目的の停留所でバスを降り、モモさんに場所を聞きながら桜の木を探すと辿り着いたのはブロック塀に囲まれた一軒の民家だった。表札には『小原誠一郎 三七子』と記されている。

 モモさんは軽やかに肩からブロック塀に飛び移った。そしてそのまま行こうとするものだから慌てて止めた。


「え、待って、もしかしてここ?」

「そうですこの中です。行きましょう」


 確かにブロック塀を越えた庭の奥の方にちらりと木のようなものが見えているけど、ここは私有地だ。当然勝手には入れない。呼び鈴を鳴らして家の人を呼んだとしてもいきなり知らない人間が「庭の桜の木を見せてください」なんて言えば不審がられるのがオチだ。桜が咲いていれば綺麗だったからとかなんとか理由にできたかもしれないけど枯れ木なんて普通は通行人の目には留まらない。

 人間だから現世で動きやすいと言った言葉は早くも撤回しなければならなくなった。


「私が勝手に入ると不法侵入になるの。ヒヨコさん、代わりに見てきてくれない?」

「仕方ないな。おい猫、連れていけ」


 ヒヨコさんはモモさんの頭に乗り、塀の向こうに消えた。ヒヨコさんは多分飛んだ方が早いと思うけど何かに乗って移動するのが好きなのだろうか。それから少しして二人が帰ってきた。


「あれはもう完全に枯れてるな。緑もついていないし、幹は腐りかけている。あの様子だと枯れてから何年も経ってるぞ」

「モモさん、そうなの?」

「はい。三年前に蕾がつかなくなってきて葉が繁らなくなってそのまま……」

「完全に枯れてるからたとえ何年かけても花は咲かないぞ」

「一度でいいんです!あと一度だけ!」

「あの木のあやかしだって言うならお前が一番無理だってことを分かってるんじゃないのか」

「……」

「木が枯れて三年、よく今日まで消えずにいられたもんだ。依り代を見つけたとしても通常そんなに長い間本体なしでは生きられんぞ」


 現実を突きつけられモモさんの表情は暗く落ち込む。だけど私としてはまだ全ての可能性が廃されたとは思っていない。


「ねぇ、その再生屋がどんなお店か分からないんだけど、そこなら現世に来てさえくれれば何とかなるの?」

「再生屋は物を過去にあった状態に巻き戻す店だな」

「すごい。そんなことができるあやかしがいるんだ」

「だが再生屋が巻き戻せるのはせいぜい二週間程度と聞くぞ。それにそもそも庶民が頑張っても手が届く価格じゃない」

「え!そうなんですか!?」


 なぜかモモさんが驚いている。


「お前、何も知らずに頼みにいったのか?」

「噂に聞いたことがあるくらいだったので。門前払いでしたけど……」


 可能性が全て断たれてしまい、モモさんの表情は暗い。それでも彼はまだ諦めることを口にしない。

 自分が消えてしまう前に最後にもう一度花を咲かせたい。彼にとってその最後の願いはとても切実なものなのだろう。


「ねぇヒヨコさん、家の中に誰かいそうな感じした?」

「縁側にばあさんが一人いたぞ。強行突破するなら今はやめておけ」

「違うよ、逆。お家の方に少し話を聞いてみようかなって」

「枯れ木がどうのと言ったところで不審がられるだけだぞ」

「大丈夫。見てて」


 呼び鈴を押すと、少ししてから白髪の年配のご婦人が中から出てきた。そして私を見た瞬間に朗らかに笑った。


「まぁ素敵なお着物だこと」


 まさか向こうの第一声がそれだなんて思いもしなくて、何を言うつもりだったのか一瞬にして飛んでしまった。


「あ、ありがとうございます」

「それでどちら様かしら?」

「あ、すみません、山岡早苗と申します。えっと、先ほどメモ用紙が風に飛ばされてしまってこちらのお庭に入ってしまったようなのですが」

「あら、それは大変だこと!見て来ますね」

「私も一緒に探させていただいても大丈夫ですか?小さいメモ用紙なので……」

「構いませんよ。どうぞ」


 快く中へ入れてもらえた。優しそうな人で良かった。


「ほう、優しさにつけこむとはとんだ策士だな」


 頭の上でヒヨコさんが感心するように言っているけど、言っている内容は完全に人を詐欺師扱いしている。反論したいけど今話しかけたらそれこそ不審者認定されるだろう。

 モモさんは私の肩に乗ってじっと小原さんの顔を見つめていた。この家の敷地にある桜の木のあやかしなのだから当然モモさんはこの人のことを知っているだろう。

 庭の片隅に大きな木があった。近づいて見上げた。枝はまだたくさんあるけど一枚も葉がついておらず確かに枯れてしまっている。それでもその木には存在感がある。その木を見るとモモさんは私の肩から飛び降り、木を見上げた。一体どんな思いでいるのだろう。


「こちらにはありませんね」


 小原さんが探しながら近づいてきて、私は慌てて探す振りをした。


「あ、すみませんここにありました!この桜の木の枝に挟まっていたようで」


 そう言って何も持っていない手を懐にしまった。