「だから大丈夫だよ。落ち着いて、心を込めて、決められた文章を読み上げる。それは主人公じゃなくても脇役でもおなじことだし、劇をやる上ではいちばんたいせつなことなんじゃないの? 上手にしゃべろうとする前に、伝えたい気持ちを前面に出したらどう?」
伝えたいことを、前面に……。
そうか。ぼくは上手にしゃべろうとするあまり、伝えることを忘れていた。つっかえて他の子に指摘されるのが怖くてそっちにばかり神経を削りすぎていた。
「ほら、坊主。牛乳も飲んで行けよ。牛乳の生産量は北海道についで2位だ」
「栃木市が?」
「栃木県だけどな」
「ふうん」
瓶の牛乳を飲み干して、ぼくは最後にお礼を言って歩き出した。もちろん学校に戻るためだ。もどって劇の練習をする。あの物語で作者が言いたかったことは何だろう。先生の脚本が伝えたかったことは何だろう。
*-*-*
翌月行われたお楽しみ会は大盛況にうちに幕を閉じた。歌の歌詞を間違えた女の子が泣き出したり、緊張のあまり曲紹介がしどろもどろになった下級生もいたけど、それはそれで見に来た地元の人たちを沸かせた。そんななかで始まったぼくたちの劇は滞りなく進んだ。かくいうぼくも一度もセリフを間違えることなく、つっかえこともなくちゃんと主役をこなした。
あれから10年。ぼくはこの街で元気に暮らしている。
「ねえ、いちごドーナツ、まだぁ?」
「あ、うん。い、いまできる」
「友則は相変わらず遅いんだから」
大学生になったモモネはアルバイトとしてあったか☆ドーナツの売り子をしている。経営学部に進んだモモネは卒業後は家業の不動産業を継ぐらしい。だからいまのうちに羽を広げてやりたいことをやるんだとか。
ぼくは地元の農業高校に進んで食物科の勉強をした。地元産の小麦を使った地元愛あふれるドーナツの開発……といえば聞こえはいいけど、小さなテナント事務所を改造してキッチンを作り、ドーナツの製造をしている。ウォーリーさんに雇われたのだ。
モモネがぼくのとなりに来て、出来上がったドーナツを袋詰めしていく。あのときぼくより大きかったモモネの背はいまはぼくのほうが高い。あたまひとつ分は抜いている。そのモモネからはほんのり甘い香水が漂ってくる。モモネのつむじは左巻きだ。おてんばを象徴するショートカットの髪は長くなり、今はウェーブがかかっていて、女らしくなったモモネは店先でナンパされることもあるらしい。
ちょっとぼくは内心、心配だ。
「パパがこんどうちに連れて来いって」
「だ、だれを?」
「友則に決まってるでしょ。カレシがいるならちゃんと紹介しなさいって言われてたから」
「あ、うん。え……ええっ?」
「なにビビってるの。パパに会うだけでしょ。うちのモモネを泣かせたら承知しないとか、モモネを傷物にしたら許さないとか、言われてると思うけど」
「キズモノ……」
「もう傷物にされたけどね」
モモネとは中学を卒業してから付き合い始めた。キスはしてきたけど、キズモノにしたのは最近だ。性格は男勝りのモモネだけど、そういうときのモモネはしおらしくてカワイイ。思わず思い出してしまった。
「なに笑ってるの」
ひじ鉄をくらって、ぼくは作業に集中した。
(おわり)
柳が揺れる川沿いの遊歩道でどんよりとした寒空を見上げる。いい加減、潮時だと思った。博人が不動産屋の前で足を止めると、中にいた白黒の市松模様のベストを着た女性店員がガラス越しにちらちらと彼を見やった。30を過ぎたばかりの男性は家を売る不動産屋には上客。店員の視線に臆することなく博人は壁の広告に食いついている。私は聞こえないふりでかじかんだ両手を合わせて息を吹きかけた。その息は霧のように私の視界をぼかす。
付き合って3年になる。同じ会社に勤めるふたつ年上の博人は大学は違ったが出身高校は同じだった。校舎が違ったので互いのことは知らなかったが、忘年会で隣になって同郷であることを初めて知った。
「一戸建てもマンションもこの辺りは豊富だね」
「先輩、早くいかないと売り切れるから」
「新築のマンションが?」
「違います。消しゴムはんこです」
「そうだった。急ごうか」
博人は私の手を握ると歩き出した。恋人の手は吹きかけた息よりずっと温かい。でも逆にそれがつらかった。この手を離すタイミングをずっと逃してきた。今日こそは、今日こそはと思うのだが、ずるずると今日まで伸びてしまった。
川岸に昔ながらの景観を残し、小江戸とも称される蔵の街。自宅アパートから車で30分ほどにある小さな街は私たちの定番のデートスポットだった。国の重要伝統的建造物群保存地区である嘉右衛門町の例幣使街道では、空き家となった蔵造りの古民家に雑貨やカフェがテナントとして入り、レトロ好きの若者の間ではお洒落スポットとして静かなブームを巻き起こしている。今日は年に一度催されるフリーマーケットで、狭い車道は寒さを吹き飛ばすほどの熱気であふれかえっていた。
幼い女の子が私たちの前を歩く。高い位置のツインテールはアニメキャラを連想させた。ピンクのショートコート、白いフリルのミニスカート、黒のタイツにキャメルのムートンブーツ。
カールした髪がポンポンとはね、ふわふわと揺れて彼女そのものがまるでふんわり甘い綿菓子のようだった。両脇にはお洒落で若く、笑顔を浮かべている両親らしき若い男女。幸せを絵に描いたような家族だ。
空き地に出店していたスイーツスタンドに3人は吸い寄せられ、ドーナツを買い求める列に並んだ。うずまきドーナッツ……すぐ裏手を流れる巴波川(うずまがわ)になぞらえた屋号だろう。黒板ボードには1こ500えん、カラフルなロリポップドーナツ、とイラスト付きで書かれていた。
私にもあんな頃があった、と誇らしくもさみしく昔を思い出す。両方の手の先には親の大きな手があり、デパートに行けば水色の服をねだり、屋上遊園地でメリーゴーランドに乗せてもらった。
……でもわずかに覚えている幸せな記憶はそれだけだ。
*-*-*
父も母も中卒だった。正確に言えば父親は工業高校の定時制に入学したが卒業はしていない。学校の授業についていけなくなった父親は1年生の秋に中退して近くの自動車修理の店に勤め始めた。修理の腕は確かだったが、口数の少ない父は顧客とのコミュニケーションが苦手で黙々と車の下に潜ってはねじを締めていた。母親も家庭の金銭的な事情で進学はできず、中学卒業後は洋菓子店で働いた。焼きあがったパンを得意先に届けるのが仕事だった。普通自動車の運転免許すら持っていなかった母はパンを詰めたかごを背負い、歩いて届けた。配達のないときは店番をした。
そんな二人が結婚するのは自然の成り行きだったと言えた。洋菓子店の店主と自動車修理工場の店主同士が知り合いで、それぞれの従業員だった二人を引き合わせた。見合いだ。断る理由もなく、若い二人は籍を入れた。ふた間しかない古い平屋の一軒屋を借り、やがてふたりの子宝に恵まれた。
暮らしぶりは質素だった。旅行は年に一度、一番近い茨城の海に日帰りで出かけるだけ。父親のボーナスが出るとデパートに行って私と弟の服を1着ずつ買い、最上階のレストランでミートソースを食べ、屋上遊園地でメリーゴーランドに乗る。唯一の幸せな記憶はこのときだ。白い襟に二重のフリルが付いた水色のワンピースを買ってもらい、誇らしい気持ちで小学校の入学式に出たのを今でも覚えている。でも靴は近所に住む3つ上の佳苗のおさがりだった。ランドセルはいとこの使い古しだった。それでも私の心は弾んでいた。
ここからは暗い記憶しかない。父は出稼ぎに行くといって家を出たきり、帰ってこなかった。ひと冬工場で勤務したら帰ってくるはずだったのに春を過ぎても夏を過ぎても帰ってくることはなかった。つぎの冬を迎えるころには私と母と弟の3人の暮らしが当たり前になった。デパートに出掛けることもなくなった。
古い平屋は大雨が降れば天井からも雨が降ってきた。学校ではお古のランドセルを笑われた。算数セットも筆箱もすべて佳苗のおさがりものだった。廊下に出ると、教室から「なんかさ、汚い」「臭いよね」という声が聞こえた。先生がいけませんと陰口を叩く女子を叱る声も聞こえた。水道代とガス代を節約するため家では入浴は一日おきだった。よその家では毎日風呂に入ることを知った私は汚いと言われても否定することができなかった。
自分がマイノリティにいることを知ると、授業での発言も休み時間におしゃべりを楽しむこともできなかった。ぽつんと席に座り机の上の消しゴムを立てたり倒したりしていた。
中学に上がるころにはそんな自分の生活を分析するようになった。こんな惨めな思いをするのはなぜか。両親が中卒だからだ。中学生になるとそんなことを認識できるようになった。母親も年収は200万に乗るかどうか、ワーキングプアに近い状況だった。
だから私は必ず大学を卒業する、そして手に職をつける。それが貧乏から抜け出す切り札だと考えた私は、部活動にも入らず、家ではテレビも見ずにひらすら勉強をした。塾にもいってなかったが、学年順位で一桁をキープしていた。いい成績を取ることで、汚いとののしったクラスメートを見返してやった。高校は公立の中でもトップクラスのところに入学できた。成績優秀者にのみに支給される返済免除の奨学金も受けることができた。制服や学校指定のカバン、自転車などは佳苗からのおさがりだ。クラスメートの真新しい服も靴もカバンもうらやましかった。でも毎日くたくたになるまで働いてくる母親に面と向かって愚痴をこぼすことはできなかった。心の中で親をののしりながらも。
頭が悪いから、高校も卒業できなくて大人になってから苦労している。百歩譲って頭が悪いのは遺伝で仕方のないことかもしれない。でもそれに甘んじて学校の勉強をきちんとやってこなかった。頑張ってモノを覚えようとしなかった。その努力が欠如していたからこそ貧乏なのだ。私はそんな大人になるもんか。
志望校は授業料の安い国公立の文系に絞っていた。理系のほうが就職もいいのはわかっていたが、なにせ授業料が高い。合格して入学してからの費用を考えると文系がせいぜいだ。通帳には今まで貯めたお年玉の総額が記載されている。10万にも満たないそれでは入学金すら支払えない。私は下校後にコンビニでバイトを始めた。入学金は30万円だ。
時給が安く、とても目標の額に届きそうになかった。わずか3か月でコンビニをやめ、時給のいい運送業の倉庫の仕分けに切り替えた。各支所から集められた段ボールを配達方面別に仕分ける仕事だったが、重労働な上、ガラの悪い男性ばかりの職場で空気が悪かった。お嬢ちゃん手伝おうか、といやらしい笑い方で手を重ねてくる男もいた。帰宅するのが22時でそれから机に向かうが眠気が勝ち、成績はみるみる落ちていく。
放課後、担任教師に呼び出されて進学指導室にいくと廊下には4,5人の生徒が椅子に座って順番待ちをしていた。小テストで毎回一桁を連発しているメンバーだった。どの顔も間抜けで向上心がみじんもない。その椅子の列に座るのはそれに染まってしまいそうでいやだったが、致し方なく最後の椅子に腰かけた。進路指導室は職員室の奥に位置していたから通る生徒は少なかったが、物珍しげに列を見やりながら歩いている生徒は私たちを見世物と勘違いしているように思えた。宿題を忘れて廊下で立たされている小学生気分だった。
面談では、大学進学はあきらめて専門学校に切り替えたらどうだ、とまで進言された。
いけない。このままでは進学できない……。