「す、すみませんつい。帝さんを傷つけようとかそのような意図は一切ありませんので」
慌てて頭を下げてから帝をゆっくりと地面に下ろした。当然普通の猫のような対応をしなくてもいいというのは分かってはいたけど、反射というものは恐ろしい。
「それで、どうして店長から力を奪って口を封じたんですか」
「全てあいつのためだった──と言ってお前は納得するか?」
冷たい風が通り抜ける。それは先ほど感じたものとは別のものだった。
「店長は、帝さんの言葉がなければ今の自分はなかったと言っていました。だから店長が納得しているなら私には何も言えません」
「ほう、あいつがそう言ったのか」
「だけど個人的に納得がいくかは別問題です」
「そうだな。飽月の力の詳細は実際のところ今まで殆ど誰も知らなかった。私ですら知らなかったのだ。だが事件のせいで一部のあやかしには知られてしまった。触れるだけで命を奪ってしまえるのだ、秋月の性格を知らない者からすれば余程恐ろしい力に思えたのだろうな。秋月を生かしておくべきではないという意見が出るのも致し方なかった」
「そんな」
「だがあいつは無闇に命を奪うようなやつではない。それに私の命を救ってくれた経緯がある。だからなんとか意見を抑え込み、秋月の力を封じることで納得させた。だが私はいずれはその力を返すつもりだ。そのときに真実が広まってしまえば他のあやかしが秋月のこと恐れてしまう。ゆえに表向きの理由として秋月が私から禁色を奪ったからということにした。口を封じさせたのはその理由に私が関係しているためだ。無闇に漏らさせるわけにはいかない」
あの借金取りが言っていた話しは事実を隠すための隠れ蓑の理由だったのか。
「そんなことをしなくても店長は話したりしないと思います」
「それくらい分かる。だが理由を知っているあやかしは他にもいるのだ。隠していてもわずかな綻びから漏れてしまうことはある。それはどうしようもないことだ。ここで重要なのはそのことを漏らしたのが秋月ではないと確実に言えることだ」
情報が漏れたときに店長を疑わずに済むようにということか。
「だがあいつはあやかしを消してしまったことに酷く動揺し、自暴自棄になってしまった。だからそれなら罪滅ぼしをすればいいと言って、私が私財を使って狭間に店を構えさせた。常世ではあいつを知るあやかしもいるからな。強引だったがあのときのあいつにはまともに生かすための強い縛りが必要だった」
「だから〝奪った以上に与えろ。そうすればその力をお前に返してやる〟と」
「あいつがもはやその力に執着していないことは分かっていた。だがあいつは私には逆らえない。逆らえないように仕向けた」
「だとしても正直、売り上げを全部寄越せと言うのはなかなかに横暴ではないかと」
「売り上げ金を献上させているのは本当だ。だが手はつけていないぞ?いずれ然るべきときに力と共に返すつもりだ。なにも私はあいつに色をばらまかせたいわけではない。金銭が発生しても色屋に頼みたいという真摯なあやかしに対してのみ仕事をさせ、自己を取り戻してほしいと願っていた」
「そうでしたか。かなり誤解していました……」
店長に店主さんは金の亡者では?とか言わなくて良かった。
「だが事はそううまくは運ばなかった。お前は知っているだろう。秋月はあの事件以来誰かに触れることができなくなった」
「はい」
「時間が解決するだろうとしばらく見守っていたが変わらなかった。だから誰か従業員を雇えと言ったんだ。たとえ緩やかでも何かしらの流れが変わるかもしれないと思ったんだ。だがその結果は大したものだったな」
「ですが触れるようになった理由は分かっていないんです」
「そうなのか?秋月には明確に理由が分かっているようだったぞ。それはお前のお陰だと言っていた」
「確かにいろいろ協力はしましたが、最終的には急に触れるようになっていたので」
「そうか。だがお前が色屋に勤めたお陰で全ての流れが変わった」
「……」
私は立ち止まる。数歩進んだところで帝も同じように立ち止まり、動かない私を見上げた。
「一つ、確認したいことがあります」
「言ってみろ」
「私があなたと見鬼の儀を交わしてしまったことと、色屋に雇われたことは全く別の話で、全くの偶然ですか?」
帝はそんなことかと笑った。
「安心しろ。偶然だ。私もまさか秋月が人間を雇うなどと思ってもいなかった。しかもそれが私を助けた人間だったとはな。出来すぎた偶然だが仕組んだことではない。だがそうだな、人の意思もあやかしの意思も介入できないところに運命というものはあったのかもしれないな」
「運命、ですか」
「納得いく理由は自分で好きに考えればいい」
ああ、だから常世の太陽は〝健康にいいから昇る〟のだ。
運命だなんて、出来すぎた偶然を腑に落とすのにこれ以上の言葉はないだろう。だけど偶然だろうと必然だろうと、出会ってから何をするかを選んだのは全て私と店長だ。今ある全ては、全部全部私たちが掴みとったものだ。