰めたのを感じた。

 葵菜が俺の服の裾を引っ張る力が少し強くなった。

「あ、別にそんなに緊張せんでいいで! 今からとりあえず、他の場所移ろっか」

 場の空気の変わりようにやはり、気がついていた坂本は、慌てて緩い空気を作り出す。

 坂本についていき、俺たちは別の場所にある会議室に入室した。

「とりあえず、勝手にお茶飲んでや。葵菜ちゃんは、お菓子いる?」

 坂本はそう言って、皆大好きアンパンのヒーローのあめの袋を取り出す。

「いるー!」

 葵菜の元気な声に坂本は笑顔であめを手渡す。

「ありがとう!」

「おおきにー!」

 上機嫌になった葵菜は、おとなしく部屋にある子供用の遊ぶスペースでおもちゃを使って遊んでいた。

「葵菜ちゃん、可愛いな。あたしもそんな娘欲しいわー」

 坂本は緩い空気をだしながら、俺たちに向き直る。

「えっと、ひとまず、自己紹介しとくわな。アソシエイト弁護士の坂本桜。今回は『飯島結菜被告が被害者の不知蒼に対して殺人容疑で現在は執行猶予中』ということについてなんやけど、あの日起こった事件について、あたしは理解できない点があるねん」

 執行猶予。

 飯島はまだ刑罰を受けていないのか。

 俺は意識的にニュースを見ることをしてしなかった。

 だから、そんなことは知らなかった。

「ひとつ、結菜の発音に違和感があることや。どうもあれは結菜の発音とは到底結び付かないものがある」

 発音なんて時間が経てば変わるものもあるだろう。

「ふたつ、結菜は飯島家の人間ではないこと。もともと、両親がおったみたいねんやけど、二人とも事件に巻き込まれて亡くなった」

 それは知らなかった。

 飯島は両親が居なかったのか。

 じゃあ、それまでの名前は──

「もともと、結菜は彼女の本名じゃないねん。結菜の本当の名前は」

 そこで、坂本は一度俺たちの方を見る。

 真実を知って後悔しないかという意味だと思う。


「結菜の本当の名前は志音(しおん)。名字は、長谷川(はせがわ)長谷川(はせがわ)志音(しおん)


 飯島の体にふたつの名前。

 それってつまり。

「結菜は、二重人格やったんや」

 なんで過去形なのか。

 その理由は聞かなくても坂本が答えてくれた。

「ご両親が亡くなりはってからも、志音ちゃんの人格やったらしいねんけど、あまりにもご両親が亡くなったことがショックやってんやろうな。そこで生まれたのが結菜ちゃん。人格交代が数時間に一度あったんやけど、なぜか結菜ちゃんに志音ちゃんの行動の記憶はないのに、志音ちゃんにだけ結菜ちゃんとの記憶を共有できてた」

 そうして、見せられたのは、一枚の紙。

 たしかにそこには、飯島──いや、長谷川と呼んだ方がいいのだろうか──長谷川が二重人格だということを証明する紙があった。

「じゃあ、蒼が殺された時、どっちの人格がでてたんだ?」

 俺が最も知りたいことはこれだ。

「警察に電話をしていた時は結菜ちゃんやった。けど、不知が死んだと聞いた途端、人格は志音ちゃんになって今もずっとなったまま」

「それは、どういうことだ? 飯島が蒼を殺したってことなのか?」

「そこの詳細がまだ分からんねん。でも、結菜と不知は付き合っていた。普通、本気で好きなら殺そうとする?」

「しないな」

 本気で好きならば、そんなことは絶対にしない。

「やろ。やから、私たちはこの事件は結菜本人が起こしたんじゃなくて、この二重人格が絡んでると思ってんねん」

 本当にそうなのか。

 疑いの余地は未だにある。

 けど、確かに蒼たちはお互いを本気で好きだった。

 デートだって、きっとすごく楽しかったに違いない。

 飯島に嫉妬した長谷川が蒼を殺した。

 愛情に触れずに生きてきたなら、そんなことをしてもおかしくない気がする。

 でも、本当に信じていいのか。

 坂本たちを。

「命は、どう思う?」

 今の話を聞いて命はどう思っているのか、第三者の意見も聞きたかった。

「私はこのサクラちゃんの話はつじつまが合うと思う。アオイちゃんとユナちゃんはお互い好きだった。アオイちゃんが失言をするはすがない。だから、ユナちゃんがアオイちゃんを殺すことはありえない。から、私はサクラちゃんの話を信じる」

「そうか……」

 俺は命の意見を受け入れながらも、自問自答を繰り返し、真相を探すための糸口を見つける。

「……分かった。とりあえずその話は信じる」

 そう言うと、弛緩していた空気が少し緩んだのを感じた。

「ありがとう。結菜ちゃんの再審まであと二ヶ月。結菜ちゃんの刑を私は少しでも軽くしたいと思っている。もう一人の彼女によって壊された結菜ちゃんの日常を取り戻したいから」

 そう言う坂本の目には信念が宿っている気がした。
 俺がすべきことってなんだろうな。