特別編「思子台幻想」
(注)「炮烙」の続編?ですw
正午前に宮殿へと参内した先代の重臣、聞仲に殷王は「言わずとも良い」とニヤリとした。
今世の魔王さながらの風格の偉丈夫に、浮世離れした美貌の上級大臣が向かい合う様は、両者のオーラと威圧感だけでその場の廷臣たちを圧倒するに十分であった。
「陛下、そろそろ昼の食事時でございます」
朝からの参集と会議であるから朝廷という。そして暗黙の「人払いを」という要望だと、王は即座に理解し、解散を命じる。
「皆の者、本日の朝議はこれまでだ。先に下がって休むが良い」
それを聞いて、皆がどこかホッとした顔で、それでも礼儀を失さないよう、そして退出にまごついて不興を買わぬよう、絶妙の態度で素早く王座を拝んで足早に去って行く(当時の宮廷では王の召使い然として小走りであるのは無礼ではなく模範である)。まことに洗練された宮廷人ぶりであった。
二人きりになると、殷王は「つまらん奴らだ」と小馬鹿にした冗談口を叩く。同レベルの視野と知能がある聞仲くらいしか、込み入った話が出来る相手はいない。
当代の殷王の真の狙いは、大陸全域に中央集権の直轄支配体制を敷き、諸侯を介した連合体ではない、一個の独裁意志による強大な帝国を築くことだった(実際の中国の歴史では千年後以降にはそういう体制になる)。彼の「暴虐」の理由は得意な先験的なビジョンで、気まぐれを装って各地有力者を殺しまくったのが一因である。
同族の長老格で賢人の比干は意図を理解しつつも、新しい急進的な考え方に馴染めず、反対したので殺すしかなかった。比干の場合には自身が王族の有力者であるために、放置すれば王位の廃立を画策する恐れがあった。
だがこの聞仲は「予言者」や仙人の類であっても、しょせん王族ではない。しかも母方の縁戚の氏族でもあるため、今の殷王への絶対的な忠誠心とそれを越える愛情すら抱いている事情がある(今亡き母親への情がその子である殷王にまで転嫁しているのか?)。立場的にも(そして感情として)たとえ個人の政治的な考えでは急進主義に反対であっても、大筋では命令に従って協力する以外に道がない(いざとなれば殉じて死ぬことすら厭わないだろう)。
「それで何かな? また説教でもしにきたか?」
殷王は玉座にくつろいだ調子で、拳で頬杖を突いて面白げに言った。たとえ反対意見で却下であっても、それなりに賢明で真に忠誠心からであれば雑談として楽しむ男である。もっとも、顔色を窺って媚びへつらうばかりで知能が足りない宮廷人たちのことは蔑み切っていたが(どうせ最後には用済みになり次第に七割は殺すつもりなので、当面は暗愚を装って一緒に酒池肉林で懐柔しながらせいぜい油断させておけ、くらいにしか思っていない)。
常々に言うには「中央権力の強化には賛成だが、極端に急ぎすぎたり人倫にもとるやり方は害と危険が大きい」云々。役に立つ意見や指摘をすることもあるため、こういう場合には好きに喋らせることにしている。
「それとも、新しい本物の帝国を成し遂げた暁に来たるであろう、新しい害についてかな?
一人の絶対支配者ではこの大陸を統治しきれずに、結局は力任せの杜撰と苛政になったり、性根の腐った廷臣や役人が好きをやって百姓(百の姓、人民)を苦しめるだけだの、愚か者が最高君主になったら全てが地獄になるだの、前にもそんな話を何度も聞かせてくれたな。あれは面白かったぞ」
すると、聞仲は悲しげに頭を左右にした。
「未来の帝王が作った、未来の建物の夢を見ました。そしてさらに未来の、仙境の帝王の夢も」
「ほう?」
にわかに興味を掻き立てられた殷王は心持ちに玉座から肩を乗り出す。この先代からの大臣であり恩師ですらある聞仲には、特殊な予言の力があると父王や母后からも常々に聞いている。
「して、それは?」
「名前を「思子台」と言います」
そこで言葉をくぎって、悲痛な眼差しを注いでから、聞仲は話を続けた。
「その未来の帝王は「漢の武帝」と言うのですが、絶大な権力を持ちながら、あまり幸福ではなかったのです。心の歪んだ臣下の讒言を信じて誤って自らの太子を殺し、悔いてこ思子(子を思う)台を作ったのです。また、新しい太子の即位後にその外戚が専横をなすのを未然に防ぐために、生母の后を予め殺すようなことまでするしかなかったのです。
恐れながら、陛下や代々の御子の帝王はそのようなふうな運命を望まれるのでしょうか?」
しばしの沈黙があった。
死をも恐れない直言に。
だが殷王はふう、と深いため息を吐いただけで、あえて咎めて怒ることはしなかった。かわりに気を取り直して問いかけた。
「我が股肱の(信頼する側近の)臣よ。して、もう一人の仙境の帝王とは?」
「未来の、東の海の彼方の国の帝王です。たいした権力はないのですが、ひたすらに仁徳によって臣民を感化教育する無為の政治を行い、皆から敬われるあまりに簒奪の不届きは不可能で、ただ太陽のように仰がれるのです」
すると殷王は手を叩いてさも可笑しげに笑うのだった。
「それは未来の、しかも仙境の話というだけのことはある。しかし我が国の現実を考えろとは、そなた自身がしょっちゅうに言っておることではないか」
「左様、夢の話です」
ようやくさっきの直言の緊張が解けたのだが、聞仲は退出前に「私ばかりをそんなに笑いなさるな(あなただって現実離れした夢を見ているではないですか)」と、さりげなく冗談雑じりに釘を刺すことを忘れなかった。
(注)「炮烙」の続編?ですw
正午前に宮殿へと参内した先代の重臣、聞仲に殷王は「言わずとも良い」とニヤリとした。
今世の魔王さながらの風格の偉丈夫に、浮世離れした美貌の上級大臣が向かい合う様は、両者のオーラと威圧感だけでその場の廷臣たちを圧倒するに十分であった。
「陛下、そろそろ昼の食事時でございます」
朝からの参集と会議であるから朝廷という。そして暗黙の「人払いを」という要望だと、王は即座に理解し、解散を命じる。
「皆の者、本日の朝議はこれまでだ。先に下がって休むが良い」
それを聞いて、皆がどこかホッとした顔で、それでも礼儀を失さないよう、そして退出にまごついて不興を買わぬよう、絶妙の態度で素早く王座を拝んで足早に去って行く(当時の宮廷では王の召使い然として小走りであるのは無礼ではなく模範である)。まことに洗練された宮廷人ぶりであった。
二人きりになると、殷王は「つまらん奴らだ」と小馬鹿にした冗談口を叩く。同レベルの視野と知能がある聞仲くらいしか、込み入った話が出来る相手はいない。
当代の殷王の真の狙いは、大陸全域に中央集権の直轄支配体制を敷き、諸侯を介した連合体ではない、一個の独裁意志による強大な帝国を築くことだった(実際の中国の歴史では千年後以降にはそういう体制になる)。彼の「暴虐」の理由は得意な先験的なビジョンで、気まぐれを装って各地有力者を殺しまくったのが一因である。
同族の長老格で賢人の比干は意図を理解しつつも、新しい急進的な考え方に馴染めず、反対したので殺すしかなかった。比干の場合には自身が王族の有力者であるために、放置すれば王位の廃立を画策する恐れがあった。
だがこの聞仲は「予言者」や仙人の類であっても、しょせん王族ではない。しかも母方の縁戚の氏族でもあるため、今の殷王への絶対的な忠誠心とそれを越える愛情すら抱いている事情がある(今亡き母親への情がその子である殷王にまで転嫁しているのか?)。立場的にも(そして感情として)たとえ個人の政治的な考えでは急進主義に反対であっても、大筋では命令に従って協力する以外に道がない(いざとなれば殉じて死ぬことすら厭わないだろう)。
「それで何かな? また説教でもしにきたか?」
殷王は玉座にくつろいだ調子で、拳で頬杖を突いて面白げに言った。たとえ反対意見で却下であっても、それなりに賢明で真に忠誠心からであれば雑談として楽しむ男である。もっとも、顔色を窺って媚びへつらうばかりで知能が足りない宮廷人たちのことは蔑み切っていたが(どうせ最後には用済みになり次第に七割は殺すつもりなので、当面は暗愚を装って一緒に酒池肉林で懐柔しながらせいぜい油断させておけ、くらいにしか思っていない)。
常々に言うには「中央権力の強化には賛成だが、極端に急ぎすぎたり人倫にもとるやり方は害と危険が大きい」云々。役に立つ意見や指摘をすることもあるため、こういう場合には好きに喋らせることにしている。
「それとも、新しい本物の帝国を成し遂げた暁に来たるであろう、新しい害についてかな?
一人の絶対支配者ではこの大陸を統治しきれずに、結局は力任せの杜撰と苛政になったり、性根の腐った廷臣や役人が好きをやって百姓(百の姓、人民)を苦しめるだけだの、愚か者が最高君主になったら全てが地獄になるだの、前にもそんな話を何度も聞かせてくれたな。あれは面白かったぞ」
すると、聞仲は悲しげに頭を左右にした。
「未来の帝王が作った、未来の建物の夢を見ました。そしてさらに未来の、仙境の帝王の夢も」
「ほう?」
にわかに興味を掻き立てられた殷王は心持ちに玉座から肩を乗り出す。この先代からの大臣であり恩師ですらある聞仲には、特殊な予言の力があると父王や母后からも常々に聞いている。
「して、それは?」
「名前を「思子台」と言います」
そこで言葉をくぎって、悲痛な眼差しを注いでから、聞仲は話を続けた。
「その未来の帝王は「漢の武帝」と言うのですが、絶大な権力を持ちながら、あまり幸福ではなかったのです。心の歪んだ臣下の讒言を信じて誤って自らの太子を殺し、悔いてこ思子(子を思う)台を作ったのです。また、新しい太子の即位後にその外戚が専横をなすのを未然に防ぐために、生母の后を予め殺すようなことまでするしかなかったのです。
恐れながら、陛下や代々の御子の帝王はそのようなふうな運命を望まれるのでしょうか?」
しばしの沈黙があった。
死をも恐れない直言に。
だが殷王はふう、と深いため息を吐いただけで、あえて咎めて怒ることはしなかった。かわりに気を取り直して問いかけた。
「我が股肱の(信頼する側近の)臣よ。して、もう一人の仙境の帝王とは?」
「未来の、東の海の彼方の国の帝王です。たいした権力はないのですが、ひたすらに仁徳によって臣民を感化教育する無為の政治を行い、皆から敬われるあまりに簒奪の不届きは不可能で、ただ太陽のように仰がれるのです」
すると殷王は手を叩いてさも可笑しげに笑うのだった。
「それは未来の、しかも仙境の話というだけのことはある。しかし我が国の現実を考えろとは、そなた自身がしょっちゅうに言っておることではないか」
「左様、夢の話です」
ようやくさっきの直言の緊張が解けたのだが、聞仲は退出前に「私ばかりをそんなに笑いなさるな(あなただって現実離れした夢を見ているではないですか)」と、さりげなく冗談雑じりに釘を刺すことを忘れなかった。