水族館をでてから、僕はいつ結菜にサプライズプレゼントを渡そうか考えていた。
暗い夜道を二人で歩く。
そのシチュエーション自体は悪くない。
あと一押しが足りない気がするのだ。
「デート楽しかったね」
結菜は、はにかみながらそう言ってくれる。
「うん。そうだね。これも結菜のおかげだよ」
「いやいや、蒼君がエスコートしてくれなきゃ楽しめなかったよ」
「でも……結菜が楽しんでくれなきゃ僕も楽しいと思えなかったし」
こんな感じで、お互いを褒めあう、まるでイタチごっこのような会話が続く。
赤信号になった信号機の前で、結菜は僕の手を握る。
「自然に握ってるね」
「うん、まだ恥ずかしいけどね」
それでも、笑顔で手を握ってくれているのだから、僕としては嬉しすぎる。
そのまま、手を握りながら歩く。
目的地はないが、ただこうして歩いていることが嬉しかった。
「蒼君、休憩したいから公園に寄っていい?」
「うん。僕もちょうど休憩したかったところだったから、いこうか」
実際はそんなに僕は疲れてはいないけど、今日一日中はしゃいで笑顔でいた結菜はきっと疲れたのだろう。
結菜についていき、近くの公園による。
僕はその間に近くにあった自動販売機で麦茶と結菜のためにコーラを買う。
「ありがとっ」
「どういたしまして」
ベンチに腰掛け、ひとくち麦茶を飲む。
結菜もコーラを飲み、生き返ったといわんばかりにホッとした顔をしていた。
「私、今日すごく楽しかったからはしゃぎすぎて疲れちゃったよ」
「不知君……あっ、違った。蒼君はどうだった?」
違和感を感じた。
結菜が僕の事を『不知』と呼んだことじゃない。
僕は結菜と呼ぶように心がけているが、疲れていたら初めて名前を呼びあったように間違えるかもしれないから。
言い方が、まるで結菜じゃない。
結菜じゃない誰かが僕の名前を呼んでいる──こんな風に感じた事が前にもあった。
夏休み前、結菜と二人でテスト勉強の帰りに、
『……あぁ、不知君。ごめん。ボーッとしてた』
あの時、なんだか変だと思った。
それに、坂本さんは、家庭の事情があるかもしれないとも言っていた。
結菜は家庭の事を話していない。
彼女に水族館で親の話を聞き返したときに両親がいないということを言っていた。
考えに一度はまってしまうと、色々と結びつく。
『私たちって、つきあっているんだよね……』
電車で結菜と一緒に登校していた時、結菜はこんなことを聞いてきた。
この時は、結菜が僕にかまってほしくて言ったのかと思っていたけど。
小説じゃないし、まさかこんなのがあるわけがない。
彼女は──
「蒼君、お茶こぼれているよ!」
結菜の声に僕は我に返る。
あわあわとハンカチで僕のズボンをふきながら、僕を心配そうに見つめている。
「大丈夫?! ボーッとしたと思ったら怖い顔してたよ! どうしたの?」
結菜は本気で心配してくれているようだ。
まだ、本当にそうだと決まったわけじゃないんだ。
彼女を困らせるような態度をとってはいけない。
「……ごめん。考えごとしていた」
「本当に大丈夫? 呼びかけても反応がなかったからビックリしたよ……」
結菜はホッと息をついたような表情で言う。
そして、僕は少し困惑していたから忘れていたけど、プレゼントをいつ渡そうかとタイミングを図っていたのだ。
今しかないだろう。
「結菜」
僕は鞄を漁りながら、彼女を呼ぶ。
「はい、これプレゼント」
袋をみて、不思議に思った結菜は僕の意図に気がついたのかみるみる内に表情を明るくさせる。
「……中、見ていい?」
「もちろん」
結菜は僕から袋を受けとると、袋を開けて中を見た。
「蒼君」
「ありがとう!」
両目の端に涙が溜まっていた。
きっと嬉し泣きだろう。
「キーホルダーとシャーペン、大切に使うね!」
「喜んでもらえて嬉しいよ。今日は本当にありがとう」
「うんっ!」
やっと渡せて、心の中は溜まっていた緊張が一気に抜けたのを感じた。
緊張がなくなると、次は結菜が喜んでくれた幸福感が心の中に溜まり、少しの疲労もそこにはあった。
「……結菜って」
「ん? どうしたの?」
キョトンとした表情で結菜は僕に聞いてきた。
「結菜ってご両親が、その……居ないんだよね。今は、誰と暮らしているの?」
何気ない疑問だった。
僕は結菜が誰と暮らしているか知りたかっただけだったから。
でも、よくなかった。
それは結菜にとって過去を思い出させて、一番嫌だったことを考えさせたから。
「……蒼君」
「なに?」
「ごめん、答えれないや」
そっか、人にはそれぞれ理由があるからね──
そう普段の僕なら、答えていた。
けど、この時の僕は結菜のことをもっと知りたかったのだろう。
全てを知りたかったのだと思う。
だから、こんな事を言ってしまった。
「なんで? 僕になら言えるでしょ?」
本当にバカな事を言ってしまったと思う。
我に返って後悔しても、もう遅い。
結菜はうつむいたまま、ベンチから立ち上がった。
「……蒼君、ごめん、私、帰るね」
いつもと違う低い結菜の声。
彼女は怒っている。
僕の返事など聞く気もない結菜は、そのまま駅の方へ歩いてしまう。
「結菜っ! 待って!」
僕は彼女の背を追いかける。
僕が走ると思ったのか彼女は走り出した。
最悪の気分だ。
最後の最後でぶち壊してしまった。
困惑は怒りへと形を変えて、僕は本気で走る。
「結菜! ごめっ──! 僕が、悪かった!」
やっとの思いで結菜に追い付き、肩を掴む。
「触らないで!」
僕は突き飛ばされ、アスファルトに尻もちをつく。
お尻がズキズキして痛い。
結菜は僕を見向きもせずに、駅へ走ろうとする。
痛むお尻を我慢して立ち上がり、結菜の肩をまた掴もうとする。
「もう、蒼君、こないで」
結菜は言葉で僕を突き放そうとした。
今はそっとしてほしいという意を込めているのだろう。
それすら、気がつかずに僕は今結菜と話し合おうとして、結菜を追う。
そして、ぐるりと公園外を一周したのだろう再び公園で息をきらしている結菜を見つけて、近付く。
「結菜、ごめ──」
言い切る前に僕は自分の異変に気がついた。
それは、結菜が僕のすぐ側にいるとかじゃない。
彼女が片手で握ったなにかを僕のお腹に突き刺していた。
「──っ!」
僕は結菜に刺されていた。
お腹から、冬の校内マラソンを走り終えた時の痛みと比べ物にならないくらいの痛み。
まるでお腹を焼かれているように思えるほど熱が身体中を支配する。
僕の体はグラリと傾き、重力によってアスファルトに押し付けられる。
顔が痛い。
肩も痛い。
身体全体が痛い。
※※※
──夏が過ぎようとして、秋が近づいている九月。
僕は路上で倒れている。
肩も頭も足も腕も身体中が痛くてたまらない。
カランと音をたててなにかが落ちる音がした。
きっと、僕のお腹に刺さった凶器が落ちたのだろう。
もう、意識がはっきりとしない。
視界はぼやけているし、光があるということだけしか分からない。
ここまで、今日一日上手くいっていたはずだったのに。
どうして……。
僕は結菜を傷つけてしまった。
本当なら、プレゼントをあげて帰るつもりだったのに、余計な事を口走ってしまった。
誰かがアスファルトを蹴って、走ってくる音がする。
「蒼くん!? どうして! どうして! 誰か! 救急車を呼んでください! 蒼くん、起きて! 目を覚まして……よ」
まぎれもなく、それは僕の彼女の声だった。
やっぱり君は──結菜。
君にとって僕は何だったの……?
僕がこれを口にしようとしても、口が動かない。
そして、僕の視界にはもうなにも映っていない。
ただ、暗い闇があるだけで、結菜の嗚咽もさっき聴こえなくなった。
そして、この意識さえももうすぐ消えそうだ。
なんだか、眠くなってきた。
もう、寝よう。
僕の意識はここで完全に途切れ、もう目覚めることはなかった。
暗い夜道を二人で歩く。
そのシチュエーション自体は悪くない。
あと一押しが足りない気がするのだ。
「デート楽しかったね」
結菜は、はにかみながらそう言ってくれる。
「うん。そうだね。これも結菜のおかげだよ」
「いやいや、蒼君がエスコートしてくれなきゃ楽しめなかったよ」
「でも……結菜が楽しんでくれなきゃ僕も楽しいと思えなかったし」
こんな感じで、お互いを褒めあう、まるでイタチごっこのような会話が続く。
赤信号になった信号機の前で、結菜は僕の手を握る。
「自然に握ってるね」
「うん、まだ恥ずかしいけどね」
それでも、笑顔で手を握ってくれているのだから、僕としては嬉しすぎる。
そのまま、手を握りながら歩く。
目的地はないが、ただこうして歩いていることが嬉しかった。
「蒼君、休憩したいから公園に寄っていい?」
「うん。僕もちょうど休憩したかったところだったから、いこうか」
実際はそんなに僕は疲れてはいないけど、今日一日中はしゃいで笑顔でいた結菜はきっと疲れたのだろう。
結菜についていき、近くの公園による。
僕はその間に近くにあった自動販売機で麦茶と結菜のためにコーラを買う。
「ありがとっ」
「どういたしまして」
ベンチに腰掛け、ひとくち麦茶を飲む。
結菜もコーラを飲み、生き返ったといわんばかりにホッとした顔をしていた。
「私、今日すごく楽しかったからはしゃぎすぎて疲れちゃったよ」
「不知君……あっ、違った。蒼君はどうだった?」
違和感を感じた。
結菜が僕の事を『不知』と呼んだことじゃない。
僕は結菜と呼ぶように心がけているが、疲れていたら初めて名前を呼びあったように間違えるかもしれないから。
言い方が、まるで結菜じゃない。
結菜じゃない誰かが僕の名前を呼んでいる──こんな風に感じた事が前にもあった。
夏休み前、結菜と二人でテスト勉強の帰りに、
『……あぁ、不知君。ごめん。ボーッとしてた』
あの時、なんだか変だと思った。
それに、坂本さんは、家庭の事情があるかもしれないとも言っていた。
結菜は家庭の事を話していない。
彼女に水族館で親の話を聞き返したときに両親がいないということを言っていた。
考えに一度はまってしまうと、色々と結びつく。
『私たちって、つきあっているんだよね……』
電車で結菜と一緒に登校していた時、結菜はこんなことを聞いてきた。
この時は、結菜が僕にかまってほしくて言ったのかと思っていたけど。
小説じゃないし、まさかこんなのがあるわけがない。
彼女は──
「蒼君、お茶こぼれているよ!」
結菜の声に僕は我に返る。
あわあわとハンカチで僕のズボンをふきながら、僕を心配そうに見つめている。
「大丈夫?! ボーッとしたと思ったら怖い顔してたよ! どうしたの?」
結菜は本気で心配してくれているようだ。
まだ、本当にそうだと決まったわけじゃないんだ。
彼女を困らせるような態度をとってはいけない。
「……ごめん。考えごとしていた」
「本当に大丈夫? 呼びかけても反応がなかったからビックリしたよ……」
結菜はホッと息をついたような表情で言う。
そして、僕は少し困惑していたから忘れていたけど、プレゼントをいつ渡そうかとタイミングを図っていたのだ。
今しかないだろう。
「結菜」
僕は鞄を漁りながら、彼女を呼ぶ。
「はい、これプレゼント」
袋をみて、不思議に思った結菜は僕の意図に気がついたのかみるみる内に表情を明るくさせる。
「……中、見ていい?」
「もちろん」
結菜は僕から袋を受けとると、袋を開けて中を見た。
「蒼君」
「ありがとう!」
両目の端に涙が溜まっていた。
きっと嬉し泣きだろう。
「キーホルダーとシャーペン、大切に使うね!」
「喜んでもらえて嬉しいよ。今日は本当にありがとう」
「うんっ!」
やっと渡せて、心の中は溜まっていた緊張が一気に抜けたのを感じた。
緊張がなくなると、次は結菜が喜んでくれた幸福感が心の中に溜まり、少しの疲労もそこにはあった。
「……結菜って」
「ん? どうしたの?」
キョトンとした表情で結菜は僕に聞いてきた。
「結菜ってご両親が、その……居ないんだよね。今は、誰と暮らしているの?」
何気ない疑問だった。
僕は結菜が誰と暮らしているか知りたかっただけだったから。
でも、よくなかった。
それは結菜にとって過去を思い出させて、一番嫌だったことを考えさせたから。
「……蒼君」
「なに?」
「ごめん、答えれないや」
そっか、人にはそれぞれ理由があるからね──
そう普段の僕なら、答えていた。
けど、この時の僕は結菜のことをもっと知りたかったのだろう。
全てを知りたかったのだと思う。
だから、こんな事を言ってしまった。
「なんで? 僕になら言えるでしょ?」
本当にバカな事を言ってしまったと思う。
我に返って後悔しても、もう遅い。
結菜はうつむいたまま、ベンチから立ち上がった。
「……蒼君、ごめん、私、帰るね」
いつもと違う低い結菜の声。
彼女は怒っている。
僕の返事など聞く気もない結菜は、そのまま駅の方へ歩いてしまう。
「結菜っ! 待って!」
僕は彼女の背を追いかける。
僕が走ると思ったのか彼女は走り出した。
最悪の気分だ。
最後の最後でぶち壊してしまった。
困惑は怒りへと形を変えて、僕は本気で走る。
「結菜! ごめっ──! 僕が、悪かった!」
やっとの思いで結菜に追い付き、肩を掴む。
「触らないで!」
僕は突き飛ばされ、アスファルトに尻もちをつく。
お尻がズキズキして痛い。
結菜は僕を見向きもせずに、駅へ走ろうとする。
痛むお尻を我慢して立ち上がり、結菜の肩をまた掴もうとする。
「もう、蒼君、こないで」
結菜は言葉で僕を突き放そうとした。
今はそっとしてほしいという意を込めているのだろう。
それすら、気がつかずに僕は今結菜と話し合おうとして、結菜を追う。
そして、ぐるりと公園外を一周したのだろう再び公園で息をきらしている結菜を見つけて、近付く。
「結菜、ごめ──」
言い切る前に僕は自分の異変に気がついた。
それは、結菜が僕のすぐ側にいるとかじゃない。
彼女が片手で握ったなにかを僕のお腹に突き刺していた。
「──っ!」
僕は結菜に刺されていた。
お腹から、冬の校内マラソンを走り終えた時の痛みと比べ物にならないくらいの痛み。
まるでお腹を焼かれているように思えるほど熱が身体中を支配する。
僕の体はグラリと傾き、重力によってアスファルトに押し付けられる。
顔が痛い。
肩も痛い。
身体全体が痛い。
※※※
──夏が過ぎようとして、秋が近づいている九月。
僕は路上で倒れている。
肩も頭も足も腕も身体中が痛くてたまらない。
カランと音をたててなにかが落ちる音がした。
きっと、僕のお腹に刺さった凶器が落ちたのだろう。
もう、意識がはっきりとしない。
視界はぼやけているし、光があるということだけしか分からない。
ここまで、今日一日上手くいっていたはずだったのに。
どうして……。
僕は結菜を傷つけてしまった。
本当なら、プレゼントをあげて帰るつもりだったのに、余計な事を口走ってしまった。
誰かがアスファルトを蹴って、走ってくる音がする。
「蒼くん!? どうして! どうして! 誰か! 救急車を呼んでください! 蒼くん、起きて! 目を覚まして……よ」
まぎれもなく、それは僕の彼女の声だった。
やっぱり君は──結菜。
君にとって僕は何だったの……?
僕がこれを口にしようとしても、口が動かない。
そして、僕の視界にはもうなにも映っていない。
ただ、暗い闇があるだけで、結菜の嗚咽もさっき聴こえなくなった。
そして、この意識さえももうすぐ消えそうだ。
なんだか、眠くなってきた。
もう、寝よう。
僕の意識はここで完全に途切れ、もう目覚めることはなかった。