後宮を舞うは七彩の糸


「あ」
 徐夫人は声を上げ、辺りを見渡し、
「そこ!」
 と姜夫人が立っている場所に近い、灌木を指さした。
「そこにあるわ! あと――あぁ、あそこ! そこにも!」
 なにが、と問うまでもない。呪詛の蟲がある、と埋めた当人が明かしているのだ。
 緑の長棒を持った衛兵らが「掘れ!」と指示している。
「今、すぐに蟲を始末いたします。――もうすぐですわ、啓進様」
 にこり、と徐夫人は洪進に向かって優しく言った。
 彼女は――まだ、信じているように見えた。蟲さえ取り除けば、誤りはすべて消え去り、日常が戻ると。
「池にもあるわ。探して。沈んでいるはずよ。――そこに――あ……ッ」
 ぱしゃり――と音がした。
 池の、蟲を沈めた場所を示そうとした徐夫人の髪から、あの大きな花の髪飾りが落ちたのだ。
 ひぃ! と悲鳴を上げたのは、徐夫人の近くにいた姜夫人の侍女だった。
(……なに?)
 次に、きゃあ! と悲鳴を上げたのは、他でもない徐夫人自身だった。
 池に落ちた髪飾りを拾おうとし、できぬとわかってしゃがみ込む。
「――つ、角が――」
 侍女の声が聞こえるのと、怯えた徐夫人が洪進を振り返るのとは、おおよそ同時であった。
 その、髪の間からのぞくもの。髪飾りで隠せる程度の小さな突起。
 たしかにそれは――角に見えた。
「見ないで!」
 徐夫人が叫ぶ声は、あちこちで上がる悲鳴にかき消される。
(角――)
 三家の者には、角が生えている。
 今の今まで、それは祈護衛の不当な言いがかりだと思っていた。
 だが――今は理解できる。
(異能の代償だ)
 ――人でないものになる。
 江家の者が、特殊な占いを日に一度しかできぬように。
 きっと陶家にも制約はあったのだ。それを、徐夫人は超えた。
 この時、ひとつの推測が頭をよぎった。
 江家の占いは、それぞれ一日一度。劉家の護符も、一日十枚まで。
 呪詛も、一度にひとりと決まっていた、とは考えられないだろうか。
(徐夫人が呪っていたのは、洪進様と……私だ)
 思い人と結ばれるには、邪魔な皇帝を呪詛した。
 邪魔者を排除できると思った矢先、新しい夫人が現れた。
 皇帝が望んで迎えたという、その夫人が。皇帝が二日続けて殿を訪った、その寵姫が。――邪魔、だったのではないだろうか。
(まさか、私を……呪ったせいで?)
 恐ろしい推測だ。あまりにも、恐ろしい。
 恐怖はあったが、それでも翠玉の身体は自然に動いていた。
 罪は罪。だが、それとこれとは話が別だった。
 うずくまっているのは、三家の娘だ。
 自分と同じ。別の道を歩んだ自分が――そこにいる。
 見世物になど、させたくはない。
 走りながら袍を脱ぎ、素早く徐夫人の頭に被せた。
 パッと徐夫人が、袍の間からこちらをにらむ。
「お前のせいよ! お前なんかが邪魔をするから……! 殺してやろうと思ったのに! 殺してやりたかった!」
 徐夫人は、呪いの言葉を翠玉に浴びせた。
 愛する人の妻になるために、徐夫人はすべてを捧げたのだ。
 ――冬の話など聞きたくないわ。
 あの簡単な言葉は、恋に生きた人の覚悟であったのだろうか。
「蟲は、全部で四つですね?」
 動揺を押し殺し、翠玉は徐夫人に問うた。
「……そうよ。箱を燃やして。それですべて終わるわ」
 それだけ答えると、徐夫人はその場で泣き崩れた。
 気配を感じて振り向けば、そこに明啓がいる。手には袍を持っていたので、翠玉と同じように、角を隠そうと駆けつけてくれていたようだ。
 明啓が、自分の袍を翠玉にかける。
 皇帝の袍は、ずしりと重かった。
「呉娘、俺は貴女を裁かねばならない。……許せ」
 輿の上で、洪進は静かに告げた。
 徐夫人の周りには、彼女に仕える侍女たちが集まり、すすり泣いている。
「冷宮へ」
 洪進の声に王子、衛兵が徐夫人を立たせる。
 徐夫人は、衛兵と侍女たちに囲まれ、槍峰苑を去っていく。
 もう、鈴の音は鳴らなかった。