あっさり教えてもらえたので、拍子抜けした私は肩の力を抜く。
 柊夜さんの父親の名は、『御嶽』というらしい。
 自分の父の名すら知らない私は、それだけで新鮮な驚きに包まれた。
 けれど夜叉の地位を柊夜さんに譲り引退したということは、あまりここへは来ないのかもしれない。柊夜さんとは仲違いをしているという事情もあると思われる。
「そ、そうなの。御嶽さまは、どんな方なのかしら」
「先代の夜叉です」
「……えっと、性格とか。柊夜さんと似ているの?」
「お姿はよく似ておられます。性格とは、なにを指しているのかよくわかりません」
 淀みなく答える風天だけれど、主がどのような性質かということについては頓着しないようだ。これでは御嶽が厳しい人なのか、それとも優しいのかわからない。
 いつか、会ってみたい。柊夜さんが許してくれるのなら。
 そして悠に、『おじいちゃん』と呼ばせてあげたかった。
 その日が訪れることを願ってやまない。
 紅色の着物を纏うと、気持ちが引きしまるようだった。
 私は、夜叉の花嫁なのだ。
 胸に芽生えたこの誇りを、ずっと忘れずにいよう。
「あかりさま。髪飾りは、いかがいたしましょう」
 麗しい数々の髪飾りは、どれも壮麗な着物に似合うだろう。
 けれど、やはり私の目にとまったのは、紅い花々を集めた髪飾りだった。
「これがいいわ。着物と、同じ色だから」
 それは愛しい夜叉の瞳の色だ。
 まるで柊夜さんの魂であるかのように、そっと花かんざしをすくい上げる。壊れてしまわないよう、優しく。
 手ずから髪に花かんざしを挿す。
 鏡を見ると、そこには見たこともない私がいた。
 夜叉の花嫁として、綺麗になれただろうか。
 美しく着飾った姿を、柊夜さんは見てくれるだろうか。
 白粉と紅を塗り、彼を想った私は薄く微笑んだ。



 支度が調うと、部屋の扉が開く。
 悠を抱きかかえていた柊夜さんの恰好に、私は目を見開いた。
 漆黒の着物は輝く星のような金箔に彩られている。首元を飾る象牙色の襟巻きが、端麗な美貌に華を添えていた。
 まるで貴族の水干装束のような、高貴さを匂わせる和装だ。体躯がよいのでとても似合っている。
 どきどきと胸を高鳴らせる。
 私の旦那様はなんて素敵なのだろう。
 ところが柊夜さんも驚いた顔をして私を見ていた。
「なんて綺麗なんだ……。俺の花嫁はこんなにも美しいと知るために、俺は今ここにいるのだな。これはもう一度求婚しなければならないようだ」
 彼がこぼした感嘆のつぶやきが、喜びの羽毛となって胸に舞い上がる。
 そんなふうに褒めてもらえるなんて思わなかったから、嬉しくて恥ずかしくて、頰が朱に染まる。
「ありがとう、柊夜さん。こんなに綺麗な着物を着られて、すごく嬉しいです」
 目元を緩めた彼は、まるで愛でる花をもっと近くで見ようとするかのように、音もなく歩み寄ってきた。
 腕を伸ばすと、私の髪に挿した花の花弁に、そっと指先を触れさせる。
「喜んでもらえてよかった。あかりには着物が似合うのではないかと思っていたからね」
 これが結婚式の代わりの装束ということなのかはわからないけれど、初めて夜叉の居城に迎え入れられ、美しい着物を着せてもらえた喜びは得がたいものだった。
 なによりも、柊夜さんが笑みを向けてくれたことが、私にとって最高の贈り物だ。
「あぶぅ……」
 悠も私たちと同じように、とても可愛らしい童水干に着替えていた。
 けれど世にも奇妙なものを見たように、驚いて私を凝視している。
「いつもと違う姿だから、ママはどうしてしまったのかと驚いているようだな」
「あっ……そういうことですか。――おいで、悠」
 両手を差しだすと、悠は慌てて手足をばたつかせる。
 美しく着飾ったママは別人だと思ったのかもしれない。ちょっぴり哀しい。
 柊夜さんは、すとんと悠を床に下ろした。
 私の周囲をぐるぐると回りだした悠は、私が本物のママなのかジャッジしているようである。その様子が可愛らしくて、くすりと笑いがこぼれた。
「悠が驚いている間に会合を済ませてしまおう。ぐずったら大変だからな。すでに那伽と羅刹は来ている」
 羅刹もいると聞いて、かすかな不安が胸を掠めた。
 柊夜さんに嫉妬していると言われたことが響いたから。
 嫉妬の感情が湧くということは、そんなにも私のことを好きでいてくれているという証明であるわけで、舞い上がってしまいそうになる。
 けれど、彼らはごく近い存在の鬼神なので、味方にも敵にもなりえる関係なのだと思えた。
 だからこそ私のために争ったりしないでほしい。
 ためらっていると、悠は小さな足を軸に、くるりと向きを変えた。
 私たちがついてくるのを確認するかのように振り向いて、「う」と言う。