「この子は本当に迂闊なところがあって」
母はよくそう言って、私の不出来なところや失敗談を他人に語って聞かせた。
それは作り話ではなくすべて本当にあったことで、だからこそ私は彼女に対して反論をすることができなかったのだ。
けれどあのとき、一度でも自分の心に従って「嫌だ」と伝えられていたら、ここまで自己嫌悪を深めることもなかったかもしれない。
母の呆れを含んだ笑い声が頭の中に響く。
あのときの心が削られていくような感覚を、私は今でも忘れることができない。
「あれ……」
陽の光がまぶたに射すのを感じ、ゆっくりと目を開ける。
するとすっかり見慣れた千里くんの部屋の景色が見え、私の頭にはぼんやりと昨日の記憶が蘇ってきていた。
どうやら昨日の夜、倉嶋さんと別れて帰宅した私は、リビングのソファーでやけ酒のように缶ビールを呷り、そのまま眠ってしまったらしい。
縮こまって寝ていたせいで凝り固まった体を伸ばし、ゾウのようにのっそりと起き上がる。
なんだか悪い夢を見ていた気がするけれど、もう何も思い出すことはできなかった。
その代わり、脳裏に昨夜の倉嶋さんとのことが浮かび上がり、あのカフェでの一連の会話を思い出した私は、もう一度ソファーの上に沈み込んだ。
千里くん本人と話をした方がいいだなんて、どうして私は自分の首を絞めるようなことを言ってしまったのだろう。
対話の機会を持つ必要があると考えたのは事実だけれど、そうなれば二人の距離がさらに縮まることは必至だ。
せめて倉嶋さんが嫌な人だったら、千里くんに近づかせないための言い訳もできたのに。
まったく、善人ぶった行いをして後悔していたら世話がない。
ぐったりと横たわったまま、視線の先のローテーブルの上に散乱する空き缶を眺める。
その中から投げっぱなしのスマートフォンを見つけて手に取ると、画面の中の時刻は十時を表示させていた。
いけない、今日は十一時から東雲さんと会う予定だったんだ。
大事な予定を直前で思い出した私は慌ててソファーから下り、化粧や朝ごはんもそこそこにマンションを飛び出した。
「お久しぶりです、日下部先生」
「お、お久しぶりです……」
幸い遅刻はしなかったものの、待ち合わせをしたファミレスへと駆け込むと、東雲さんが先に到着してしまっていた。
いつもどおりのかっちりとしたスーツを着込んだ彼は、すでにホットコーヒーを注文し、優雅に寛いでいる。
「どうされました? 世界の終わりのような顔をされていますが」
「世界の終わりって。私、そんな顔してます?」
「ええ。何やら新作の原稿に行き詰まっているだけではないようですね」
この人はどうしてこうも他人の気持ちを敏感に感じ取ることができるのだろう。
それともただ単に私が分かりやすいだけなのだろうか。
人の内側まで見透かせてしまいそうな眼鏡越しの瞳に戦慄する。
急いで走ってしまったせいで乱れた前髪を直しながら、私は彼の向かいの席に腰を下ろした。
「実は最近、己の人間力の低さに打ちのめされておりまして」
「人間力」
私の発した単語を、東雲さんは興味深そうに繰り返した。
「最近いろんな人と交流を持つようになったんですけど、改めて自分の視野の狭さに絶望することが多くて。人間関係とか社会経験とか、そういうものを遠ざけてきたツケがここにきて来ているのかなぁと」
「なるほど」
頷いて、東雲さんが静かにコーヒーをすする。
それを見て、私も何かとてつもなく甘いものが飲みたいと思い、迷った末にメロンソーダフロートを注文した。
鮮やかな緑色にバニラアイスとさくらんぼが乗ったそれは、飲めば爽やかに甘く、どこか懐かしい味がする。
母はよくそう言って、私の不出来なところや失敗談を他人に語って聞かせた。
それは作り話ではなくすべて本当にあったことで、だからこそ私は彼女に対して反論をすることができなかったのだ。
けれどあのとき、一度でも自分の心に従って「嫌だ」と伝えられていたら、ここまで自己嫌悪を深めることもなかったかもしれない。
母の呆れを含んだ笑い声が頭の中に響く。
あのときの心が削られていくような感覚を、私は今でも忘れることができない。
「あれ……」
陽の光がまぶたに射すのを感じ、ゆっくりと目を開ける。
するとすっかり見慣れた千里くんの部屋の景色が見え、私の頭にはぼんやりと昨日の記憶が蘇ってきていた。
どうやら昨日の夜、倉嶋さんと別れて帰宅した私は、リビングのソファーでやけ酒のように缶ビールを呷り、そのまま眠ってしまったらしい。
縮こまって寝ていたせいで凝り固まった体を伸ばし、ゾウのようにのっそりと起き上がる。
なんだか悪い夢を見ていた気がするけれど、もう何も思い出すことはできなかった。
その代わり、脳裏に昨夜の倉嶋さんとのことが浮かび上がり、あのカフェでの一連の会話を思い出した私は、もう一度ソファーの上に沈み込んだ。
千里くん本人と話をした方がいいだなんて、どうして私は自分の首を絞めるようなことを言ってしまったのだろう。
対話の機会を持つ必要があると考えたのは事実だけれど、そうなれば二人の距離がさらに縮まることは必至だ。
せめて倉嶋さんが嫌な人だったら、千里くんに近づかせないための言い訳もできたのに。
まったく、善人ぶった行いをして後悔していたら世話がない。
ぐったりと横たわったまま、視線の先のローテーブルの上に散乱する空き缶を眺める。
その中から投げっぱなしのスマートフォンを見つけて手に取ると、画面の中の時刻は十時を表示させていた。
いけない、今日は十一時から東雲さんと会う予定だったんだ。
大事な予定を直前で思い出した私は慌ててソファーから下り、化粧や朝ごはんもそこそこにマンションを飛び出した。
「お久しぶりです、日下部先生」
「お、お久しぶりです……」
幸い遅刻はしなかったものの、待ち合わせをしたファミレスへと駆け込むと、東雲さんが先に到着してしまっていた。
いつもどおりのかっちりとしたスーツを着込んだ彼は、すでにホットコーヒーを注文し、優雅に寛いでいる。
「どうされました? 世界の終わりのような顔をされていますが」
「世界の終わりって。私、そんな顔してます?」
「ええ。何やら新作の原稿に行き詰まっているだけではないようですね」
この人はどうしてこうも他人の気持ちを敏感に感じ取ることができるのだろう。
それともただ単に私が分かりやすいだけなのだろうか。
人の内側まで見透かせてしまいそうな眼鏡越しの瞳に戦慄する。
急いで走ってしまったせいで乱れた前髪を直しながら、私は彼の向かいの席に腰を下ろした。
「実は最近、己の人間力の低さに打ちのめされておりまして」
「人間力」
私の発した単語を、東雲さんは興味深そうに繰り返した。
「最近いろんな人と交流を持つようになったんですけど、改めて自分の視野の狭さに絶望することが多くて。人間関係とか社会経験とか、そういうものを遠ざけてきたツケがここにきて来ているのかなぁと」
「なるほど」
頷いて、東雲さんが静かにコーヒーをすする。
それを見て、私も何かとてつもなく甘いものが飲みたいと思い、迷った末にメロンソーダフロートを注文した。
鮮やかな緑色にバニラアイスとさくらんぼが乗ったそれは、飲めば爽やかに甘く、どこか懐かしい味がする。