「あの、すみません、ご迷惑おかけしちゃって……」



人気のないカフェ、一番窓際。心地のいい音楽とコーヒーの匂いが心を落ち着かせる。けれど目の前にいるのは何故か、あの人気アイドルユイユイとやらだ。



「いや、別に暇だったから」

「わ、私は一緒に映画見れて本当に嬉しくて…!」



今朝、目覚まし時計の代わりに鳴ったのは領からのウルセー着信音。今日は一日オフのはずなので緊急連絡かと慌てて電話に出ると、『ユイユイとデート取り付けといたから!12時に〇〇駅ね!じゃ!』と一方的に言われてしまったのだった。

ありえない。信じらんねえ。

うぜえことに怜からも『ドタキャンすんじゃねえぞ』とLINEが入っている始末。あいつら俺をなんだと思ってんだよ。



「ああうん、ありがとう。映画面白かったね」



とりあえずのこと、急いで支度をすませて駅に向かって、待っていたユイユイと何故か今流行りの恋愛映画を見ることになったのだった。観賞後、何故かこんなカフェにまで来てしまって。

俺って意外と押しに弱いのかもしれない。



「あ、の、」

「うん?」

「この間は、急に告白なんてして……ごめんなさい」

「いや、こっちこそ嫌な態度とったよね、ごめん」



俺はブラックコーヒー、相手はミルクティー。入り口のショーケースにあるケーキを見て目を輝かせていたのに、俺に気を遣って頼まなかったんだろう。

綾乃とだったら、きっと頼んでいた。ひとつでも何かを共有したくて、1分でも長く一緒にいる理由が欲しくて。


なんて、考えてる時点で、相当最低だ。




「浩平さんは、彼女とか、好きな人、とか、いないんですか?」

「彼女は、いないよ」

「……じゃあ、好きな人は、いるってことですか?」



そんなこと、突っ込んでこなくてもいいのに、と正直思う。怜や領にも言ったことがないのに。まあ言えるわけないんだけどさ。

でもきっと、だからこそ。あの2人は俺に恋愛させたがるんだろう。



「……どうなんだろうね」

「今日、本当は、きたくなかった、ですか?」

「来たくなかったわけじゃないけど、俺がきみのことを好きになることはない、と思う」



人気絶頂期のトップアイドルだ。容姿端麗で、礼儀正しくて、きっとすごく良い子なんだろう。

でも、知りたいと思わないんだ。

俺にとっての「好き」はきっと、「知りたい」「近づきたい」だと思うから。



「そう、ですよね。わかってました、振り向いてもらえるなんて、そんな夢みたいなことあるわけないです、」

「……俺と付き合うより、きみと付き合いたい人の方が大勢いると思うけど」

「でも、私は、浩平さんのことずっと、好きだったんです……」

「ずっと、か」

「……高校の文化祭で、初めてはるとうたたねの歌を聞いてから、ずっと」

「え、」

「隣町に住んでたんです、友達に誘われて、わたしはまだ中学生だったけど……」

「そんな前から知っていてくれたの、か」

「はるとうたたねに、浩平さんに憧れて、芸能界に入ったんです、私」



だから、こうして話ができたこと自体、奇跡みたいなものなんですよ、と。笑ったユイユイの目には涙が溜まっている。必死に溢れないように抑えているんだろう。


はるとうたたねが、誰かの世界を変えることもあるんだな、と。

この目で見て聞いて、初めて実感して、おれはすごい場所に立っているんだな、と今更思うよ。


「……すごいな、」

「え?」

「領のこと」

「……え?」


突然にも程があるよな。話の脈絡をまるで掴んでいない。でも、ユイユイの話を聞いて、純粋にそう思ってしまった。



「はるとうたたねが今こうしてバンドをやれてるのも、……きみが俺を見つけたのも、全部あいつのおかげ」

「あ、えと、領さんがバンド結成の立役者……なんですよね、」



いきなり何の話をしているのだろうかと、涙ぐむ瞳を優しくぬぐって笑ってくれる。優しい子なんだろう。

はるとうたたねの結成話は、今までテレビや雑誌のインタビューで腐るほどしてきた。中3の春に領が俺をドラムに誘って、高1の春に怜をベースに誘って、高2の春に綾乃をボーカルに誘った。

全員、領に誘われて、領に救われて、ここにいる。ここに立ってる。



「どんなふうに、……誘われたんですか?」

「領に?」

「はるとうたたねの、ファンなので、知りたいんです」

「ファンか、ありがとう」



領に誘われたのは、中3の春の話。


その頃俺は結構捻くれていて、あまり周りとうまく打ち解けることができていなかったと思う。好きなこととか得意なことはその頃からなかった気がする。勉強は出来たけれど、それは人一倍の努力をしていたからだ。


中3の春。クラス替えがあって、最初の教室で、高城領という男は他の人に見向きもせず、俺の机へとやって来たのだった。



『ねえ! バンドとか興味ある?』

『……は?』

『ドラムやらない? 俺はギターやるからさ!』



正直本当に意味がわからなかった。

高城領のことは知っていた。同級生の男女共に人気があるだけには止まらず、先生にも、先輩にも後輩にも注目されていて、どこにでも友達がいるようなやつ。知らない人なんてきっといないだろう。

そうとは言え、こいつと喋ったのはそれが初めてなわけで。自己紹介もせずいきなりそんなことを言ってくる領のことはその頃からずっと理解不能だった。



『いや、何の話?』

『あーごめん! おれ、イキナリ話しちゃう癖があって! あのさ、バンド組みたくて! そのドラムに、コーヘーを誘ってるの!』

『……は?』

『えーと、だからね、ドラム……』

『まって、俺ときみって初対面だよね? というか、そんなのやりたい人なら他にいくらでも……』

『コーヘーにビビッと来たんだよ! こんなこと、わかんないかもだけど……』

『意味不明すぎだから』

『でも、将来絶対成功するよ?』


はあ? と、俺が眉間に皺を寄せたのをみて、ポカンとそんなことを言ってみせた領のこと、心底バカヤロウだと思ったことを覚えている。

親族含めて家族全員医療関係の家庭に生まれて、将来の選択はそれ以外考えたことがなかった。だってその道が当たり前だと言われて育ってきたから。

なのにコイツは、バカみてえなことを言って、バカみたいなことで、将来なんて言葉を口にする。



とりあえず放課後家にきてよ、と。強引に誘われるがまま領の家に連れていかれて、地下にある防音室に招かれた時は驚いた。

ギターとドラムだけじゃない、ベースもキーボードも大量の楽譜やCDも、全部揃っていた。後から聞いたことだけど、領の家系は代々音楽一家らしい。

ポカンとする俺をドラムへと招いて、足の使い方からスティックの持ち方、叩き方、一から説明する領につられて音を出した。それが始まりだ。

領は幼い頃から音楽に触れていて、この部屋にある楽器は一通りなんでも使いこなせるらしい。ギターが一番得意らしいけど。



『やっぱり、おれの目に狂いはないなー!』

『いや、ドラムとか触るの初めてだし…』

『ドラムってさ、色んなところに意識を向けて曲の土台を作っていかなきゃいかない超大事なパートなの』

『……』

『だから浩平にピッタリだし、器用だからすぐにうまくなるって思ったんだ』



なんだそれ、俺と喋ったのなんて、今日が初めてだろ。



『初対面なのに?』

『同じ学校だし、浩平カッコいいから女子たちから名前よく出てたし、おれは知ってたよー? 人気者じゃん』

『お前が言うか?』

『いつもさ、なーんかつまんなそうな顔してるって思ってたんだよね』

『……』

『ねえ、ちょっとでいいからさ、おれのこと信じてみてくれない?』



バカじゃねえの、こいつ、初対面なのに、「信じてくれない?」だなんて。



『……バンド組んだらどうするんだよ』



でも、話を聞いてみようと思った俺も、大概バカやろうだ。



『とりあえずね、俺がギターで、浩平がドラムで、』

『それはわかったけど、2人組でやるつもりなの』

『ベースがあとは欲しいかなー、今のところピンとくる人には出会ってないけど。ボーカルは俺でもいいけど……上手い人がいたら任せてもいいかなー』

『最高4人ってこと?』

『うん、ていうか多分、4人組になる気がするんだよね』

『なんだそれ』

『勘かな、そういうの、おれ結構あたるんだー!』



その時は、頭空っぽなんだなコイツ、と呆れたように思ったけれど。

今はわかる。高城領という男は、世の中で”ツイてる”や”ラッキー”と呼ばれるものたちを、全て引き寄せる力を持っているんだ。中学3年の春から現在まで、ずっと領と一緒にいる俺にはわかるよ。




『……それで、バンド名は?』

『はるとうたたね!』

『はあ?』

『響きいいでしょ? 略して「はるうた」』

『変な名前、お前の頭の中どうなってんの』

『えー、カッコいいと思うんだけどなー』

『そんな変なバンド名聞いたことない』

『でもさ、春が好きなんだよね』

『は?』

『こうやってさ、人と出逢えるから』



俺と出会ったのも、怜や綾乃をスカウトしたのも、今思えば全部春のこと。あの時の領は、まだ何も知らなかったはずなのにな。

全部見透かしていたのかもしれない。本当に侮れなくて、すげえやつだよ。




「……そこからは早かったな」


思い出を懐かしむように、つらつらと話し続ける俺の言葉を、ユイユイは嫌な顔ひとつせず頷きながら聞いてくれていた。

人の話を聞く態度って、案外その人の素性が出るものだよな。俺にはもったいないくらいの女の子だ。



「勉強ばかりしていた俺が、初めて何かに夢中になった、今もずっと」

「すごい、ですね」

「今思えばあんな胡散臭い話に乗るなんて馬鹿らしいけど、本当はずっとどこかで、つまらない日常から抜け出したかったのかも」



それに初めて気づいてくれたのが、高城領という男だった。



「ふふ、浩平さん、領さんのこと、本当に大好きなんですね」

「大好きというかなんというか……」

「こんな話聞かされたら、敵うわけないって思っちゃいます」

「……ごめん」

「ううん、いいんです、浩平さんにとって、はるとうたたねが一番大切な場所で、それ以外は見れないって、そういうことですよね」

「……うん、ごめん、今は、他のことに目移りする余裕がないんだ」




ああそうだよ、やっと気づいた。





自分のことずっと、ツイてないって、運がないって、そう思っていた。世の中のラッキーなものとは無縁の人生だって。



領みたいなのとは、正反対の人種だって。



だって、四つ葉のクローバーなんて見つけたことがない。

世の中のラッキーと呼ばれるもの。四つ葉のクローバーにラッキーセブン、茶柱や流れ星。そういうものとは無縁の人生。ラッキーとかハッピーとかきっと似合わない人種なんだろう。

小学校のマラソン大会で、練習は毎回1位をとっていたのに、本番でこけて10位になるとか。兄弟と食べたプリンが自分だけうまく型から落ちなかったとか。いつも見ない朝の星占いで、たまたま見た時に限って12位だったとか。昔から器用貧乏で、なんでもそこそこにはこなせるけれど、誇れるものが何もないこととか。




数えたらきりがないくらい、多分自分の人生って"ツイてない"ことが多いと思う。




───『春がすきなんだ、人と出逢えるから』




だけど多分、あの日領に声をかけられたことが、そもそもすっげえラッキーなことなのかもしれないんだ。