ここで狼狽えるのも癪である。どうぞ、と落ち着き払った声で答えた。
「――巷で名高い華々娘子の店はここか?」
 きぃ、と扉が開く。
 現れたのは、涼やかな風貌の貴公子である。
 久しぶりに会ったが、やはり惚れ惚れするほど姿がいい。
「いらっしゃいませ。失せ物、人探し、吉日選び。縁結びに、悪縁断ち。なんでもいたします」
「人を、探している。頼めるか?」
「もちろんです。一体、どなたを?」
「美しい人だ。不思議な縁で巡りあったが、行方が知れない。信念を持つ、凛とした瞳がとりわけ美しい。強い心と、正しい道を選ぶ知恵を持った女性なのだ」
 笑うのを堪えるのに苦労した。
 照れくさいやら、おかしいやら。
「……奇遇でございますね。私も、誠実で優しい、不思議な縁で出会った貴人を捜しております。別れて季節がふたつも過ぎもますのに。もうどこぞの姫君を迎えられたのかと、半ば諦めておりました」
 明啓の顔が、ぱっと赤くなり、すぐに「悪かった」と頭を下げる。
 ここで、翠玉も折れた。
 占師と客を装うのは限界だ。
「すまなかったと思っている。――一言で言えば、自信がなかった」
 頭を上げた明啓が、翠玉をまっすぐに見つめて言った。
「自信……でございますか?」
 この国でもっとも高貴な皇族に生まれた人だ。端整な容姿と、世間に広く知られた優秀な頭脳を持った彼から発せられたとは思えない言葉である。
 だが、事情を知る翠玉には、理解し得る部分もあった。
「求婚は、王府を構えてから。政務に慣れてから。貴女を堂々と迎えにいけるようになってから――と時を待ってしまった。だが、それは間違いだった。正直に言う。俺はずっと、影でしかなかったのだ。そんな男が、貴女に求婚をしていいものなのか。俺でいいのか……悩みに悩んだ。だから、自分に次々と目標を課して、この日を先延ばしにしていたのだと思う。すまない」
 翠玉は、目をパチパチとさせ、それから小さく笑った。
(まるで鏡映しだ)
 明啓の姿をした、翠玉自分の声を聞いているかのようだ。
 自分でいいのか。――本当に?
 三家の異形を目の当たりにし、自分の血への恐怖もあった。
 今も夢に見る。自分の頭に角が生える夢を。人々の悲鳴。嫌悪。何度、目覚めて頭を確認しただろう。
 明啓の周囲からも、反対の声は上がったに違いない。
 特殊な環境で、ほんの一時期接しただけの縁だ。自分を選ぶことで、明啓は後悔しないだろうか。――答えは出ないというのに、悩み続けてきた。
「お気持ち、わかるような気がいたします。……私も、様々考えているうちに、時間が経っておりました。このままお待ちするのが貴方様のためになるのかと、ひどく悩んだものです」
 子を持つことへの躊躇いもあった。
 明啓の立場では、子をもうけるのもひとつの義務だ。
 翠玉の選択次第では、別に夫人を招く未来もあるかもしれない。
 心が定まらなかった。年が明けた頃には、いっそ手紙だけのやり取りが一生続いても構わない、とさえ思っていたのだ。
「俺が自分の満足できる状況など、いつまでも待とうと来はしない。貴女が納得する瞬間も来ないだろう。ひとつ満たされれば、別の傷に気づく。その繰り返しだ。だが、瑕疵のない者が夫婦になるのではない。そうは思わないか? 大事なのは、手を取りあうと決めることだ。至らないところもある。俺が貴女に支えてもらう場面もあるだろう。もちろん、逆に俺が貴女を支える日も来ればいいと思う。喜びも、悩みも、共に分かちあって生きていきたい。――それを伝えたくて、今日ここに来た」
「明啓様……」
「人生には、山もあれば谷もある。俺は貴女と共に歩みたいのだ」
「私は……三家の娘です」
「それを言えば、俺は貴女の先祖を殺した高祖の子孫だ」
 このまっすぐな言葉には敵わない。
 たしかに、瑕疵のない者だけが夫婦になるわけではないだろう。
 過去の因縁。生まれ、育ち。悩みもあれば迷いもある。だが、それはふたりで乗り越えていくことなのかもしれない。
 いずれ生まれる子は、たしかに三家の血を継ぐ者だが、翠玉ひとりの子ではない。明啓の子でもある。
 この人ならば、我が子を守ってくれるだろう。そう信じることができる。――翠玉を守ってくれたように。
「まだ、心の定まらぬこともあるのです」
「一緒に考えよう。焦らなくていい。ひとつ、ひとつ、乗り越えていけばいい」
 小さな抵抗を、翠玉はあきらめた。
 明啓が、翠玉の前に跪く。
 こちらを見上げる表情が明るい。はじめて会った時の陰は、もう見えなかった。
「それで――今日のご用は占いですか?」
「その、美しい人の心が知りたい。とても――魅力的な人なのだ。もう、誰ぞに心を奪われてはしまいかと案じている」
 翠玉は、声をだして笑ってしまった。
 そんな心配をするのは明啓くらいだ。伯父などは、毎日毎日、もらい手がなくなる、と嘆いているというのに。
「占いは、不要でしょう。直接お聞きになられては?」
「たしかに、不要だな。実は、占いの結果は出ている。――良縁だそうだ」
 その未来の彩りを、翠玉も知っている。
 色彩の示すものは多岐にわたり、簡単には断じられない。
 だが、今はあの時の彩りが示していたものがわかる。
 ――恋の成就。あるいは愛による幸福。
 今は、糸を通さずともその彩りが見えていた。
 ふたりを結んだ糸に浮かんだのと同じ――淡い朱鷺色が。