無表情で無愛想に誉める黒狼を、李鈴はじっと見上げて黒衣の袖を引く。
「なんだ」
「頭を撫でてくださいな。姉さまは誉めるとき必ずそうしてくださいます」
「断る」
にべもなく言い放つ黒狼に向かって、ぷうと頬が膨らんだ。
それくらいしてあげてもよさそうなものだが。
「じゃあ、私が撫でてあげるわね」
艶やかな髪を撫でると、李鈴は気持ちよさそうに喉を鳴らした。まるで猫のように可愛らしい。
「結さま、もっとです」
結蘭に甘えて擦り寄るのを、黒狼が首根を掴んで引き離す。
「もういいだろう。帰るぞ」
李鈴に門扉で別れを告げ、清華宮へと戻る道すがら天を見上げる。
茜から藍の色に染まり始めた西の空に、宵の明星が煌めいた。
「どういうことかしら?」
「わからん」
運び込まれたと推察した闇塩は見つからなかった。
だが、永寧宮にはなにか秘密がある。
どこか見落としている気がする……。
黒狼は、ふとつぶやいた。
「そういえば、なぜ塩の備蓄がないんだろうな」
「えっ……?」
麻袋の中身はすべて穀物だった。闇ではない正規であるはずの塩も、一粒もないのだ。
結蘭の庫房には米のほか、もちろん塩も貯蔵されている。
「そうね……。どうしてかしら。永寧宮の鼠は塩が好物なのかな?」
「それは珍獣だな」
呆れながらも微苦笑を混ぜた黒狼の横顔を、ちらりと仰ぐ。
朝からの不機嫌は治ったらしい。とはいえ、いつもの無愛想とあまり大差ない。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、清華宮の門前に怖い顔をした朱里が待ち構えていた。
結蘭はおそるおそる、声をかけてみる。
「ただいま……。朱里、どうかした?」
「お早いお帰りでございますね。夕餉が冷めてしまいました。今までいったい、どちらへ?」
いえあの、と言葉を濁し、素早く門内へ駆け込む。
夜遊びを咎める朱里の声が追い縋ってきた。振り返った黒狼はひと言、告げた。
「逢引きだ」
「なんですって⁉」
火に油を注いでしまった。
激怒して捲し立てる朱里と黒狼の応酬が展開される。
冷めた夕餉に箸をつけながら、結蘭は小さく溜息を吐いた。
翌日、丞相府にて事の顛末を報告した。
本日は詠帝は訪れていない。結蘭と黒狼が闇塩についての任務を負っていることは秘密なので、呂丞相を通して伝えてもらうことになる。
後宮に現れた賊の正体はわかっていない。永寧宮についても謎のままだ。
報告を聞いた呂丞相はしばらくの間、白髯を撫でつけていた。
「ふむ。それだけではなんとも言えんのう。不確定な情報が多すぎる」
だから意見を仰ぎにきたのだが。
黒狼の盛大な溜息が吐かれるが、呂丞相は眉ひとつ動かさず茶を啜った。
「敬州の塩湖を御存知かな?」
塩の製造は、塩湖・塩田・海水の天日干しなどいくつかの方法がある。儀国は自然が生み出した塩湖を抱えており、塩生産の大部分を担っていた。
「存じています。行ったことはありませんが」
「敬州の夏太守という男がおってな。夏氏一族はたいそうな富豪で、闇塩で財を成したという噂がある」
「太守は州の重鎮ではありませんか」
「だから手が出せないんじゃ。塩湖の塩は、すべて夏氏が牛耳っている。昨年、大司農が直々に文句を言ってやると、帳簿片手に出かけていったらな……」
夏太守に追い返された大司農の冒険譚を長々と語る呂丞相に、痺れを切らした黒狼は冷淡な声音で告げた。
「呂丞相。結論をどうぞ」
長袍をひるがえし、呂丞相は床に両手をついて土下座する。老人とは思えない機敏さである。
「頼む、結蘭公主! 敬州へ行って夏太守の動向を探ってきてくれ。きっと闇塩にかかわりがあるはずじゃ」
「呂丞相さま、お願いです。頭を上げてください」
「なんだ」
「頭を撫でてくださいな。姉さまは誉めるとき必ずそうしてくださいます」
「断る」
にべもなく言い放つ黒狼に向かって、ぷうと頬が膨らんだ。
それくらいしてあげてもよさそうなものだが。
「じゃあ、私が撫でてあげるわね」
艶やかな髪を撫でると、李鈴は気持ちよさそうに喉を鳴らした。まるで猫のように可愛らしい。
「結さま、もっとです」
結蘭に甘えて擦り寄るのを、黒狼が首根を掴んで引き離す。
「もういいだろう。帰るぞ」
李鈴に門扉で別れを告げ、清華宮へと戻る道すがら天を見上げる。
茜から藍の色に染まり始めた西の空に、宵の明星が煌めいた。
「どういうことかしら?」
「わからん」
運び込まれたと推察した闇塩は見つからなかった。
だが、永寧宮にはなにか秘密がある。
どこか見落としている気がする……。
黒狼は、ふとつぶやいた。
「そういえば、なぜ塩の備蓄がないんだろうな」
「えっ……?」
麻袋の中身はすべて穀物だった。闇ではない正規であるはずの塩も、一粒もないのだ。
結蘭の庫房には米のほか、もちろん塩も貯蔵されている。
「そうね……。どうしてかしら。永寧宮の鼠は塩が好物なのかな?」
「それは珍獣だな」
呆れながらも微苦笑を混ぜた黒狼の横顔を、ちらりと仰ぐ。
朝からの不機嫌は治ったらしい。とはいえ、いつもの無愛想とあまり大差ない。
ほっと胸を撫で下ろしたのも束の間、清華宮の門前に怖い顔をした朱里が待ち構えていた。
結蘭はおそるおそる、声をかけてみる。
「ただいま……。朱里、どうかした?」
「お早いお帰りでございますね。夕餉が冷めてしまいました。今までいったい、どちらへ?」
いえあの、と言葉を濁し、素早く門内へ駆け込む。
夜遊びを咎める朱里の声が追い縋ってきた。振り返った黒狼はひと言、告げた。
「逢引きだ」
「なんですって⁉」
火に油を注いでしまった。
激怒して捲し立てる朱里と黒狼の応酬が展開される。
冷めた夕餉に箸をつけながら、結蘭は小さく溜息を吐いた。
翌日、丞相府にて事の顛末を報告した。
本日は詠帝は訪れていない。結蘭と黒狼が闇塩についての任務を負っていることは秘密なので、呂丞相を通して伝えてもらうことになる。
後宮に現れた賊の正体はわかっていない。永寧宮についても謎のままだ。
報告を聞いた呂丞相はしばらくの間、白髯を撫でつけていた。
「ふむ。それだけではなんとも言えんのう。不確定な情報が多すぎる」
だから意見を仰ぎにきたのだが。
黒狼の盛大な溜息が吐かれるが、呂丞相は眉ひとつ動かさず茶を啜った。
「敬州の塩湖を御存知かな?」
塩の製造は、塩湖・塩田・海水の天日干しなどいくつかの方法がある。儀国は自然が生み出した塩湖を抱えており、塩生産の大部分を担っていた。
「存じています。行ったことはありませんが」
「敬州の夏太守という男がおってな。夏氏一族はたいそうな富豪で、闇塩で財を成したという噂がある」
「太守は州の重鎮ではありませんか」
「だから手が出せないんじゃ。塩湖の塩は、すべて夏氏が牛耳っている。昨年、大司農が直々に文句を言ってやると、帳簿片手に出かけていったらな……」
夏太守に追い返された大司農の冒険譚を長々と語る呂丞相に、痺れを切らした黒狼は冷淡な声音で告げた。
「呂丞相。結論をどうぞ」
長袍をひるがえし、呂丞相は床に両手をついて土下座する。老人とは思えない機敏さである。
「頼む、結蘭公主! 敬州へ行って夏太守の動向を探ってきてくれ。きっと闇塩にかかわりがあるはずじゃ」
「呂丞相さま、お願いです。頭を上げてください」