「いや、ボンボンという訳では……。そうだ、皆さんなら知ってますか?捜査一課に《キョウ》さんって呼ばれる刑事が――」
一颯がそう言いかけた途端、ガンっとグラスがテーブルに置かれた。
飲み食いしているのが個室で良かった。
そうでなければ、店内中の視線がこちらへ釘付けだった。
「……お前、その人に何か用か?」
グラスを思いきり置いた主、汐里は低い声で一颯に問いかける。
ドスのきいたその声は犯人でなくても、身震いしてしまうほどの圧があった。
「何かって……ただ、俺はその人に会って、話をしたいだけで……」
「残念だったな。その人とは二度と話せない」
「え、京さんはその人のこと知っているんですか?」
「ああ。その人は私の父だ。もう十年も前に殉職した」
汐里はそう言い残し、「トイレに行ってくる」とその場から離れた。
《キョウ》さんと呼ばれた刑事。
それがもし、《カナドメ》と読む京という名前を音読みにしたあだ名だったとしたら……。
「あの話って本当ですか?」
「う本当だ。京は嘘であんなこと言わない。お父さんのこと、京刑事のこと本当に尊敬してたみたいだからな。京刑事も優秀な刑事だった」
一颯の隣にいた司馬は汐里の父親と接点があったのか、懐かしげに目を細める。
この人のようになりたいと憧れた刑事は殉職し、既に警察にはいなかった。
会えることを期待していた一颯にとって、それはショックなことだった。
すると、突然個室の襖が開いた。
最初は汐里が戻ってきたのかと思われたがそこにいたのは汐里ではなく、見知らぬ男だった。
酔っているようで、顔を赤らめて千鳥足で足元が覚束無い。
誰?と皆が頭を捻ると、男の後ろに女が現れる。
「ちょっと石川君!こっちだよ!」
「あるぇ?」
「飲み過ぎ!もう!すみません……」
男は女に連れられ、部屋から出ていく。
酔っ払いとは厄介なものだ。
千鳥足になるまで飲み、人様に迷惑をかける。
下手すれば、警察が出動するはめになる出来事が起きてしまう可能性がある。
酒が飲めない一颯からしてみれば、酔っ払う感覚の良さが分からない。