小人にお茶を出す日が来るなんて、誰が想像できるだろう。
とりあえず二人に敵意はないことはわかったので、詳しい事情を聴くため、逃げないで、そのままテーブルの上にいて、と引き留めた。警戒心を解いてもらうため、咄嗟に、飲み物持ってきます、と言って部屋を出た。
一階に下りてキッチンで自分の分の麦茶を注ぎ、さて小人二人の分はどうしようかと思い悩む。お母さんが引っ越して真っ先に片付けた食器棚の隅っこに、おちょこを見つけた。ちょうど二つある。
「これ、俺の分? それでも相当でかいんだけど」
「シンバ、文句言うな。ありがとうね、お嬢さん」
二人は自分の身体の半分ほどもあるおちょこを持ち上げて、ごくごく、麦茶を飲んだ。それにしても、小さい。たぶん十五センチか、二十センチくらいしかない。小人なんて、子どもが読む絵本や童話の世界にしかいないものだと思ってた。
小学校の時図書室で小人が出てくる本を見つけた時は、夢中で読んだっけ。あまんきみこさんの本だった。とても面白い本だったけど、でも本の中の世界が、現実になってしまうなんて。
やっぱり夢を見ているのかと思い、頬をつねる。普通に、痛い。
「言っとくけど、夢じゃないぞ」
シンバが鋭い声を出した。
「お前が見ているものは、間違いなく現実だ。俺たち家族はじいちゃんの代から七十年、この家の屋根裏、ちょうどお前の部屋の真上あたりで生活している」
「あなたたちは……本当に小人なの?」
「お嬢さん、信じられないかもしれないけれど、本当にいるんだ」
シンバのお父さんが何かを観念したような声を出した。
「今では小人は、子どもが読む本の中の登場人物でしかないだろう? でも人類の歴史を遡ると、遥か昔から、人間が地球に登場したのと同時期に、小人も存在している。昔は、いい時代だった。
人間は小人に狩りで獲った食料を与え、小人はありがたくそれを頂戴していた。人間と同時に、宴を囲むこともあったーーでも人間たちが高度な文明を築き、人間の生活が便利になっていくにつれて、人間は小人を忌み嫌うようになった」
「それは、どうして……?」
シンバのお父さんは、俯いたまま語り続ける。
「人間は自分の生活が豊かになるにつれて、ケチになっていったんだよ。小人に分け与えるわずかな食糧さえ、惜しむようになった。ひいては自分の家に棲みつき生活する小人を、邪魔者扱いした。生活が便利になると、心が貧しくなるのかもしれないね。
しかし人間に依存しないと、人間より遥かに非力な私たちは生きていくことができない。次第に小人たちは人間に姿を隠し、人間に気取られないようにひっそりと人間の家に住みついて生きるようになった。人間と宴を囲むことは、なくなった」
「あの……じゃあ、あなたたちみたいな人は、どの家にもいるんですか?」
シンバのお父さんが弱弱しく首を振る。
「人間が飢餓や戦争や、凄惨な歴史を繰り返すと共に、小人の数も減っていった。今や絶滅危惧種で、地球上から存在すら危うい立場にある。だから小人が住む家は、珍しいよ。今どきのアパートやマンションにはまず住めないしね。小人が住む家は、だいたいこの家ぐらい、古い家だ。その家から生活に必要なものを『借り』て、日々つつましく過ごしている」
「――事情はわかりました」
わかったと口にしてはみても、本当まだ半分も飲み込めていない。これは現実だっていくら厳しく言われたって、まだ夢を見ているみたいに思ってしまう。おとぎ話の設定をこれから受け入れてくれといきなり言われたところで、うんと首を縦に振れるほど、わたしは純真無垢な子どもじゃない。もう高校生なんだ。小人なんて絵本の中にしかいないって、そう思い込んで生きてきた。それが、当たり前のことだから。
でも、シンバもシンバのお父さんもひどく張りつめた表情をしていて、その言葉に嘘はないと信じられた。七十年この家に住み続け、その存在を隠していた小人たちが、こうして人間を前にして、切実に自らの不遇な境遇を訴える。少なくとも二人は、悪い人じゃない。やむにやまれぬ事情があって、こっそり生き続けて来ただけだ。
「それで、お嬢さん。こちらの事情を話した上で、あなたにお願いがあるんだが……」
「なんですか?」
「俺たちを見たこと、誰にも言わないでほしいんだ」
シンバが強い口調で言う。よく見るとシンバの顔はくっきりと彫りが深く、まるで外国人みたいだ。小人のルーツは、外国にあるのかもしれない。
「小人の世界では昔から、ひとつ守らなければいけない掟がある。人間に見られてはいけない、って。弱い俺たちを守るための掟だった。だからお前に姿を見られた以上、俺たちは本当はこの家にいてはいけない」
「引っ越すの?」
「それも大変だ。さっき父さんが言ったけど、俺たちはどの家にも住めるってわけじゃないから。だからこれからも、俺たちはここにいたい。お前が家族にも友だちにも俺たちの存在を明らかにしなければ、俺たちはこれからもこの家に居続けられる。すべてはお前に懸かってるんだ」
シンバの口調は、切実だった。シンバのお父さんがぐい、とシンバの後頭部に手をやり頭を下げさせ、自分も頭を下げる。
「私からも頼む。お願いだ。私たちを見たこと、誰にも言わないでほしい」
頭を下げる、二人の小人。このお願いは、シンバ一家の運命が懸かった大きなものだ。
しばらく、間があった。テーブルライトだけを点けた薄闇の部屋に、時計の秒針がちく、たく、と時を刻む音だけがやたら大きく響く。
「……わかりました」
ほっとした顔で、二人が頭を上げる。シンバに至っては、唇の両側がうっすら持ち上がっていた。
「あなたたちはわたしたち家族に危害を加えるわけじゃない。必要なものを少しだけ『借り』て生活してるんですよね? それならわたしに、あなたたちの存在を拒む理由はありません。どうぞ今までどおり、屋根裏で暮らし続けてください」
「ありがとう……お嬢さん」
「お前、話のわかる奴だな!」
「シンバ、お嬢さんに失礼だろ。奴とか言っちゃ」
シンバがお父さんに頭を小突かれている。そんな姿は思春期のやんちゃな子どもに手を焼く親子そのもので、わたしたち人間とまったく変わりないように見えた。
小人は身体が小さいだけで、心は人間と同じなんだ。
「お前、名前なんて言うんだ? 最近は人間の世界では、キラキラネームだのDQNネームだの、流行ってるんだろ? お前も変な名前なのか?」
「何それ、失礼ね、あなた……たしかにわたしの名前、ちょっと響きは外国人っぽいけど、DQNネームっていうほど変わってないよ。同級生には読めないような名前の子もいるんだから」
「へー、なんて名前だ?」
「花音。荒川花音。花に音って書いて、花音って読むの。死んだおじいちゃんがつけてくれた」
「年寄りが考えたにしては、イケてる名前じゃねぇか。これからよろしくな! 花音! 俺、花音がほとんど毎日食べてるそのお菓子、結構好きなんだよ。明日からも借りてくから!」
「好きにしていいよ、シンバ」
シンバが小さい手を出して、小指を出した。爪の先ほどの、ちっちゃな小指だった。
「とにかく、俺たちのことは絶対に誰にも言うなよ! 指切りげんまん!」
「指切りげんまんって。シンバ、歳は見たところわたしと同じくらいなのに、発想が子どもっぽいね」
「うっせーよ! 早くしよーぜ! 指切り!」
せがむシンバのちっちゃな指に、わたしは自分の小指をそっとあてた。
初めて触った小人の身体の小さな小さな一部分は、やわらかかった。
とりあえず二人に敵意はないことはわかったので、詳しい事情を聴くため、逃げないで、そのままテーブルの上にいて、と引き留めた。警戒心を解いてもらうため、咄嗟に、飲み物持ってきます、と言って部屋を出た。
一階に下りてキッチンで自分の分の麦茶を注ぎ、さて小人二人の分はどうしようかと思い悩む。お母さんが引っ越して真っ先に片付けた食器棚の隅っこに、おちょこを見つけた。ちょうど二つある。
「これ、俺の分? それでも相当でかいんだけど」
「シンバ、文句言うな。ありがとうね、お嬢さん」
二人は自分の身体の半分ほどもあるおちょこを持ち上げて、ごくごく、麦茶を飲んだ。それにしても、小さい。たぶん十五センチか、二十センチくらいしかない。小人なんて、子どもが読む絵本や童話の世界にしかいないものだと思ってた。
小学校の時図書室で小人が出てくる本を見つけた時は、夢中で読んだっけ。あまんきみこさんの本だった。とても面白い本だったけど、でも本の中の世界が、現実になってしまうなんて。
やっぱり夢を見ているのかと思い、頬をつねる。普通に、痛い。
「言っとくけど、夢じゃないぞ」
シンバが鋭い声を出した。
「お前が見ているものは、間違いなく現実だ。俺たち家族はじいちゃんの代から七十年、この家の屋根裏、ちょうどお前の部屋の真上あたりで生活している」
「あなたたちは……本当に小人なの?」
「お嬢さん、信じられないかもしれないけれど、本当にいるんだ」
シンバのお父さんが何かを観念したような声を出した。
「今では小人は、子どもが読む本の中の登場人物でしかないだろう? でも人類の歴史を遡ると、遥か昔から、人間が地球に登場したのと同時期に、小人も存在している。昔は、いい時代だった。
人間は小人に狩りで獲った食料を与え、小人はありがたくそれを頂戴していた。人間と同時に、宴を囲むこともあったーーでも人間たちが高度な文明を築き、人間の生活が便利になっていくにつれて、人間は小人を忌み嫌うようになった」
「それは、どうして……?」
シンバのお父さんは、俯いたまま語り続ける。
「人間は自分の生活が豊かになるにつれて、ケチになっていったんだよ。小人に分け与えるわずかな食糧さえ、惜しむようになった。ひいては自分の家に棲みつき生活する小人を、邪魔者扱いした。生活が便利になると、心が貧しくなるのかもしれないね。
しかし人間に依存しないと、人間より遥かに非力な私たちは生きていくことができない。次第に小人たちは人間に姿を隠し、人間に気取られないようにひっそりと人間の家に住みついて生きるようになった。人間と宴を囲むことは、なくなった」
「あの……じゃあ、あなたたちみたいな人は、どの家にもいるんですか?」
シンバのお父さんが弱弱しく首を振る。
「人間が飢餓や戦争や、凄惨な歴史を繰り返すと共に、小人の数も減っていった。今や絶滅危惧種で、地球上から存在すら危うい立場にある。だから小人が住む家は、珍しいよ。今どきのアパートやマンションにはまず住めないしね。小人が住む家は、だいたいこの家ぐらい、古い家だ。その家から生活に必要なものを『借り』て、日々つつましく過ごしている」
「――事情はわかりました」
わかったと口にしてはみても、本当まだ半分も飲み込めていない。これは現実だっていくら厳しく言われたって、まだ夢を見ているみたいに思ってしまう。おとぎ話の設定をこれから受け入れてくれといきなり言われたところで、うんと首を縦に振れるほど、わたしは純真無垢な子どもじゃない。もう高校生なんだ。小人なんて絵本の中にしかいないって、そう思い込んで生きてきた。それが、当たり前のことだから。
でも、シンバもシンバのお父さんもひどく張りつめた表情をしていて、その言葉に嘘はないと信じられた。七十年この家に住み続け、その存在を隠していた小人たちが、こうして人間を前にして、切実に自らの不遇な境遇を訴える。少なくとも二人は、悪い人じゃない。やむにやまれぬ事情があって、こっそり生き続けて来ただけだ。
「それで、お嬢さん。こちらの事情を話した上で、あなたにお願いがあるんだが……」
「なんですか?」
「俺たちを見たこと、誰にも言わないでほしいんだ」
シンバが強い口調で言う。よく見るとシンバの顔はくっきりと彫りが深く、まるで外国人みたいだ。小人のルーツは、外国にあるのかもしれない。
「小人の世界では昔から、ひとつ守らなければいけない掟がある。人間に見られてはいけない、って。弱い俺たちを守るための掟だった。だからお前に姿を見られた以上、俺たちは本当はこの家にいてはいけない」
「引っ越すの?」
「それも大変だ。さっき父さんが言ったけど、俺たちはどの家にも住めるってわけじゃないから。だからこれからも、俺たちはここにいたい。お前が家族にも友だちにも俺たちの存在を明らかにしなければ、俺たちはこれからもこの家に居続けられる。すべてはお前に懸かってるんだ」
シンバの口調は、切実だった。シンバのお父さんがぐい、とシンバの後頭部に手をやり頭を下げさせ、自分も頭を下げる。
「私からも頼む。お願いだ。私たちを見たこと、誰にも言わないでほしい」
頭を下げる、二人の小人。このお願いは、シンバ一家の運命が懸かった大きなものだ。
しばらく、間があった。テーブルライトだけを点けた薄闇の部屋に、時計の秒針がちく、たく、と時を刻む音だけがやたら大きく響く。
「……わかりました」
ほっとした顔で、二人が頭を上げる。シンバに至っては、唇の両側がうっすら持ち上がっていた。
「あなたたちはわたしたち家族に危害を加えるわけじゃない。必要なものを少しだけ『借り』て生活してるんですよね? それならわたしに、あなたたちの存在を拒む理由はありません。どうぞ今までどおり、屋根裏で暮らし続けてください」
「ありがとう……お嬢さん」
「お前、話のわかる奴だな!」
「シンバ、お嬢さんに失礼だろ。奴とか言っちゃ」
シンバがお父さんに頭を小突かれている。そんな姿は思春期のやんちゃな子どもに手を焼く親子そのもので、わたしたち人間とまったく変わりないように見えた。
小人は身体が小さいだけで、心は人間と同じなんだ。
「お前、名前なんて言うんだ? 最近は人間の世界では、キラキラネームだのDQNネームだの、流行ってるんだろ? お前も変な名前なのか?」
「何それ、失礼ね、あなた……たしかにわたしの名前、ちょっと響きは外国人っぽいけど、DQNネームっていうほど変わってないよ。同級生には読めないような名前の子もいるんだから」
「へー、なんて名前だ?」
「花音。荒川花音。花に音って書いて、花音って読むの。死んだおじいちゃんがつけてくれた」
「年寄りが考えたにしては、イケてる名前じゃねぇか。これからよろしくな! 花音! 俺、花音がほとんど毎日食べてるそのお菓子、結構好きなんだよ。明日からも借りてくから!」
「好きにしていいよ、シンバ」
シンバが小さい手を出して、小指を出した。爪の先ほどの、ちっちゃな小指だった。
「とにかく、俺たちのことは絶対に誰にも言うなよ! 指切りげんまん!」
「指切りげんまんって。シンバ、歳は見たところわたしと同じくらいなのに、発想が子どもっぽいね」
「うっせーよ! 早くしよーぜ! 指切り!」
せがむシンバのちっちゃな指に、わたしは自分の小指をそっとあてた。
初めて触った小人の身体の小さな小さな一部分は、やわらかかった。