「ここ常世じゃないぞ」

「常世じゃない?」

「ここは常世と現世の境目にある〝狭間(はざま)〟だから」

「狭間……だから早苗は容易く迷いこんでしまったのか」

「狭間って何?」


 ヒヨコさんに訊ねる。


「その名の通りあやかしの棲む常世と人間の住む現世(うつしよ)の境にある空間だ。常世よりも現世に近く、現世よりも常世に近い。その()のある人間が迷いこむこともしばしばあると聞く」

「そうだ。だからここにくる客はあやかし九割人間一割ってところだな」

「人間がここに色を買いに来るんですか?」

「見鬼の才を持つ人間なら来る」

「見える人って結構いるんですか?」

「お前さんの言う結構がどの程度を指しているか分からないが、多分お前さんが思っている以上にいると思うぞ。うちのお得意様にも人間がいたな。まぁそのお得意様も最後に来たのは半年も前だが。そういえばそのときに来月も来ると言っていたがそうか、死んだのかもしれないな……」


 いやそれ多分死んでないと思います、とは口が裂けてもいえない。

 それにしても今の話が本当なら偶然迷いこんだというわけでもなく意図してこちらに来ている人間がいるということ。私が知らないだけであやかしと人間の交流はあるところにはあるらしい。それでもあやかしや常世、この狭間の存在が明るみに出ていないということは皆見えることを隠して生きているのだろうか。見えない人間に話したところで信じてもらえるとも限らないけど。今までオカルトの類いを信じてこなかった私もこうして自分の身に体験しなければ信じられなかっただろう。


「狭間だからといってあやかしが来る以上は危険だ。やめておけ早苗」

「危ないあやかしは来ない。だいたいそんな危ないあやかしがわざわざ狭間にまで色を買いに来ると思うか?言っておくがここ立地最悪だぞ」


 立地が最悪だから客数も少ないのだろう。人間が客として来ているのならその辺りの言葉は信用できそうだけど、それでもヒヨコさんは頑なにだめだと言い続ける。


「分かった。もしそれでも怖いなら護り(・・)を施した部屋を用意しよう。護りがあればあやかしは入れない。もちろん俺も入れない。勤務中はその部屋に閉じ籠っていてくれていい!あ、店主が来たときだけは顔出してくれよ?」


 もはやなりふり構わずといった感じだ。そこまで言われてしまうと非常に断りにくい。うまい話の裏話の暴露もしてもらえたし、なによりやはりその他の条件が良すぎる。ただ一つ気になることはここが色を売る店だということ。いくらバイト中何をしてもいいと言われていても、自ずとそういう場面を見てしまうことになるのではないだろうか。それはちょっと、いやかなり複雑だ。私の心は働いてもいいかなという気持ちに傾きつつ、それでもまだ迷っていた。ヒヨコさんはまだ反対表明をしている。


「大体そいつはわしに水をかけた!わしは水が嫌いなんだ!わしを殺すつもりか!ろくなあやかしじゃないぞ!」

「夜雀が水を被ったくらいで死ぬはずないだろ。心臓二つも持ってるくせに」

「え!ヒヨコさん心臓二つもあるの!?」

「ヒヨコ?」


 彼は私の発言を繰り返してきょとんとしてから吹き出すようにして笑った。


「夜雀をヒヨコって呼んでるのか?傑作だな」

「黄色いので」

「なるほど。それは実に言い得て妙……と言いたいところだが今のお前さんの言葉を少しだけ訂正してもいいか?」

「と、言いますと?」

「そいつは正しくは黄色じゃない」

「黄色じゃないんですか?」

「ほら、よく見ろ。ちゃんと見ろ」


 もう十分ちゃんと見ているつもりだけど。


「何だわしで遊びおって!」


 店長に指を差されて怒っているのかヒヨコさんはぷりぷりと尾を振る。その姿は申し訳ないけどひたすら可愛い。


「黄色にしか見えないんですが」

「そうか。まぁ最初は比較対象がないと難しいか」

「正解は何色なんですか?」

梔子(くちなし)色だよ。黄色よりも少し赤みがかってるだろ」


 言われて見ればそう見えないこともないけど、正直言われなければ全く分からない。


「ま、お前さんはそんなことは覚えなくてもいい。色を売るのは俺の仕事だから。というわけで働いてくれるよな?いいよな?」


 ──ん、色?

 私はそこでとてつもない引っ掛かりを感じた。


「え、色って、色って……色ですか?」

「随分と漠然とした質問だな」

「ここ、色を売る店なんですよね?」

「そうだ」

「色って何ですか?」

「色は色だ。おかしなことを聞く。お前さんが知っていそうな色をあげるとすると赤、青、黄とか」

「……っ」


 まさか正真正銘文字通りの〝色〟だとは。深読みしすぎた自分が穴があったら入りたいほど恥ずかしい。勝手に誤解して、勝手にそういう感じに見えてきただなんて自分が最低すぎる。


「どうかしたか?何か問題あっ」

「いえ!何も!」


 恥ずかしすぎて食いぎみで返事をしてしまった。


「ですが色を売るというのは具体的にどういった」

「興味あるなら次に客が来たときに見せてやる。無駄遣いはしたくないから今は見せられない」


 よく分からないけどとても健全そうなお店だった。確かによくよく考えてみればこんなゴミに溢れた店がそういう店なはずがなかった。他の店なら許されるのかと言われればまったくそんなことはないけど。

 さて、唯一の気になる点が綺麗さっぱりと消えた。そして勝手に誤解してしまっていた罪悪感と共に私の心は固まった。


「店長、今日からよろしくお願いします」


 店長の歓声とヒヨコさんの絶叫が店内に響き渡った。