私は動揺を誤魔化すように話題を変えた。


「それより店長の目の方が綺麗ですよ。隠しているのがもったいないくらいで」

「これはあまり誰かに見せるようなもんじゃない」

「私は見て良かったんですか?」

「お前さんは特別だ」


 特別。言葉としては非常に破壊力があるのだけど浮かれたりしない。なぜならその真意は明らかだからだ。


「従業員だからですか?」

「そうだ。従業員は特別扱いしてやらないとな」

「じゃあもっとワガママ言おうかな」


 そう言って笑うと店長がいきなり真剣な顔つきになった。今の冗談を真に受けられたのかと思ったけど、どうやら違う。


「店長?」

「……山岡、話がある」

「改まって何ですか?」


 やっぱり赤字で今月の給料払えないとかだったらどうしよう。


「遊佐のこと、本当に悪かった。怖い思いをさせた。部屋の〝護り〟の強化もしたが、この間みたいに俺がいないときにここに留まるのは極力やめてくれ。あいつがまた来ないとも限らない」

「分かりました」

「お前さんに危害が及ばないように全力を尽くす。だがあんなことがあった後で、絶対に大丈夫という約束がもうできない」

「……」


 なるほど。店長の言わんとすることが読めた。


「だから辞めるという選択肢を選ばれても仕方ないと思ってる。元々危険はないという説明でお前さんを雇ったからな。だからあんなことがあって改めてお前さんの意思を確認したい。もし少しでも辞めたいと思ったんなら」

「辞めませんよ?」


 最後まで聞く必要もなく私はあっけらかんとそう答えた。それでも店長は神妙な顔のまま。


「こんなに美味しいバイトはなかなかないので。まぁ、たまにある死なない程度の命の危険は〝うまい話の裏の部分〟として我慢します」


 隠し事をしたくなくて一連のことをヒヨコさんに話したら可愛い顔を鬼の形相にして怒っていたけど。ヒヨコさんには一刻も早く辞めろと言われたけど、それでも私はまだ辞めるつもりはないと話した。

 店長が今のタイミングでそれを切り出したのは山影さんの件で一区切りと思ったからだろうか。あの後すぐよりも今の方が落ち着いて考えられるタイミングとも思ったのかもしれない。

 もしヒヨコさんと初めてここに来たあの時に今と同じことを問われていたら断っていたかもしれない。だけどこの数ヵ月で完全にいろいろな情が移ってしまった。


「本当にいいのか」


 その問いかけに、店長の心配をなくせそうな言葉を探して窓から空を見上げた。見上げた先に晴天。雲一つない水色の空──いや。


「店長、今日のあの空も天色ですか?」

「え?ああそうだな」


 店長は突然話題を変えられたことに少し戸惑いながらも同じように空を見上げた。


「私がこれからもここで働くにあたって、一つお願いがあります」

「なんだ」

「色の名前を教えてください」

「色?」

「はい」

「色屋で働くからって別に無理しなくていいんだぞ。色の名前なんて知らなくても困らないだろ?」


 店長の言葉に首を横に振る。別に働くから義務として知りたいわけではない。


「知りたいんです。梔子色も天色も若苗色も、ずっとそこにあったはずなのに私には見えていませんでした。だけど今はもう分かります。だからもっとたくさんの色を知れば今より少しだけこの世界の解像度が上がる気がするんです」

「世界の解像度か」

「はい」

「だがな、色はずっとそこにあるがままに存在している。誰が見ても色は同じ、偽りなく綺麗な色だ。あの空を見て水色とか空色とか紺碧だとか思ったとして、あの空が綺麗なことに変わりはない。別にそれも完全な間違いではないし悪いことでもないぞ」

「いえ、それでも教えてください。同じか違うかはその後でしか分かりません。それとも、素人に一から教えるのは面倒ですか」

「そんなこと言ってないだろ」

「それならいいですよね」

「まぁ、別にダメだって言う理由もないしな」

「はい。……いろいろ言いましたけど店長が見ている世界を私も見てみたいって思ったんです」


 なぜか途端に沈黙になった。店長は黙って私の顔をじっと見ている。次第にその沈黙の意味が分かってきて顔が熱くなった。


「あ、今私結構恥ずかしいこと言ってました?」

「いや、そんな風に言われたことがなくてな。少し驚いただけだ」


 ああやっぱり。なんとなく店長なら今は茶化したりしないだろうと思った。