花堯の各地に、公兎の娘出現の(きざ)しが出た。黄涼国の占師が受けた託宣によれば、公兎の娘は燕家にいるとのこと。すぐに使者が向けられ、燕家の門を叩いたのである。
 公兎に選ばれた娘を公兎妃として迎えた国は栄えると伝えられている。他の国にとっても公兎妃は喉から手が出るほど欲しい存在だ。過去には公兎妃を巡っての争いも起きたという。
 公兎妃になるべき者が選ばれ、それが自国にいるとなれば、黄涼王としては急ぎ手元に置きたいところだろう。

「この燕家に、公兎龍に選ばれた娘がいる。黄涼王は公兎妃として迎えたいとのお考えだ」

 使者から(しら)せを聞いた父は諸手(もろて)を挙げて喜んだ。娘が公兎の娘に選ばれたことは、最上級の栄誉である。

「いやあ、麗陽は我々も驚くほどに美しい娘でして。あれほどに美しいのですから公兎龍に選ばれるのも当然のこと――ほれ誰か、麗陽を呼んでこい。宮城へのお召しが決まったぞ!」
「燕家には、娘がふたりいると聞きましたが」

 使者たちは表情を険しくさせ、月娥の方を見やる。だが父は首を横に振った。

「確かに娘はふたりいますが、選ばれたのは麗陽でしょう。もうひとりの娘は月娥と申しますが、あれは醜いので外に出さないようにしています。公兎龍も醜い妹よりは美しい姉の方がよいことでしょう」

 父は(かたく)なに、公兎龍に選ばれたのが麗陽であると信じていた。

(ここでわたしが名乗っても、両親が信じることはないのだろう)

 上機嫌で使者と語り合う父を横目に、月娥は部屋を出る。
 いつだってそうだ。月娥はいちども認められたことがなかった。
 幼い頃、母の誕生日を祝って贈り物をしたことがある。山で摘んできた、母の好きな花だった。それを扉の前に置いたのだが、母は麗陽からの贈り物だと思いこんで喜んでいた。月娥からだとは微塵も考えないのだろう。その時に抱いた虚しさを、ふと思い出した。

(選ばれたのはわたしだと、誰が信じてくれるだろう)

 悔しさと虚しさがこみあげる。虐げられるのはいつものことなはずが、この時は受け入れるのが難しかった。麗陽が選ばれたと信じて盛り上がる屋敷を抜け出して、廟に向かう。閑散としているあの場所ならば、月娥が顔をあげたところで痣を見るものはいない。月だって太陽だって、臆さずに見上げられる。

 廟に向かう間は小走りだったので、着いた頃には汗をかいていた。泉の水をすくって顔を洗う。それを数度繰り返していると、草葉の揺れる音がした。
 人の気配である。月娥は咄嗟に振り返った。

「ほう。ここに人がいるのは珍しい」

 月娥と目を合わせるなり、その人物は呟いた。
 泉前で膝をつく月娥を見下ろすはひとりの男。市井の者に比べ上等な生地で仕立てた直領(ちょくえり)(ほう)を着て、腰帯も立派なものを使っている。()いた剣も装飾が凝られていることから、宮城に仕える者だろう。廟で自分以外の者と会うことは初めてだった。

「……あなたは、誰ですか」

 家に宮城からの使いが来ていたことを思い出す。この男もそうであるかと疑ったのだ。だが男はにたりと笑みを浮かべていった。

「<宮城に仕える武官>だ」

 その、ひと言である。肌がざわりと(あわ)だった。

 昔から、月娥にはある癖があった。それは他人が嘘をついた時に、首の裏がちりちりと灼けるように痛む。家族や麗陽が月娥に対してひどい扱いを長く続けてきたことで猜疑心(さいぎしん)が生じ、観察力が身についたのだろう。声の揺らぎや仕草、ちょっとした視線の移動といったものでわかる。
 そのことから男が武官ではないとわかった。身分を騙る男に不信感が高まり、口中に溜まった唾をごくりと飲む。その音も、静かなこの場所ではよく響いた。

「それは、嘘、ですよね」

 確かめるように月娥が問う。男は目を見開き「ほう」と驚いていた。

「どこかの貧しい娘かと思っていたが、なかなか聡いじゃないか。ではお前は、俺が何者だと思う?」
「……それはわかりません」
「嘘は見抜くが真実は見抜けぬか。慧眼を持つ娘のようだ」

 くつくつと男は笑った。その場に膝をつき、月娥に視線を合わせる。泉の水で洗ったばかりの顔はまだ濡れていて、風が当たって冷たい。それを正面から男は見つめて言った。

「なるほど。お前、公兎龍に選ばれたのか」
「なぜそれを……」
「前髪で隠れているが、額に印がある。公兎龍に選ばれた娘に浮かび上がる印だ。もっとも、公兎の娘が額に印を持つなど現在の者らは忘れているのだろうが」

 それを聞いて月娥は泉を覗きこむ。そっと前髪を持ち上げてみれば、額に紅色の、三日月形の印が浮かび上がっていた。このようなものは先日までなかった。家では誰も気づかなかった。月娥が常に俯いて生活することを命じられていたためだ。

「となれば、もうひとりの燕家の娘か。妹の月娥とはお前のことだな」

 男は淡々と告げた。立ち上がり、燕家があった方を見る。ここから家の方までは見えないが、まだ使者たちはいるのだろう。

「いつの世も、虚栄や嘘といったくだらぬものが蔓延(はびこ)っている。真実に触れる者はほんの一部。あやつらも燕家の嘘に流され、お前の姉を選ぶのだろう」

 男は月娥だけでなく麗陽のことも知っているようだ。となればやはり宮城や黄涼王の関係者で間違いないだろう。
 警戒心を解かず、じいと男を睨んでいれば、やがてこちらに向いた男が、にやにやと口角をあげた。

「本物の、公兎の娘。俺はお前の真実を見抜いてやる」

 そう言って手を差し出す。月娥に向けているが、底知れぬ不気味なこの男を(いぶか)しんで、手を取る気にはなれなかった。

「俺は<(りく)蒼霄(そうしょう)>。<黄涼王に仕える武官>だ」
「っ、痛い……」

 首の裏が灼けるように痛み、手を添えた。反射的に眉根を寄せて睨みつける。その仕草に気づいた蒼霄が「ほう」と関心の息をついた。

「あなたは立場も名前も、嘘をついている」
「誰かが嘘をつけば、そのように痛みが走るのか。愉快な仕組みだな」

 蒼霄は不敵な笑みを浮かべている。月娥の顔をじいと眺めながら告げた。

「まもなくお前の姉が公兎妃になるだろう。お前も宮城に来るといい」

 蒼霄は無理矢理に月娥の手を掴んだ。嘘をついた男だというのにその手を温かく感じ、なぜか振り払うことが出来なかった。

「月娥。お前こそが公兎の娘であると、俺が認めさせてやろう。嘘を見抜くその慧眼で花堯の地を見るがよい」


 彼の言葉が意味するところを、月娥が理解するのは翌日のことだった。
 公兎妃として麗陽が選ばれると同時に、月娥もまた公兎妃付きの宮女として宮城に召されることが決まったのである。おそらくは蒼霄が手を回したのだろう。
 後日、迎えにやってきた黄涼王の使者はふたりの娘を連れて行った。

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