星祭りの儀が終わり、天の川は悠久の瞬きを地上に降らせる。
 後宮に暮らす人々が寝静まり、虫たちは細い歌声を綴る。
 宵闇の緞帳が辺りを覆う頃、結蘭は燭台の灯りを頼りに、寝着から紫苑の衣袍へと着替えた。
「支度できたわよ、黒狼」
 短剣を懐に収める。音も無く隣室から現れた黒狼は小さな溜息を吐いた。
「俺が行くから待っていろ……と言っても無駄だろうな」
「当然」
 数日前、ふたりは呂丞相から呼び出された。
 怪しい者が夜な夜な後宮に出入りしている。闇塩に関わっているかもしれないので、その正体を秘かに調べてほしいということだった。
 夜番の衛士はなにをしているのかという黒狼の質問に、呂丞相は胸を張って、賄賂で懐柔された衛士に賄賂を渡して情報を得たと答えた。まるで謎解きである。
 深夜の後宮を調査するなんて未知の世界で、期待に胸を膨らませる。
 そんな結蘭を、黒狼は幾度も諫めた。公主が夜更けに出歩くな、俺がひとりで調査する、と説得されても、結蘭の好奇心は収まらない。
「もう一度だけ言う。俺がひとりで行く。結蘭を危険な目に遭わせられない」
 真正面から見つめられて、結蘭は力強く頷いた。
「黒狼がいれば危険な目に遭わないから大丈夫」
「……絶対に俺から離れるな」
「わかったわ」
 ついに黒狼は折れた。
 燭台の炎を吹き消し、闇へと身を投じる。
 処暑を過ぎた外気が、ひんやりと肌を刺す。
 草むらの蟋蟀が控えめに唄う子の刻。下弦の月は滴る血のごとく紅い。
「東門から周るぞ」
 衛士を懐柔しているということは、御用聞きの通用門から出入りしていると推察できる。後宮に続く内朝の門は夜間はすべて施錠するが、内側から開ければ侵入は容易だ。通用門は東西南北と四つある。
「二手に分かれたほうが効率良く見張れるんじゃない?」
 結蘭の提案は、ひとにらみで却下された。離れるなと言われたばかりだった。
 夜番の衛士が隊列を組んで見廻りするのを、柱の陰に隠れてやり過ごす。
「怪しい者とは塩賊の一味かもしれない。遭遇してもいきなり斬りつけるなよ」
「その台詞は、そのまま黒狼に返すわね」
 東、南と一刻ほどかけて物陰から門を観察したが、異変は見られなかった。
「次は西門だ。眠くないか?」
「全然。すごく冴えてきちゃった」
 初めての緊張に満ちた体験に、身体と精神は昂ぶっていた。夜半に起きているせいもあって、妙に高揚して嬉々とした表情がこぼれてしまう。
「遊びじゃないんだぞ」
「わかってるわよ。大丈夫だから」
「明日は寝坊決定だな」
「黒狼こそ」
「俺は……しっ」
 不穏な気配を察した黒狼に、身体ごと抱えられる。素早く壁際へ移動して息をひそめた。
 車輪の回る規則的な音が近づいてくる。
覆面をした複数の男たちが、台車を引いて夜闇のなかを駆けていく。
 こんな時刻に不審だ。あれが呂丞相の指摘した怪しい者たちかもしれない。
 尾行しようと、黒狼と目で合図を交わすが、台車は角を曲がり、結蘭たちが潜んでいる路地へ向かってきた。
 まずい。前を通られたら、確実に見つかる。
 台車は目前に迫ってきた。黒狼は結蘭を壁に押しつけるようにすると、路に躍り出た。
「何者だ、貴様ら」
 黒狼は堂々と誰何した。
 行く手を塞がれた男たちには怯む様子がない。突然現れた黒狼を前にして、機械仕掛けのように足を止める。ひとりが、すいと前へ進み出た。
 男はためらいもなく剣を抜き、正眼に構える。
 戦う気だ。
 黒狼が瞬速で抜刀すると、闇のなかに白刃が閃いた。
 一閃が交わされる。
 それから繰り返される激しい斬撃の応酬。
 男が機敏な動きで避けると、黒狼は切り返す。両者の腕は互角だ。