九つの殿の間を抜け、目的地にたどりつく。
 細長い建物が、いくつか連なっている。そこに華やかさはない。斉照殿を出発してからここまでに見てきた建造物とは、違う精神で造られたのだろう。
「こちらが祈護衛の書庫です。中には祈護衛の衛官がいますので、おふたりは一切口をきかぬように」
 清巴が扉を何度か叩くと、ギギ、と鈍い音をたてて開いた。
 出てきたのは、深緑の袍に黒い冠を頂いた宦官だった。清巴とあまり変わらぬ年齢に見える。
「――清巴様、おはようございます。……そちらは? 見ない顔です」
 膝を曲げて挨拶をする翠玉と李花を、祈護衛の宦官は気難しい表情で見た。
「昨日入った新入りだ。佳雪の姪で、身元は確かだから、安心してくれ」
「名は?」
一葉(いちよう)二葉(によう)だ」
 力の入っていない嘘の経歴に、力の入っていない偽名が重なった。
「……一と二? 長女と次女を、宮仕えに差し出したのですか」
「三女と四女が大層な器量よしでな。もう縁談の口が決まっているそうだ。上のふたりは器量こそ落ちるが、よく気がきくので雇うことにした」
 さらに、適当な嘘の逸話まで追加される。
(失礼な!)
 様々な感情を外に出すのを、ぐっとこらえた。
 祈護衛の宦官は、翠玉と李花をじろりと見て「無理もない」と余計な感想を述べる。
「それで、この書庫になんのご用でございましょう?」
「陛下が、ここの資料をご所望でな。できるだけ古い時期のものがよいそうだ」
 斉照殿も、祈護衛も、皇帝が双子だと知っている。ここで言う陛下、というのは、弟の身代わりをしている兄の明啓の方だろう。
「ご幼少の砌より、何度も学ばれておりましょうに……」
「焦りもしよう。あと半月しかない」
「ですから、三家を皆殺しにするしかない、と再三申し上げております」
 はぁ、と祈護衛の宦官はため息をつきつつ、三人を書庫に招いた。
 ぞわりと背が寒くなる。
(祈護衛の人たちが、三家の皆殺しを主張しているのね……知っていたら、こんなところに来なかったのに!)
 細長い建物の内部は、外から見るよりもいっそう細長い。薄暗さに、少し目が慣れてきた。両側に棚があり、竹簡が並んでいる。
「皆殺しでは解決しない、と陛下はお考えだ」
「呪いを恐れて罪人を生かした結果が、今の惨状ではございませんか。温情など要りませぬ。恩を知らぬ三家の輩など、殺してしまった方が世のためです」
 長屋に押し入られた時の恐怖がまざまざと思い出され、翠玉は胸を押さえた。
(江家は、なにもしていない)
 いっそ、この場で叫びたい。
 耐え続けて一生を終えた、祖父や父の名誉を守りたかった。
 だが――叫べば、すべて終わってしまう。ぐっと翠玉は拳を握りしめた。
「とにかく、資料を用意してくれ。急いでいる」
 祈護衛の宦官は奥の方に向かい、少しして数本の竹簡を抱えて戻ってきた。
「殺すべきです。禍々しい角の生えた疫鬼(えきき)の一族など」
 その祈護衛の宦官の、嫌悪感を(みなぎ)らせた表情に、翠玉の血の気は音を立てて引いた。
(角? 三家の者には角が生えているとでも?――あ……あれか)
 昨夜から、やけに頭のあたりを気にされていた理由が、やっとわかった。
 ――あれは、江家の娘の頭に、角が生えているかを調べていたのだ。
(本気で……? そんなバカバカしい話を、そろいもそろって信じていたのか、この人たちは!)
 頭にカッと血が上り、だが、すぐ虚しさに襲われた。
 虚しさに続き、凍えるほどの恐怖を感じる。
(そんな荒唐無稽な話がまかり通る場所で、冤罪を証明できるの?)
 どれだけこちらに理があろうと、疫鬼の言葉を信じてもらえるとは思えない。
「では、この資料はもらっていく。くれぐれも勝手な真似はするなよ?」
 竹簡を受け取り、清巴は祈護衛の宦官に釘を刺した。
「もちろんです。ただ、祈護衛はこの忌々しい呪いから、宋家をお守りするためだけに作られた組織でございます。熱が入るのは当然でございましょう」
 清巴の忠告を受け流し、祈護衛の宦官は奥に戻っていく。
 書庫を出、数歩歩いたところで、李花が、
「劉家は……江家とは違う」
 と呟いた。
 江家の人間とは違う。角など生えていない、とでも言いたかったのだろうか。
 勢いよく言い返そうとして、思い留まった。
 李花の声が、ひどくか細かったからだ。到底、腹を立てる気にはなれない。
(なんと恐ろしいところに来てしまったのだろう……)
 大きな不安が、背からのしかかってきた。
 祈護衛の書庫から斉照殿に戻る道のりは、果てしなく遠く感じられた。