その日の夕方、俺は花火大会がある空き地を目指して歩いていた。

 外出許可をもらう際、先生は「最近、やたらと元気だね」と意味深なことを言ってきた。俺自身、入院した時はこんな未来は予想していなかった。諦めがついてからは、大方最後は静かに死んでいくのだろうと思っていた。先生は、くれぐれもひとりにならないことを条件に快く送り出してくれた。先生の信頼を無下にしているようで後ろめたかったけど、俺は私服に着替え、ひとりで外に出た。

「そもそもなんで現地集合なんだ」

 誰もいない畦道で、ひとりつぶやく。

 ひまわり畑から帰った後、夏生は「今日の花火大会は現地集合にしよ!」とだけ言い残して、さっさとどこかへ行ってしまった。一応その会場は度々散歩で行ったので、迷ったりすることはないだろう。でもなぜ一緒に行かないのか、さっぱりわからなかった。

「なんか、今日はあいつに振り回されてばかりだな」

 もう振り回されないようにしよう、そう心の中で決意を表明してみる。が、花火大会で彼女に散々振り回されている自分を想像して、いや無理だなと思った。



 ***



 待ち合わせた場所に行くと、なぜ現地集合にしたのかすぐにわかった。

「あ、やっと来た。もう、遅いよ」

 夏生は俺を見つけると、小走りで駆け寄ってきた。カランコロン、と下駄独特の音が鳴る。

「え、なぜに浴衣?」

「ん? だって、花火大会は浴衣で決まり! って奈々ちゃんが言ってたよ?」

 違うの? と夏生は首を傾げた。

「いや、そうじゃなくて。どうして浴衣持ってるのかなって」

「佳生のお母さんが貸してくれたんだ」

「母さんが?」

 全くわけがわからなかった。というか、どこをどういじくったらそういう状況になるのか、理解できなかった。そんなクエスチョンマークもろだしの俺の様子を見て、夏生が「サプライズ大成功!」とガッツポーズをする。

「キャンプの時ね、私が花火大会行きたいって言ったでしょ? あの後、佳生のお母さんとお話してて、浴衣も着たことないですって言ったら、貸してあげるって言ってくれたんだ。昨日会った時に今日花火大会行くって伝えたら、さっき着付けまでしてくれたの!」

 よっぽど嬉しかったのか、興奮した様子で夏生は一息にそう説明した。「どう? どう?」とくるくる回りながら感想を求めてくる。

「あ、ああ。よく、似合ってるよ」

 青を基調として、そこに大きめの白い花々が散りばめられた浴衣。黄色や赤のラインが入ったカラフルな帯。黒髪に映える、浴衣と同じ白い花の髪留め。
 普段とは全く違うその雰囲気に、俺は不覚にも見惚れてしまっていた。

「でしょでしょ? 一度でいいから着てみたかったんだー!」

 夏生は微かに頬を紅潮させる。
 そんな夏生を見ていると、こっちまで顔が熱くなるのを感じた。

「さ、さぁ、そろそろ行こう」

 俺たちは、そのままどちらともなく歩き始めた。

 あたりには射的や金魚すくい、お面などの屋台が立ち並んでいた。少し遠くには、たこ焼きや綿菓子といった食べ物の屋台も見える。こじんまりとはしているが、俺たちが楽しむ花火大会としては、これ以上はないように思えた。

「夏生はまず何したい?」

「んー、とりあえず、たこ焼き食べたい!」

「いきなり食い物かよ」

 浴衣で雰囲気こそ違うが、夏生は夏生だな、と俺は思った。

「うっ、いいじゃん! でね、その後は射的したい!」

 夏生は無邪気な笑顔を浮かべてそう言った。その笑顔に、少しだけドキリとした。

「あ! あれも楽しそう!」

 行くよ佳生! と彼女は言うと、パッと駆け出した。と同時に、グイっと右腕が引っ張られる。夏生の手は、思ったよりも温かかった。

「あ、待てって」

 俺は慌てて走り出す。心のどこかで、なんだか懐かしい感じがした。

 俺たちは人混みを縫ってどんどん前へと進んでいった。俺の手を引いて、「早く早くっ!」と叫ぶ彼女を見ながら、こんな日がずっと続けばいい、そう思っている自分に俺は気がついていた。