「いやいやいや、待って。めっちゃ怖いんだけど」

「男の子がそんな情けないこと言わない!」

 彼女は理不尽な言葉を叫ぶと、おもむろに俺の手を握った。

「え?」

「こうしないと、もらえないから」

 短くそう言うと、彼女は握った手に力を込めた。

「ちょっ、まさかの強制?」

 未知へのささやかな恐怖が、俺を包み込む。

「痛くないから、じっとしてて」

 俺が反抗する間もなく、雪女はその耐性とやらを吸収し始めた。
 彼女の白い肌が淡く光ったかと思うと、色が肌色へと変わり始めた。髪の色や目の色まで、人間とは違うあらゆる異質な色が、人間のそれへと変化していく。
 一方、俺自身の方は特に何かを感じるでもなく、なんの変化も起きていなかった。
 わけもわからず、俺は呆然として突っ立っていたが、すぐに手は離された。

「はい、おしまい」

「え、もう?」

 ものの三分もしないうちに終わった。多分、カップラーメンができるより早い。
 彼女の方を見ると、その容貌や風体が明らかに変わっていた。透き通るような艶のある長い黒髪に、大きな黒い瞳。健康そうで血色の良い肌色と、それに映える純白のワンピースが印象的な少女へと、変貌していた。

「うそ、だろ……?」

 俺は驚きで、それだけ言うのがやっとだった。

「へへーん。ほんとーでしたー」

 してやったりといったような、得意げな笑みを彼女は浮かべた。

「どう? どう?」

 そのままくるくるとその場で回りながら、感想を俺に求めてくる。

「どうって言われても……」

 俺は、変身したことに対する返答よりも、目の前で起きている夢のような現実の出来事に困惑していた。
 どこのファンタジー映画だ、と思ったが、ここまでされるともはや逃げ場はなく、観念するしかなかった。

「えっと、契約、だったか?」

「先に見た目についての感想がほしかったんだけどなー。でも、そう。ね? お願いっ!」

 少し上目づかいに頼み込む雪女の少女。なんでそんなところは妙に女の子っぽいんだと思いながらも、俺の心は決まった。

 が、ここで少し焦らしてみようかという悪戯心も、同時に芽生えてしまった。

「んー、どうしよっかなー」

 俺は少しわざとらしく、悩むふりをした。

「えー! お願いー」

 そんな俺の思惑を気にする様子もなく、彼女は懇願するように言った。

「んーじゃあさ、いくつか質問いい?」

「うんいいよ! どうぞどうぞ」

 なんでも聞いて! と彼女は胸をそらした。せっかくなので、契約とはなんの関係もない、雪女あれこれについて俺は聞くことにした。

「まず、雪女って夏の間どこにいるの?」

「えーとね、涼しい森の中とか、洞窟の中とか、そういうとこにいるよ」

「へぇー」

 冬眠ならぬ夏眠だな、と思った。

「んじゃ二つ目。雪女じゃなくて雪男っているの?」

「んー、どうなんだろ? ごめん、私も見たことないからわからないけど、いるんじゃないかな?」

「曖昧だな」

 ほんとに雪女なんだろうか、という疑念が一瞬よぎったが、昔話でもあまり聞かないので個体数が少ないだけかもしれない、と思い直した。

「よし、三つ目。雪女って他に何人くらいいるの?」

「んー、実は私会ったことなくて……って、契約に関係ある? この質問」

 彼女は今気づいたみたいに、顔をしかめて聞いてきた。

「やっと気づいたのかよ」

 俺は笑いをこらえるように言った。

「ちょっと! 私だってこう見えて一生懸命やってるのにっ!」

「まあまあ」

 騒ぐ彼女をなんとかなだめながら、俺はこらきれずに笑った。なんだか久しぶりに、笑った気がした。

「まっ、どうせ散る命だ。病気ごときに奪われるくらいなら、かわいい雪の妖怪にささげた方がマシだな」

 笑いをなんとか静めて、俺は数分前に既に決心していたことを口にした。

「なんかその言い方、すごくむかつくんだけどな」

「まあまあ、いいじゃないか」

 ふくれっ面をした彼女をたしなめつつ、俺は右手を差し出した。

「短い間だけど、よろしくな」

「うん、よろしく! あと、佳生の病気は私が治すから心配しないでね」

「まぁ期待しないでおくよ」

 またぷりぷり怒り出した彼女を尻目に、俺は、静かに流れゆく雲を、落ち着いた心持ちで眺めていた。