やはりこういうのは独学よりも専門家に頼るべきだった。むしろ気づくのが遅すぎた。さすがに店長を連れて行くことはできないし、できたとしても先生には店長のことは見えないだろう。そんなややこしいことをすれば私が患者になるというややこしい事態になってしまうこと必至なので、代理受診という形で受診した。

 先生の頭にヒヨコは……乗っていない。だけどその代わりに白い蛇がとぐろを巻いて乗っていた。なんだろう。病院の医者の頭に乗るのがあやかし界隈で流行りでもしているのだろうか。それにしても縁起が良さそうなあやかしだ。とりあえず今回はややこしいことにならないよう見えないフリをしておこう。

 店長のことを相談すると先生は優しそうな目をさらに優しく細めて話を聞いてくれた。


「そうですか。山岡さんはその人のことを助けてあげたいんですね」

「はい。お世話になっているので」

「他人に親身になってあげられるというのは、山岡さんはとても優しい人ですね」

「いえそんなことは」


 やけに私のことに焦点を当てられるなと思っていたら、ハッとした。そうだ。紹介状のあの封筒の中にはそれを書いた医者からの診療情報提供書が入ってある。つまり私がいくら店長の話をしたところでその紙に私が患者である(・・・・・・・)と記されているのだからそう言う目で見られてしまうのだ。私の話を信じてくれているのか空想の話だと思われているのかはさておき、この際アドバイスがもらえるならなんでもいい。


「それで、私はその人に何かしてあげられることはあるんでしょうか」

「そうですね。トラウマというのはとても繊細な問題で、素人の方が無理に手を出すとトラウマを余計に深めてしまうこともあります」

「ですよね……」


 もういろいろ手を出した後なんですが。それから先生は私の話を真剣に聞いていろいろとアドバイスをくれた。私は必死にそれをメモにとる。

 解決に向かうまでの一番の問題はやはりトラウマの理由が分からないということ。そして周りにできることは手助けをすることだけで、周りからの過度な期待はプレッシャーになって逆効果になるということを教えてもらった。最終的には本人がそのトラウマになった出来事を消化しきれるかどうかにかかっているようだ。だけど過去の出来事に囚われすぎて現在を見失ってしまっている場合もあり、その消化の方法は様々で専門家ですら一筋縄ではいかないこともあるという。


「最近、すごく疲れているようなんです」

「その方に無意識のうちに焦りがあるのかもしれませんね。逆に考えないようにすることで解決に導かれる場合もありますよ。長い目で見ることが大切です」

「なるほど」

「良ければ一度ご本人さんを連れて受診してください」

「相談してみます。今日はありがとうございました」

「はい。お大事にしてください」


 そして診察室を出る寸前。


「あなた近いうちに落ちるわよ」

「え?」


 振り返ると先生は「どうかされましたか?」と首を傾げた。違う、今の言葉を発したのは。先生の頭の上の蛇はチョロチョロと赤い舌を動かしていた。

 落ちるって何。分かるようで分からない意味深長な言葉を投げ掛けられ、どういう意味か聞きたい。だけどこれ以上精神科で(くう)に向かって話すというのはなかなかによろしくない気がしてぐっと堪えて診察室を出た。

 落ちる、落ちる──どこに落ちる?あれは未来予知ということだろうか。確かにあやかしならそんなことができたって不思議ではない。だけど考えたところで分かるはずもなかった。


 それからアドバイスをもらったようにまたいろいろと店長と試してみた。だけど。


「……っ」


 店長と私の手の間に隙間がなくなることはなかった。店長は額に滲む汗を拭いてイスに座り、何度も深呼吸をしている。すごく無理をさせているのは分かっていた。


「店長、少し休憩しませんか?」

「ああ。一時間ほどしたらまた」

「いえ、そうではなく。もうしばらくの間こういうのはやめておきませんか?」


 汗を拭いていた店長の動きがぴたりと止まった。


「……やめる?」

「専門家の先生に話しを聞いたんです。こういうのは焦ってしまうと余計に空回って逆効果になるそうで」

「俺はまだやれるぞ」

「ですが無理してませんか?始める前より最近の方がなんだか店長が辛そうに見えるんです。私のしていることがただの負担になってしまっているならそれは私の意図するところとはズレてしまってい」

「お前さんにはそう見えてたのか」


 店長が私の言葉を遮るようにガタンと音を立てて立ち上がった。そして近づいてきて手が伸ばされる。真剣な顔。いや違う、怒ってる……?

 伸びた手は私の左耳を掠めかけ。あ、触れる──と思ったけど、その手はぎゅっと握り締められたあと力なく下ろされた。そしていつものようにカラリと笑った。


「ああ分かった。別にいいぞ。お前さんの負担にも気づかず悪かったな」

「いえ私は全然」

「お前さん、もう帰れ。あとしばらく来なくていい。この一月ずっと俺のためにいろいろして疲れてるだろ」

「そんなことは」

「大丈夫だ。もしその間に店主が来たらその旨を伝える」


 違う、言いたかったのはそんなことじゃない。だけどあまりに思っていた展開と違っていてうまく言葉が出てこない。


「もう外も暗い。鬼火、現世まで送っていってやってくれ」


 店長の言葉に反応するように行灯の一つから鬼火が浮き上がって私の前にやって来た。いつもそんなこと言わないくせに。これは追い出されているのだと分かり、私は「お疲れ様でした」とだけ伝えて店を出た。

 店を出た瞬間に襲ってきた疑問と後悔に似た何か。あれ、間違えた?いつ?どの言葉を?私はただ──。

 鬼火が寄り添うように付いてきてくれる。竹灯籠が照らす石畳の道は相変わらずとても綺麗だった。