「どうして、そう思うんだ?」

 なんとか平静を装って俺は聞いた。内心は、かなり焦っていた。

「だって、昼間もちらちらと私の方を見てたから」

 私のことが気になりだしたのかな? と視線はそのままに、夏生は微笑んだ。

「あーいや、ただ……」

 先の言葉が出てこなかった。

 いつもなら笑って返せるはずの軽口にすら、俺は反論できなかった。

 不思議だった。

 なぜ、わかったのだろう?

 夏生らしくない、そう思った。


「えっと、ただ……契約が終わったら、夏生はどうするんだろう…………って」


 動揺に耐え切れず、口をついて思っていることが出た。そして、すぐに後悔した。さっき飲み込んだばかりだろ俺。心の中で、そう自分をしかりつけてみるも、出てしまった言葉は取り返せない。


 夏生は、特に反応は見せなかった。いやむしろ、無反応という反応を示した、と言った方がいいかもしれない。周囲は暗く、その詳しい表情までは窺い知ることはできないが、確かに彼女の顔は、表情は、固まっていた。


 俺は、夏生の返事を待った。

 たっぷり、五分ほど間をおいてから、夏生は言った。

「……んー、考えてなかったなー。どうしよう?」

 夏生は、俺の方を見た。

 その顔には、笑顔があった。

 でも、いつもの笑顔とも、名前をつけた日のとも違う笑顔。

 俺の知らない夏生の表情が、そこにはあった。


「どうしよう、って、その……」

 ざわりと、胸のどこかがうずいた。

 考えてないはずがない。でも俺は、夏生の言葉を否定できなかった。

 うそだ、と言えなかった。

 俺はなんて言えばいいのかわからず、顔をそむけた。


 再びの沈黙。

 真夏なので虫の鳴き声が聞こえてもおかしくないのだが、あたりは怖いくらいに静まり返っていた。その静寂が、耳に痛かった。周囲に漂っている闇も、より一層濃くなっている気がした。

「さっ、そろそろ寝よ?」

 沈黙を破ったのは、またしても夏生だった。

 伸びをしながら、スッと立ち上がる。

 その顔には、いつもの笑顔が戻っていた。

「ずっと起きてたら身体にも悪いしさ。戻った方がいいよ」

「いや、でも……」

 俺は口ごもった。こういう時にどんな言葉を言ったらいいのか、わからなかった。何も言えない、何もできない自分が、心底情けなかった。

 さっきの夏生の表情は、明らかにいつもと違っていた。


 どこか儚げで、悲しそうな、負の笑顔。


 夏生に、そんな顔をしてほしくなかった。

 夏生には、心から笑っていてほしかった。

 夏生と一緒に笑っている時は、俺も素直に、純粋に笑うことができた。


「……いや、今日はもう寝ない」


 俺は、少し考えてから言った。

「え?」

 夏生は驚いたように俺の方を見た。

 おそらく、夏生は一晩中ずっと外で過ごすつもりなのだろう。耐性をもらってしばらく人間の姿でいることができるとは言え、夏生が素直にテントの中で眠るとは思えなかった。

「どうせ夏生は寝ないんだろ? だったら俺もここにいる」

「え? い、いや、私も寝るよ?」

 佳生から耐性もらったから、と夏生は慌てた様子で言った。こういうところはわかりやすくて助かるな、と内心で安堵した。

「んじゃ、夏生からテントに戻って。寝たと思ったら俺も戻る」

「いや、それは……」

「じゃあ、黙って座って」

 俺は、さっきまで夏生が座っていた隣の石をポンポンと叩く。そこには、微かにぬくもりが残っていた。

「……うん」

 それから俺たちは、ずっと夏の星空を見上げていた。

 朝日が昇るまで、一言も言葉を交わさなかった。

 でも、三度目の沈黙は、少しだけ暖かみを帯びた気がした。