話とはなんだろう。老師のように公主としての心構えがなっていないなどという、お説教だろうか。ああ、溜息がこぼれる。
丞相府を訪れると、衛士に客用の房間へ案内される。
書や陶磁器がずらりと展示されているので眺めてみると、落款印には呂と記されていた。呂丞相の自作らしい。
「下手の横好きか」
「黒狼、正直すぎ」
軽口を叩きあっていると、叩扉の音が響く。
慌てて居住まいを正すと、呂丞相と共に詠帝が姿を見せた。
「へ、陛下⁉」
まさか皇帝も現れるとは思ってもいなかったので、結蘭は驚きの声をあげる。膝をついて礼をしようとする結蘭を、詠帝はてのひらを上げて遮った。
「姉上、礼はよい。今はお忍びで丞相府へ参ったので、弟として接してほしい」
「お忍びなんですか?」
呂丞相に椅子を勧められ、円卓を囲んで腰を掛けた。黒狼も同席を求められたので、彼も着席する。
扉の外に誰もいないことを念入りに確認した呂丞相は、話を切り出す。
「今日、お呼びしたのは、結蘭公主のお力をお借りしたいという陛下よりのご相談じゃ。公主を召還した竹簡に書いてありましたな」
「そうでしたよね。どうして謁見のときは言ってくださらなかったのですか?」
呂丞相は許可を求めるかのように詠帝をうかがった。
詠帝はひとつ頷き、結蘭に向き直る。
「姉上、私は皇帝だが、この国の者すべてが味方ではないのだ。人にはそれぞれ思惑がある。そして悪者も常に存在する。この金城にも。その悪者が悪行を成そうとすることを秘密裏に処理する必要がある。おわかりだろうか」
威厳に満ちた物言いは、確かに彼が儀国の皇帝であると感じさせた。
結蘭は、ごくりと息を呑んで頷く。
「わかります。私にできることならお手伝いするわ」
「感謝する。これから言うことは内密にしてほしい。よいな?」
詠帝は黒狼に目を向け、彼にも同意を求めた。
「無論」
ひと呼吸置いて、詠帝は一粒の質問を投げかけた。
「姉上は闇塩というものを御存知か?」
「闇塩……。闇市場で取引される塩のことね。盗品だから、すごく安いんでしょ?」
古来より塩は貴重なものとされ、その生産と流通販売はすべて国家が占有してきた。
財政が傾けば塩の課税が跳ね上がり、そうすると必然的に闇が市場に出回ることになる。塩賊によって奪われた塩が正規価格よりも安い値で取引され、それを取り締まる官吏が賄賂によって懐柔される。それらを一掃するため、さらに塩の値段は吊り上げられ、同じことが繰り返される。
塩を巡る攻防と国家財政は切り離せない問題だと、詠帝は解説した。
「その闇塩を、宮廷の者が秘かに買占めているという噂があるのだ」
「どうしてそんなことするのかしら。塩は支給されるわよね」
宮廷に勤める官職の者は皆、俸禄として日常の衣食は支給される。
黒狼は双眸を細めた。
「横流しで不正に利益を得るためだ。国家反逆罪だな」
「そうなのだ。調査によると、かなりの量だと推測される。宮廷人が闇塩に手を染めているなどと明るみに出れば、国家の尊厳にかかわる。その者の地位によっては、何万人もの人間が処刑されるやもしれない。だから闇塩の隠し場所を見つけて穏便に事を済ませたいのだ。そこで、姉上の出番である」
「えっ。そこで、私?」
「お願いだ。姉上の虫と話せるという能力を使って、闇塩の隠し場所か、もしくは犯人を見つけてくれないだろうか」
まさか闇塩の秘密を探れだなんて。
相談の域を超えている。
国家の尊厳や何万人もの命がかかわるという大事に、結蘭は腰が引けてしまった。
「そんな。私は虫と話せるだけで、すべてを見通せるわけじゃないのよ」
「人が見ていないものを、虫は見知っているかもしれない。それに蟻を辿れば塩の行方もわかるだろう」
「それは砂糖!」
「そうか……。姉上は、朕の頼みを聞いてくれないのか……」
しゅんと項垂れて、黄袍に埋もれるように詠帝は小さくなった。呂丞相は苦渋を浮かべて結蘭に平伏する。
「どうか、蟲公主と誉れ高い結蘭殿のお力をお貸し下され。我々では目立ちすぎて動けませぬゆえ。危険なことはありませぬ、たぶん」
丞相府を訪れると、衛士に客用の房間へ案内される。
書や陶磁器がずらりと展示されているので眺めてみると、落款印には呂と記されていた。呂丞相の自作らしい。
「下手の横好きか」
「黒狼、正直すぎ」
軽口を叩きあっていると、叩扉の音が響く。
慌てて居住まいを正すと、呂丞相と共に詠帝が姿を見せた。
「へ、陛下⁉」
まさか皇帝も現れるとは思ってもいなかったので、結蘭は驚きの声をあげる。膝をついて礼をしようとする結蘭を、詠帝はてのひらを上げて遮った。
「姉上、礼はよい。今はお忍びで丞相府へ参ったので、弟として接してほしい」
「お忍びなんですか?」
呂丞相に椅子を勧められ、円卓を囲んで腰を掛けた。黒狼も同席を求められたので、彼も着席する。
扉の外に誰もいないことを念入りに確認した呂丞相は、話を切り出す。
「今日、お呼びしたのは、結蘭公主のお力をお借りしたいという陛下よりのご相談じゃ。公主を召還した竹簡に書いてありましたな」
「そうでしたよね。どうして謁見のときは言ってくださらなかったのですか?」
呂丞相は許可を求めるかのように詠帝をうかがった。
詠帝はひとつ頷き、結蘭に向き直る。
「姉上、私は皇帝だが、この国の者すべてが味方ではないのだ。人にはそれぞれ思惑がある。そして悪者も常に存在する。この金城にも。その悪者が悪行を成そうとすることを秘密裏に処理する必要がある。おわかりだろうか」
威厳に満ちた物言いは、確かに彼が儀国の皇帝であると感じさせた。
結蘭は、ごくりと息を呑んで頷く。
「わかります。私にできることならお手伝いするわ」
「感謝する。これから言うことは内密にしてほしい。よいな?」
詠帝は黒狼に目を向け、彼にも同意を求めた。
「無論」
ひと呼吸置いて、詠帝は一粒の質問を投げかけた。
「姉上は闇塩というものを御存知か?」
「闇塩……。闇市場で取引される塩のことね。盗品だから、すごく安いんでしょ?」
古来より塩は貴重なものとされ、その生産と流通販売はすべて国家が占有してきた。
財政が傾けば塩の課税が跳ね上がり、そうすると必然的に闇が市場に出回ることになる。塩賊によって奪われた塩が正規価格よりも安い値で取引され、それを取り締まる官吏が賄賂によって懐柔される。それらを一掃するため、さらに塩の値段は吊り上げられ、同じことが繰り返される。
塩を巡る攻防と国家財政は切り離せない問題だと、詠帝は解説した。
「その闇塩を、宮廷の者が秘かに買占めているという噂があるのだ」
「どうしてそんなことするのかしら。塩は支給されるわよね」
宮廷に勤める官職の者は皆、俸禄として日常の衣食は支給される。
黒狼は双眸を細めた。
「横流しで不正に利益を得るためだ。国家反逆罪だな」
「そうなのだ。調査によると、かなりの量だと推測される。宮廷人が闇塩に手を染めているなどと明るみに出れば、国家の尊厳にかかわる。その者の地位によっては、何万人もの人間が処刑されるやもしれない。だから闇塩の隠し場所を見つけて穏便に事を済ませたいのだ。そこで、姉上の出番である」
「えっ。そこで、私?」
「お願いだ。姉上の虫と話せるという能力を使って、闇塩の隠し場所か、もしくは犯人を見つけてくれないだろうか」
まさか闇塩の秘密を探れだなんて。
相談の域を超えている。
国家の尊厳や何万人もの命がかかわるという大事に、結蘭は腰が引けてしまった。
「そんな。私は虫と話せるだけで、すべてを見通せるわけじゃないのよ」
「人が見ていないものを、虫は見知っているかもしれない。それに蟻を辿れば塩の行方もわかるだろう」
「それは砂糖!」
「そうか……。姉上は、朕の頼みを聞いてくれないのか……」
しゅんと項垂れて、黄袍に埋もれるように詠帝は小さくなった。呂丞相は苦渋を浮かべて結蘭に平伏する。
「どうか、蟲公主と誉れ高い結蘭殿のお力をお貸し下され。我々では目立ちすぎて動けませぬゆえ。危険なことはありませぬ、たぶん」