「それが神である神室の望みならば、私は人を殺します」






猿渡は神父だ。
神に仕える男だ。
だが、彼にとっての神は神父を名乗るべき男が崇拝する神とは違う。
人を陥れる悪魔のような神だ。
そんな神を信じた猿渡にはもう救いは無いのだろう。





だが、一つ分かったことがある。
猿渡が抱いたことがないという感情。
それは確かに猿渡の中にあった。
自分で気付いていないだけで確かにあったのである。
その感情がなければ、こんなことにはなっていないのだ。







「猿渡さん、自分では気付いていないだけで貴方の中には確かに怒りの感情はあったんだ」







「気付いていない?」






「貴方は誰のために人を殺したんだ?自分のため?それとも、《あの人》のため?神室のため?いや、違う。」






「何が言いたいのですか?」







一颯の言葉に、猿渡は訳が分からないというように頭を捻る。
本当に自分の中の感情を分かっていないようだ。
猿渡が人を殺したのは自分のためでも神室のためでも《あの人》のためでもない。
猿渡が人を殺した理由、それは――。






「貴方は空翔君のために人を殺した。姉の無念を晴らすために、甥の悲しみを、怒りを力任せにぶつけたんだ」







「……なるほど、これが怒りですか」






猿渡の中に渦巻くものは一颯たちには分からない。
だが、それは怒りというものなのだろう。
そうでなければ、このような事件は起きていない。
悲しみは怒りへと、怒りは憎しみへと変化していく。
それは一颯自身身を持って知っていることだ。






汐里は一颯をチラリと横目で見ると、椅子から立ち上がって猿渡の方へ歩いていく。
そして、猿渡の胸ぐらを掴んだ。
一颯から見える彼女の横顔は怒っているように見えた。






「京さん!?」





「お前の中に憤怒があったのは分かった。だが、お前が人を殺したことで、あの子は抱えるには大きすぎる業を背負うんだぞ」






一颯は猿渡から汐里を引き離そうとするが、汐里の手は猿渡から離れることはなかった。
汐里の言うとおり、空翔がこれから抱える業はあまりにも大きく、重い。
実父は暴力団組員、実母は実父に殺され、叔父は殺人犯。
まだ子供である空翔が背負うには酷だった。






「空翔には私が叔父であることも、実の親のことも話していません。あの子は身寄りのないただの子供です」






「……お前は残酷だ」






汐里は歯を食い縛ると、猿渡から手を離した。
そんな汐里に猿渡は「知ってますよ」と笑って、両手を差し出した。
一颯は深く息を吐くと、差し出された手に手錠をかけた。




――カチャン、手錠がはめられる小さな音が妙に大きく感じられた。