寧明に頼んで文の用意をしたのは数刻前のことだった。そろそろ読んだ頃かと思いきや、文の送り先であった奉遜が血相を変え、慌てた様子で霄妖宮に乗りこんできたのである。
彼は星蔡と会うなり、開口一番に告げた。
「寿陵山に行くなど私は反対だ」
その内容から文は読んでもらえたのだろう。文には鬼火について調べるため寿陵山に行くと認めていた。
「どこかの家から密命を受けたわけではないだろうな」
「違います。鬼火について調べたいだけです」
「だめだ。お前をあの山に向かわせるわけにはいかない。他の者に頼めばよい」
寿陵山は険しい山として知られるが、奉遜の焦りはそれだけが理由ではないのだろう。ここまで反対されるとは想像もしていなかった。鬼火の件を解決したい気持ちは奉遜も同じだと思っていたのだ。
しかし星蔡も折れるわけにはいかない。鬼火が出た時すぐに駆けつけられなければ被害は拡大する。死者だって出るかもしれない。
「わたしは、陛下に反対されようが寿陵山に向かいます。鬼火の件を解決するために」
「それは霄の国を思ってか? 霄のために自らを犠牲にしようとしているのか」
この問いには少し悩んだ。霄の国を守りたいのはもちろんのこと。だがそれだけではない。
「霄だけではありません。わたしは永も、守りたいです」
「なぜだ。お前は永によい思い出がないだろう」
永の国が好きなわけでも妃を守りたいわけでもない。ただなぜか、奉遜のことが浮かんだのだ。
皇帝である奉遜は、ひとりで永の国を背負っている。奉遜が会った妃が襲われることも、奉遜を悩ませているだろう。代わりに背負うことも悩むこともできないが、守ることはできるかもしれない。共に北御苑で花を眺めるような穏やかな時間ぐらいは。
その気持ちを素直に述べる。奉遜をじいと見つめて、告げた。
「陛下がいるこの後宮を守りたい。わたしは寿陵山に向かいます」
これには奉遜も言葉を詰まらせた。困惑したように視線を外し、考えこむ。
しばらく経ってようやく、彼が動いた。
「……約束しろ。けして無理をするな。無事で戻るように」
ついに奉遜が折れた。表情は見るからに納得せず、渋々といった様子だったが。
***
妖妃の寿陵山詣りが決まった。大事にせず秘密裏に進めたかったのだが、寿陵山行きの条件として奉遜が多くの護衛をつけたため、後宮の誰もが知ることとなってしまった。
大所帯での移動ということもあり、寿陵山の麓についた頃には日が暮れていた。夜に山道を行くのは危険とのことで、麓の村で一泊することを考えていたのだが――村に入ろうかというところで腕輪が光った。光る宝玉は第三子・嘲風である。
『星蔡、大変だ』
腕輪を見やると同時に嘲風の声がした。物怖じせず落ち着いた嘲風にしては珍しく慌てた声音だ。
『寿陵山に鬼火が見える。人間が襲われている』
「急いで助けに行かなきゃ」
遠視の妖術を得意とする嘲風が言うのだから間違いはない。鬼火を消せるのは妖術だけ。普通の人間ならば鬼火に襲われても抗う術がないのだ。
星蔡は立ち上がった。そして寿陵山を見上げる。
(夜だけれど、一度通っているから道はわかる)
護衛や宇寧明らに知られれば大所帯での移動となり、夜の移動を止められるかもしれない。ならば、ひとりで行動した方がすぐに駆けつけられる。
幸いにも寧明は村の者と話していたのでこちらに気づいていなかった。護衛らの隙をついて星蔡は抜け出す。
「星蔡、ぼくに乗って」
山に向けて駆けていく途中で負屓が袖から顔を出した。負屓の妖術を使えば、霄にいた頃と同じ大きさに戻るため、甲羅に乗って移動できる。星蔡が駆けていくよりも負屓の方が早いだろう。
星蔡は頷き、腕輪に触れる。柔らかく撫でるは第八子、負屓の宝玉だ。
「九竜は第八子、負屓」
唱えると宝玉が水碧色に光る。負屓が袖からと飛び降りた瞬間、彼の体は大きくなった。久しぶりに見る亀竜の姿である。こちらをちらりと見やり、負屓は言った。
「乗って。ぼくが走っていくから」
「ありがとう!」
負屓の甲羅に腰掛け、振り落とされないよう大棘を掴む。負屓は勾配も厭わず、短い手足で跳ねるように地を蹴り上げ、するすると山道をのぼっていく。
そうして寿陵山は中腹まで近づくと、空気が変わった。それは強い妖術が発動していることを示している。おそらく負屓も感じ取ったのだろう。彼は険しい顔つきをし、寿陵山の木々を睨みつけている。
「見えた、あっちにいる」
負屓の声にその方を見やれば、木々の奥にぼうっと碧の光が灯っているのが見えた。鬼火の光だろう。
「襲われている人がいるはず。すぐに向かおう」
星蔡がそう声をかけ、いつでも九竜の力を借りれるようにと腕輪に触れる。だがその瞬間、木の陰から人が現われた。
「やはり来たわね」
その者は大亀に乗った星蔡を見やり、嫌味たらしく微笑んでいる。その顔を確かめ、星蔡は呟いた。
「どうして梨喬がここに……鬼火に襲われていたのは梨喬だったの?」
嘲風は人が襲われていると告げていた。だが梨喬に怪我らしきものは見当たらない。見渡すと梨喬の周囲には柿子色の襦裙を着た宮女らが控えていた。ひとりの裾は焦げて破れている。どういうことかと事態が飲み込めずにいる星蔡を、梨喬が嗤った。
「襲われたのではなく、襲わせたのよ。あんたは昔から頭が足りないから、鬼火に人が襲われているとなればきっと駆けつける。おびき寄せるために宮女を襲わせるふりをしたの」
「襲わせたって、じゃあこの鬼火は……」
梨喬は扇を開き、口元を隠した。それでも嗤っているのがわかる。
「呉家の言い伝え、知っているでしょう。末娘を寿陵山に投げ落とすのは金火狐様に捧ぐため。中腹にある呉家の供物殿には金火狐像がある。つまり呉家は、金火狐様の加護を受けているのよ」
星蔡は息を呑んだ。まさか呉家が金火狐とつながりを持ち、自分が寿陵山の供物になりかけたのも金火狐のためだったとは。
梨喬の影から人が現われた。ぬるりと現われたのは狐面をつけた男――のように見えたが四つにわかれた狐尾が揺れている。人に化けているのだろう。人に化けるほどの、高い妖術を使うあやかしだ。
「金火狐……」
負屓が呟いた。金火狐を警戒し、威嚇するように睨みつける。その金火狐はというと狐面をずらして口元のみをみせる。その唇がにたりと弧を描いた。
「我は金火狐。聞けば星蔡は我の供物となる予定であったとか。いやいや残念です。あの煩わしい霄王竜がこなければ我の腹に収まっていたでしょうに」
「あなたが鬼火を呼び出していたのね」
人に化けるほどの力を持っているのであれば鬼火を放つことも容易いだろう。金火狐はにっこりと頷いた。隣に立つ梨喬が語る。
「金火狐は呉家を助けてくれるのよ。金火狐に頼めば、陛下の寵を得るために邪魔な妃たちを消してくれるの。残るは関妃というところまで追い詰めたのに――なのに」
そこで梨喬が顔をあげ、星蔡を睨みつける。
「もう少しだったのに、あんたがきてしまった! 不気味なあやかし妃のくせに陛下の寵愛を得ようとしている」
「違う、わたしは寵愛なんて――」
「北御苑で陛下と会っていたこと、宮女から聞いているのよ」
これまでの鬼火の件は梨喬が、金火狐と手を組んで行っていたのである。皇帝陛下に気に入られるために他の妃たちを襲わせたのだ。唯一鬼火に襲われていない妃が犯人だったとは。
「陛下に愛され、子を成し、皇后になる。そのためなら邪魔なものだって消してみせる」
「まさかわたしを寿陵山におびき出したのは……」
「そうよ――あんたは陛下に気に入られているようだから、早く片付けてしまわないと」
梨喬が金火狐の方を向いた。金火狐は薄っぺらなほほえみを貼り付けたまま、頷く。そして両の手をかかげた。
「我もずいぶんと腹が減りまして。今度こそこの供物を食べてみせましょう」
ぼう、と碧の炎が灯る。その炎はあっという間に広がり、星蔡の周囲にある木々に燃え移った。
「星蔡!」
負屓に名を呼ばれて我に返る。甲羅の大棘を掴むと、金火狐から距離を取るべく負屓が駆けだした。その間に星蔡は腕輪に触れる。
「九竜は第九子、鴟吻」
『話は聞いていたわ。鬼火を消す』
事情説明せずとも鴟吻は動いた。空に向けて大口を開くと、勢いよく水が放たれる。それは空に向かい、雨となって落ちてきた。
しかし今回は黄鷺宮と異なり範囲が広い。寿陵山の木々に鬼火が燃え移り、火の勢いは増す一方だ。
『黄鷺宮よりも広いから火を消すのに時間がかかるわね』
「ここで待っていられないよ。ぼく、焼き亀になっちゃう」
星蔡は振り返り後方を確かめる。金火狐は両手から鬼火を放ち、星蔡らを追ってきている。負屓に追いつくほどではないが、あやかしなので足が速い。
『まずは逃げて。その間に雨を降らせて火を消すから』
「金火狐はどうしたらいい? 睚眦を呼んでこらしめてもらう?」
星蔡が問う。すると別の宝玉が光った。正義を重んじ、善悪を見極める第七子こと狴犴の宝玉だ。
『睚眦の力を得ても争いは増すだけだ。ひとたび睚眦が怒れば我々の手に負えず、寿陵山なんぞ吹き飛ばしてしまう』
「じゃあどうしよう。いい方法ないかな」
『平和的な解決を望むのなら、相手の目的を阻止することだな』
狴犴は落ち着いた様子で告げた。
『呉家に加護を与えていると話していたが、金火狐の性根は歪んでいる。大人しく仕えるような性質ではない。あれの目的を考えろ』
「金火狐は自分の国を作りたい……」
『そうだ。だから人とあやかしを争わせ、その間に国を乗っ取ろうと考えている。これと逆を行えばよいのだ。人間とあやかしは親しいのだと見せつけることだ』
狴犴はさらりと言ってのけたが、抽象的であるため難しい。星蔡、そして負屓も「うぅん……」と首を傾げていた。
その間にも金火狐は次々と鬼火を放ちこちらを追いかけてくる。鴟吻の妖術によって空は雨雲が覆い、少しずつ雨の勢いが増していくが、寿陵山の火を消すためにはまだ足りない。それまで時間稼ぎとして逃げ回らなければ。
彼は星蔡と会うなり、開口一番に告げた。
「寿陵山に行くなど私は反対だ」
その内容から文は読んでもらえたのだろう。文には鬼火について調べるため寿陵山に行くと認めていた。
「どこかの家から密命を受けたわけではないだろうな」
「違います。鬼火について調べたいだけです」
「だめだ。お前をあの山に向かわせるわけにはいかない。他の者に頼めばよい」
寿陵山は険しい山として知られるが、奉遜の焦りはそれだけが理由ではないのだろう。ここまで反対されるとは想像もしていなかった。鬼火の件を解決したい気持ちは奉遜も同じだと思っていたのだ。
しかし星蔡も折れるわけにはいかない。鬼火が出た時すぐに駆けつけられなければ被害は拡大する。死者だって出るかもしれない。
「わたしは、陛下に反対されようが寿陵山に向かいます。鬼火の件を解決するために」
「それは霄の国を思ってか? 霄のために自らを犠牲にしようとしているのか」
この問いには少し悩んだ。霄の国を守りたいのはもちろんのこと。だがそれだけではない。
「霄だけではありません。わたしは永も、守りたいです」
「なぜだ。お前は永によい思い出がないだろう」
永の国が好きなわけでも妃を守りたいわけでもない。ただなぜか、奉遜のことが浮かんだのだ。
皇帝である奉遜は、ひとりで永の国を背負っている。奉遜が会った妃が襲われることも、奉遜を悩ませているだろう。代わりに背負うことも悩むこともできないが、守ることはできるかもしれない。共に北御苑で花を眺めるような穏やかな時間ぐらいは。
その気持ちを素直に述べる。奉遜をじいと見つめて、告げた。
「陛下がいるこの後宮を守りたい。わたしは寿陵山に向かいます」
これには奉遜も言葉を詰まらせた。困惑したように視線を外し、考えこむ。
しばらく経ってようやく、彼が動いた。
「……約束しろ。けして無理をするな。無事で戻るように」
ついに奉遜が折れた。表情は見るからに納得せず、渋々といった様子だったが。
***
妖妃の寿陵山詣りが決まった。大事にせず秘密裏に進めたかったのだが、寿陵山行きの条件として奉遜が多くの護衛をつけたため、後宮の誰もが知ることとなってしまった。
大所帯での移動ということもあり、寿陵山の麓についた頃には日が暮れていた。夜に山道を行くのは危険とのことで、麓の村で一泊することを考えていたのだが――村に入ろうかというところで腕輪が光った。光る宝玉は第三子・嘲風である。
『星蔡、大変だ』
腕輪を見やると同時に嘲風の声がした。物怖じせず落ち着いた嘲風にしては珍しく慌てた声音だ。
『寿陵山に鬼火が見える。人間が襲われている』
「急いで助けに行かなきゃ」
遠視の妖術を得意とする嘲風が言うのだから間違いはない。鬼火を消せるのは妖術だけ。普通の人間ならば鬼火に襲われても抗う術がないのだ。
星蔡は立ち上がった。そして寿陵山を見上げる。
(夜だけれど、一度通っているから道はわかる)
護衛や宇寧明らに知られれば大所帯での移動となり、夜の移動を止められるかもしれない。ならば、ひとりで行動した方がすぐに駆けつけられる。
幸いにも寧明は村の者と話していたのでこちらに気づいていなかった。護衛らの隙をついて星蔡は抜け出す。
「星蔡、ぼくに乗って」
山に向けて駆けていく途中で負屓が袖から顔を出した。負屓の妖術を使えば、霄にいた頃と同じ大きさに戻るため、甲羅に乗って移動できる。星蔡が駆けていくよりも負屓の方が早いだろう。
星蔡は頷き、腕輪に触れる。柔らかく撫でるは第八子、負屓の宝玉だ。
「九竜は第八子、負屓」
唱えると宝玉が水碧色に光る。負屓が袖からと飛び降りた瞬間、彼の体は大きくなった。久しぶりに見る亀竜の姿である。こちらをちらりと見やり、負屓は言った。
「乗って。ぼくが走っていくから」
「ありがとう!」
負屓の甲羅に腰掛け、振り落とされないよう大棘を掴む。負屓は勾配も厭わず、短い手足で跳ねるように地を蹴り上げ、するすると山道をのぼっていく。
そうして寿陵山は中腹まで近づくと、空気が変わった。それは強い妖術が発動していることを示している。おそらく負屓も感じ取ったのだろう。彼は険しい顔つきをし、寿陵山の木々を睨みつけている。
「見えた、あっちにいる」
負屓の声にその方を見やれば、木々の奥にぼうっと碧の光が灯っているのが見えた。鬼火の光だろう。
「襲われている人がいるはず。すぐに向かおう」
星蔡がそう声をかけ、いつでも九竜の力を借りれるようにと腕輪に触れる。だがその瞬間、木の陰から人が現われた。
「やはり来たわね」
その者は大亀に乗った星蔡を見やり、嫌味たらしく微笑んでいる。その顔を確かめ、星蔡は呟いた。
「どうして梨喬がここに……鬼火に襲われていたのは梨喬だったの?」
嘲風は人が襲われていると告げていた。だが梨喬に怪我らしきものは見当たらない。見渡すと梨喬の周囲には柿子色の襦裙を着た宮女らが控えていた。ひとりの裾は焦げて破れている。どういうことかと事態が飲み込めずにいる星蔡を、梨喬が嗤った。
「襲われたのではなく、襲わせたのよ。あんたは昔から頭が足りないから、鬼火に人が襲われているとなればきっと駆けつける。おびき寄せるために宮女を襲わせるふりをしたの」
「襲わせたって、じゃあこの鬼火は……」
梨喬は扇を開き、口元を隠した。それでも嗤っているのがわかる。
「呉家の言い伝え、知っているでしょう。末娘を寿陵山に投げ落とすのは金火狐様に捧ぐため。中腹にある呉家の供物殿には金火狐像がある。つまり呉家は、金火狐様の加護を受けているのよ」
星蔡は息を呑んだ。まさか呉家が金火狐とつながりを持ち、自分が寿陵山の供物になりかけたのも金火狐のためだったとは。
梨喬の影から人が現われた。ぬるりと現われたのは狐面をつけた男――のように見えたが四つにわかれた狐尾が揺れている。人に化けているのだろう。人に化けるほどの、高い妖術を使うあやかしだ。
「金火狐……」
負屓が呟いた。金火狐を警戒し、威嚇するように睨みつける。その金火狐はというと狐面をずらして口元のみをみせる。その唇がにたりと弧を描いた。
「我は金火狐。聞けば星蔡は我の供物となる予定であったとか。いやいや残念です。あの煩わしい霄王竜がこなければ我の腹に収まっていたでしょうに」
「あなたが鬼火を呼び出していたのね」
人に化けるほどの力を持っているのであれば鬼火を放つことも容易いだろう。金火狐はにっこりと頷いた。隣に立つ梨喬が語る。
「金火狐は呉家を助けてくれるのよ。金火狐に頼めば、陛下の寵を得るために邪魔な妃たちを消してくれるの。残るは関妃というところまで追い詰めたのに――なのに」
そこで梨喬が顔をあげ、星蔡を睨みつける。
「もう少しだったのに、あんたがきてしまった! 不気味なあやかし妃のくせに陛下の寵愛を得ようとしている」
「違う、わたしは寵愛なんて――」
「北御苑で陛下と会っていたこと、宮女から聞いているのよ」
これまでの鬼火の件は梨喬が、金火狐と手を組んで行っていたのである。皇帝陛下に気に入られるために他の妃たちを襲わせたのだ。唯一鬼火に襲われていない妃が犯人だったとは。
「陛下に愛され、子を成し、皇后になる。そのためなら邪魔なものだって消してみせる」
「まさかわたしを寿陵山におびき出したのは……」
「そうよ――あんたは陛下に気に入られているようだから、早く片付けてしまわないと」
梨喬が金火狐の方を向いた。金火狐は薄っぺらなほほえみを貼り付けたまま、頷く。そして両の手をかかげた。
「我もずいぶんと腹が減りまして。今度こそこの供物を食べてみせましょう」
ぼう、と碧の炎が灯る。その炎はあっという間に広がり、星蔡の周囲にある木々に燃え移った。
「星蔡!」
負屓に名を呼ばれて我に返る。甲羅の大棘を掴むと、金火狐から距離を取るべく負屓が駆けだした。その間に星蔡は腕輪に触れる。
「九竜は第九子、鴟吻」
『話は聞いていたわ。鬼火を消す』
事情説明せずとも鴟吻は動いた。空に向けて大口を開くと、勢いよく水が放たれる。それは空に向かい、雨となって落ちてきた。
しかし今回は黄鷺宮と異なり範囲が広い。寿陵山の木々に鬼火が燃え移り、火の勢いは増す一方だ。
『黄鷺宮よりも広いから火を消すのに時間がかかるわね』
「ここで待っていられないよ。ぼく、焼き亀になっちゃう」
星蔡は振り返り後方を確かめる。金火狐は両手から鬼火を放ち、星蔡らを追ってきている。負屓に追いつくほどではないが、あやかしなので足が速い。
『まずは逃げて。その間に雨を降らせて火を消すから』
「金火狐はどうしたらいい? 睚眦を呼んでこらしめてもらう?」
星蔡が問う。すると別の宝玉が光った。正義を重んじ、善悪を見極める第七子こと狴犴の宝玉だ。
『睚眦の力を得ても争いは増すだけだ。ひとたび睚眦が怒れば我々の手に負えず、寿陵山なんぞ吹き飛ばしてしまう』
「じゃあどうしよう。いい方法ないかな」
『平和的な解決を望むのなら、相手の目的を阻止することだな』
狴犴は落ち着いた様子で告げた。
『呉家に加護を与えていると話していたが、金火狐の性根は歪んでいる。大人しく仕えるような性質ではない。あれの目的を考えろ』
「金火狐は自分の国を作りたい……」
『そうだ。だから人とあやかしを争わせ、その間に国を乗っ取ろうと考えている。これと逆を行えばよいのだ。人間とあやかしは親しいのだと見せつけることだ』
狴犴はさらりと言ってのけたが、抽象的であるため難しい。星蔡、そして負屓も「うぅん……」と首を傾げていた。
その間にも金火狐は次々と鬼火を放ちこちらを追いかけてくる。鴟吻の妖術によって空は雨雲が覆い、少しずつ雨の勢いが増していくが、寿陵山の火を消すためにはまだ足りない。それまで時間稼ぎとして逃げ回らなければ。