恋愛小説だろうか。
タイトルを読み上げると、通話口越しに母が反応した。
「ああ――それね、すごく素敵だから読んでみるといいわ。あまり有名じゃないけれど、私はそれが一番好きなの」
懐かしむように、慈しむように。しかしどこかあどけなく、母は告げる。
きっと、何か思い出のある本なのだろう。
表紙を優しく指先で撫でながら、私は頷いた。
「……ねえ、お母さん」
「うん?」
「お母さんは、知ってるの?」
母が彼を当然のように「一太くん」と呼ぶことに、時々どうしようもなく違和感を覚えることがある。
彼の本質を分かりたいと思うのは、ただの好奇心、興味本位なはずだ。彼は絶対にそれを許さないし、許されるだけの要素が私にはないんだろう。
「先輩のこと――『一太くん』のこと、色々、知ってるの?」
聞いて何になるのか、それは私にも分からない。
ただなんとなく、母が知らないのなら、私も割り切れそうな気がしたのだ。
「そうね」
明快で、簡単で、正直な三音。
「知ってるわ。……華は、知りたいと思う?」
知りたいか、知りたくないか。端的に表すのなら、知りたい、に分類されるんだろうけれど。
「ううん。知らなくていいや」
答えて、その後の空白に耐え切れず、「そろそろ切るね」と早口で言い逃れる。
伸ばした手の先にある一冊の本だけが、証人かのように佇んでいた。