第五話「先取る狼煙」
(注)第一部エピローグ(?)

1
 その日、西伯の居城から奇しき狼煙が立ち上った。
 それは決まりにない、意味不明な信号を示していたけれども、裏の事情を知る周囲の都市の者たちは黙って、その不可解な信号を伝言リレーのように伝えていく。
 きっとそれは、殷王を討伐する合図なのだ。
 各方面から察した、同庁する西部エリアで西伯直轄都市周辺の有力者が精鋭の兵士たちを引き連れて参集に駆けつけてくる。上古の時代柄に人口がまだ少ないから、兵士の人数も現代ほどに多くはない。そもそも第一陣は各有力者と側近の精鋭だけで第二陣の追加はまた別である。それに指揮権や直接影響力のある近隣エリアのみの話で、南方や北方、それに東方の協調者や支持者たちは西伯の糾合した軍勢が動くのに呼応する形になるだろう。

「本当に大丈夫だろうか?」

 珍しく不安げな面持ちの西伯に、軍師役の大公ショウはしれっとして答えた。

「慶事にははやり立つものです」


2
 駆けつけた有力者たちと近衛兵は拍子抜けしたが、じきに物々しさは祝い事の笑顔に変わった。
 あの羌の大公の孫娘が、西伯の息子と婚約したために、それを告げ知らせようという祝宴の正体だったのだ。
 もちろん、それは暗黙裏には後の決起と殷王討伐のための様子見と予行演習ではあったけれども(ちゃんと戦力が集まるかの確認である)、まさか何の理由もなしに諸侯を集めるわけにもいかないだろう。そこで宴会ということにすれば文句のつけようもないから、婚約のお披露目を機会として利用したのである。
 白髭の大公ショウは少し戯けた様子で演壇から、申し訳なさそうな態度を作って皆に告げる。元々から人望があって西伯の最側近であることは、仲間内では漠然とは知られているから、語らずとも裏の意味は皆が察したことだろう。

「いやはや! 驚かせて済まなかった! 別に賊が攻めてきたわけでも、怪獣が暴れているわけでもござらん! ただ、孫娘が西伯様のご令息と正式に婚約したので、そのことを皆にお知らせしたかっただけなのだ」

 それは同盟を意味していた。

「ただ、まだ喪が明けない上に齢も十分でないので、今は結婚ではなくて婚約しただけなのだが、これで不幸なこれの親、わしの死んだ息子も冥府で喜び浮かばれると思う。そのために仮の宴席を用意したので、今日は一つ存分に飲み食いして欲しい」

 大公の息子が殷王の兵士襲われて横死したこと、西伯の人質になっていた息子が殺されたことは、既に不幸な話として伝わっている。参集した一同は同情のため息を漏らすと共に、どこかホッとした思いでもあった。

「本当の正式な婚礼は二年後か三年後になるだろうが、そのときにはまた集まってやって欲しい」

 その場にはいつとはなく、祝福の歓声と笑い声が溢れていた。一つには祝い事を素直に喜ぶ気持ち。もう一つには「殷王討伐を二三年後には実行する」という言外のメッセージを理解したからだ。
 華やか賑やかな大宴会の主役、ハツ(発)とユウ(邑)は、さながらお雛様のように座っていた。その傍ではタン(旦)が張り切って礼楽を取り仕切っているのだった(しっかり者の弟である)。

「お義姉(ねえ)さま、お祝い申し上げます」

 十二歳(数え年)のタンはキッチリとした礼服の着こなしは見事だったが、年齢とのミスマッチでかえって可愛らしくもある。なんだか早くもシスコン的な愛情を抱いている節があった。
 しかもその横では、あの先代殷王の「婦」の姉の方の娘(御年は六歳)がちょこんと、将来の夫を見習って義兄夫婦(予定)にご挨拶している。実は彼らもこの機会に婚約したのであったが、殷王に勘ぐられるのを避ける政治的意図もあるのだろうか(それでも真面目で優しいタンには懐いていたし、おおむね前途は明るいだろう)。

「あなたより、弟君の方がしっかりしているわ」
「お前だって! お転婆のお前より、六歳の義妹の方がお嬢さんでまだ上品なくらいだぜ」

 ユウが隣の新郎(仮)のハツを肘で突っつくと、ハツは笑いながら負けずに言い返した。
 それから西伯と親戚である南方の呉の首長から、お祝いに美しい貝殻と勾玉(?のような形に磨いた玉)のネックレスが届いていたので、それを婚約の証に兄弟が二人の娘に贈ったそうだ。


(第一部完)