「あら、良かったわ。だけどよくこれが桜の木だって分かったわね」
しまった。枯れ木の名前を言い当てるのは不自然だった。
「なんとなくそうかなと。お庭に桜があったらお花見もできて素敵ですよね」
「ええ。春はよく娘や孫たちが帰ってきて縁側に座ってお花見をしていたわ」
「三七子さんはたくさん子供や孫がいて、たまにその子達が帰ってくるとすごく賑やかなんですよ!」
と、モモさんが言う。やはり詳しい。帰ってくるとということは今はご主人と二人暮らしなのだろうか。
「そうなんですね」
「だけどもう何年も前に枯れてしまったのよ」
「それは、残念ですね……」
「ええ。主人が亡くなって、私も体調を崩してしまってそれどころじゃなくてずっとお世話をしてあげられなかったの。業者の方に見ていただいたときにはもう完全に枯れてしまっていて切るしかないと言われたわ。だけどどうにも決心がつかなくて、こうして枯れ木のまま残しているの。幹が完全に腐ると危ないからその前に早く切らなければいけないのだけど……」
ご主人が亡くなって今は一人でここに住んでいるのか。高齢の女性が一人でとなるときっと大変なこともあるだろう。
桜の木を見上げる小原さんの表情には後悔があった。きっとこの木にはご主人やお子さんたちとのたくさんの楽しい思い出があるはずのに、木を見たときに思い浮かべるものが後悔だなんて寂しい。
「大切な木だったのに本当に可哀想なことをしてしまったわ。きっとこの木は何もしてくれなかった私のことを恨んでいるわね」
モモさんは小原さんの足元に擦り寄り、なぜか本物の猫のように何度も「ニャー」と鳴いた。もちろんあやかしが見えない人は触れもしないから小原さんがそのことに気づくことはない。
「こんな話をしてごめんなさいね。メモが見つかって良かったわ」
「いえ。……あの、木は恨んでなんかいないと思いますよ」
恨んでいるならモモさんがこんな風に擦り寄ったりしない。どちらかといえば親愛や感謝が見える。だけどその根拠を伝えたところで笑われるだけだろう。私にはモモさんが見えるし言葉も交わせるけど小原さんには姿も見えないし声も聞こえない。そこには確かに温かい心が存在しているのに。
「そう言ってくれてありがとう。最後にもう一度だけこの桜が満開に咲いているところを見たかったのだけど、もう叶わないのね」
ああ、この人の願いも同じなのか──。
「あの、良かったらまたここにこの木を見に来てもいいですか?」
枯れ木を見になんて何を言っているの言われるかと思ったけど、小原さんはにこりと笑った。
「嬉しいわ。だけどごめんなさいね。私もうすぐこの家を出るの」
「ご旅行ですか?」
「そうじゃないの。娘夫婦と一緒に暮らすことになったのよ。主人が亡くなってすぐにそういう話しになったのだけど、私がここを離れがたくてずっと待ってもらっていたの。だけどこの間ようやくふんぎりがつく出来事があって、離れることを決めたわ。この家ももう売りに出すの。ここを離れるのはとても名残惜しいけれど最後に貴女とお話できて思い出ができたわ」
「ふんぎりがつく出来事というのは何があったんですか……?」
それを聞くのは初対面で図々しく不躾だと分かっていた。だけど口を突いて出ていた。
「ずっと飼っていた猫がつい先日亡くなってしまったの」
猫。私はモモさんを見た。モモさんは何も言わない。
「そうでしたか。そんなことを聞いてすみません。……あの、差し支えなければここを出るのがいつなのかお聞きしても?また近いうちにでも今日のお礼にお伺いしたくて」
「あら、お礼なんていいのよ」
「いえそんな大層なものではないので。それに日にち次第では来られるかは分かりませんが」
「だけど本当にすぐなのよ」
「すぐですか」
私は本当はその日がいつなのかもう分かっていた。小原さんはにこりと笑ったあと桜を見上げながら口を開いた。
「ええ。十七日なの」
*
家を出て私たちは帰路につく。店長が心配しているだろうから十五夜堂に戻らないと。ヒヨコさんは病院に帰るからと早々に飛んでいった。
モモさんを連れて十五夜堂に戻ると珍しく店長が入り口の掃除をしていたけど、私が戻ると「お帰り」とだけ言って何事もなかったように店内に入っていった。もしかして帰りを待ってくれていたのだろうか。いつもはお疲れ様が挨拶だからお帰りなんて言われたのは初めてだ。どうしよう、結構嬉しいかもしれない。
イスに座り、モモさんと向き合った。
「モモさん」
「何ですか?」
「いろいろ見聞きして考えた上での結論なんだけど、モモさんが桜の木のあやかしっていうのもしかして嘘?」
「え!?」
私が突然そんなことを言うものだからモモさんは大きく目を見開いて驚いている。