ハッと目を覚ました。しまった、いつの間にか寝てしまっていた。立ち上がると背中から何かが落ちて振り向いた。店長の黒の羽織だ。どうやら眠ってしまった私に店長が掛けてくれていたようで、その気遣いに思わずキュンとしてしまった。その店長は奥でイビキをかいて寝ている。二階で寝ればいいのにいつもそこで寝ているのだろう。
カウンターの上を見ると折り紙の桜の花弁の山ができていて必要な枚数は切り終わっていた。良かった。夜の自分よくやった。
時刻は朝の五時過ぎ。窓の外を見るとちょうど朝と夜の境目にいるような明るさだった。狭間で朝を迎えるのは初めてだ。
店長を起こしてしまわないように静かに外に出て伸びをした。早朝の竹林の空気はいつもより余計に澄んでいて心地いい。
「山岡」
声がして振り向くと、店長が大きなあくびをしながら立っていた。
「あ、おはようございます。すみません起こしてしまいましたね」
「いや」
「羽織ありがとうございました」
「ああ。何時に行くんだ?」
「一度家に戻ろうと思うのでそろそろ行きます」
「そうか。ま、頑張れよ」
店長は私の頭をポンポンと叩きそのまま店内に戻っていった。なるほど。彼は触れるようになったらそういうのが自然と出来てしまうあやかしらしい。緩みそうになった頬を叩き、気合いを入れ直した。
それから一度家に戻って動きやすい格好に着替えて、病院にヒヨコさんにも手伝ってほしい旨を伝えに行った。最近はもう診察室に入る前に感づいて出てきてくれるようになって非常に助かっている。さすがに毎回診察室に「間違えました!」と飛び込むのは無理があるし通報される。
昼前に小原さんの家にいくと、驚きながらもまた快く中に入れてくれた。その足元にはもちろんモモさんがいた。「お引っ越しの準備でお忙しいのにすみません」と言うと「荷物はもうまとめてあるから今日明日はゆっくりこの家とお別れするだけなの」と笑った。
「そんな大切な時間に部外者がずけずけとすみません。ですがどうしてもお話したいことというか、したいことがありまして」
「実はなんとなく貴女が来るんじゃないかって思っていたの」
「あ、昨日またお礼にとお伝えしたからですか?」
「いいえ、そうじゃないの。貴女、不思議な話を信じるほう?」
「不思議な話ですか?はい、わりと信じます。事実は小説より奇なりという言葉があるくらいなので」
今まさにその〝奇〟の真っ只中にいるのだから。
「昨晩夢を見たの。亡くなった飼い猫がね、どうしてか貴女の肩に乗っていたのよ。ごめんなさい、不思議な話というよりも貴女には怖い話だったかしら」
「夢を……」
モモさんにそんな力があるのだろうか。モモさんを見ると驚いたように首を振っていた。だけどこの人がそういう話をするならこちらも少しだけ言い方を変えて伝えてもいいかもしれない。
「その猫、モモって名前ではありませんか?」
「え!どうしてご存じなの!?」
「本当に不思議ですね。実は私も夢に見たんです。この家を去る貴女に最後にもう一度満開の桜を見せてあげたい。だから花を咲かせてほしいって」
「桜を!?」
小原さんは信じられないと言ったように手で口を覆った。
「私としても昨日のお礼をさせていただきたいので、木を少し触らせていただけませんか?大切な木でしょうから、もちろん断っていただいても大丈夫です。押し付けがましく来ているのは承知なので」
「だけど、咲かせるってどうやって?あの木はもう完全に枯れてしまっているのよ?」
「はい。ただの子供騙しなのですが、木の枝にこれを貼りつけたら桜が咲いているように見えないかなって。一晩ではこんなことしか思いつかなくて、すみません」
サプライズでできたら良かったけど、さすがに不法侵入して持ち主の許可も得ずに木をいじくり回すということはできない。
袋に入った折り紙の花弁を見せると小原さんは驚いた様子だった。
「まぁこんなにたくさん!貴女一人で用意したの?」
「知人にも少し手伝っていただきました」
「どうして貴女がそこまで……。夢を見たからという理由だけではないでしょう?」
確かに小原さんからしてみれば昨日少し話しただけの人間がここまでしてくるのは不思議だろう。不思議というだけならいいけど、不審がられては終わりだ。だからそれらしい理由は用意していた。
「実は大学でボランティア活動をしていて、一人暮らしの方と交流させていただくことがよくあるんです。その延長と言っては失礼かもしれませんが。それに昨日着物を誉めていただいて嬉しかったんです。大切な方からの初めての贈り物だったので」
「まぁ、そうなのね」
ボランティアは嘘だけど着物のことは本当だ。これで納得してくれるといいのだけど。モモさんが心配そうに見つめている。
「桜、最後に咲かせてくださる?」
私は大きく頷き、返事をした。