八月三十一日の朝、貴重な惰眠を貪って九時頃目覚める。くぅー、とベッドの上で伸びをした。ふと、視線を感じる。最初の夜、覚えたあの違和感。

わたし以外誰もいない部屋のはずなのに、たしかに第三者の目がどこからかじっとこちらを見ている。カーテンの隙間が怪しいと思い立ち、さっとカーテンを開けた。秋の初めの元気いっぱいの日差しが部屋をいっぺんに明るくする。

窓の向こうには隣の家があるだけで、窓は閉まっていて誰かの気配はない。外から覗かれている、ということはなさそうだ。


 お腹が空いているのに気付き、ちゃんと朝ご飯を食べなきゃな、と思いつつ、ついつい机の上に置きっぱなしにしていた夕べの食べかけのお菓子に手が伸びる。そこでまた違和感が頭を過ぎる。

最後に食べた時より、少し、中身が減っているような気がするんだ。いや、さすがに、そんなことはありえない。たとえこの部屋にオバケが棲みついていようとも、オバケは物理的に何かを食べたりなんてしないんだから。

きっとただの思い過ごし。そう、自分に言い聞かせ、首を振りながらお菓子をひとつ口に放り込んだ。空腹は癒えなかった。


 一階に下りて洗面所で顔を洗い、リビングに行くと、おばあちゃんが車椅子に身体をのせ、テレビを観ていた。朝の情報番組は最新のキッチングッズについてテンション高めに報じている。


「おばあちゃん、デイケアは?」

「今日はお休みだよ」

「あ、そっか」


 一緒に住むことになったといっても、お父さんもお母さんも仕事でいないから、昼間はおばあちゃん一人。だから週に三回のデイケアと、週に二回の入浴介助サービスを利用することになった。介護ってこんなにお金がかかるのねぇ、とびっくりしたようにお母さんが言っていたことを思い出す。


 ダイニングテーブルの上に寝坊した娘のための朝ご飯が用意されていた。オムレツとウインナー、レタスときゅうりとトマトのサラダ。炊飯器にはまだご飯が残っていたけれどパンが食べたくなって、トースターに食パンを入れる。

じいいい、と古いトースターが唸り声を上げる。パンが焼けるまで、することがない。ダイニングルームからは、リビングにいるおばあちゃんの後頭部がよく見える。七対三の割合で白髪と黒髪が混ざった、小さな頭。


「おばあちゃん、この家でオバケって見たことある?」


 小さな頭に向かって問いかける。おばあちゃんはテレビに目をやったまま、のんびりと答える。


「ないねぇ。この家でも外でも、オバケなんてものは、この歳まで生きてきてついぞ見たことがないよ」

「そ、か……」


 もしこの場にお父さんやお母さんがいたら、花音、高校生にもなって何馬鹿なこと言ってるの、なんて笑われるだろう。おばあちゃんだから、こんな事も素直に話せる。おばあちゃんは昔から、わたしに優しい。どんなに馬鹿らしい事でも、突拍子のない事でも、おばあちゃんなら受け止めてくれる。


「花音は、この家でオバケを見たのかい?」

「見たわけじゃないけど……なんか、そういう得体のしれない何かの存在を、感じるっていうか」


 上手く説明できなくて、言葉尻がごにょごにょした。視線を感じるとか、食べかけのお菓子が減ってるかもしれないとか、具体的なことはさすがに言いづらい。


「たしかに古い家だから、何かがいても不思議じゃないねぇ」


 おばあちゃんは相変わらず目線はテレビのまま、ゆったりと言う。


「でもそれは、悪いものじゃないよ。むしろ花音や私たちを見守ってくれる、いいものさ」

「それって、この前言ってた神様みたいなもの?」

「そうだね。神様みたいなものだよ」


 何の確証もあるわけじゃないのに、わたしより遥かに長い時間を生きてきたおばあちゃんの言葉には重みがあって、すんなり受け入れられた。一人の部屋の中で感じる、正体不明の視線。まだ怖いけれど、おばあちゃんが言うなら、本当にそんなに悪いものじゃないのかもしれない。

 チン、とトースターが出来上がりの音を告げた。