3月2日。明日は卒業式だ。
ろくに友達は出来なかった。大した思い出も残らなかった。自信を持って楽しいと言えることは何も無かった。
心を込めてしたことは何一つない。どこまで行ってもつまらなくて、変わっていない。変わり方がわからないのだ。つまらないつまらないと言われて生きてきた私には、中身がぎゅうっと詰まった面白い毎日が 見つかる気がしない。
強く死にたい理由はなかった。ただ、何も変わらないままいずれ死ぬなら、卒業式の前日に自殺して 「つまらない人」から「迷惑な人」にでもなってみようかと、そんなバカげたことを考えたのだ。
真木くんが来ていなかったら、私はもうとっくに実行していたと思う。
「面白いよ、佐倉さん」
「……私は面白くなんかない」
「それは佐倉さんが決めること?人の数だけ価値観があるでしょ。100人中99人が佐倉さんをつまらないと罵っても、1人は面白いって言う。そこにどこか変なところがある?」
真木くんってこんなに喋る人なの。
知らなかった、もっと大人しい人だと思ってた。
それを伝えると、「人間の8割は思い込みから出来てるよ」と言われた。その情報が確かかどうかはわからなかったけれど、なんとなく、そう言われればそのような気もした。
「つまらない人ってさ、逆にいえば面白いってことじゃない?」
真木くんは変な人だと思う。つまらないの対義語は面白い。だから私も面白い。なんて変な話なのだ。
「バカと天才は紙一重っていうじゃん、それと一緒だよ。死ぬと生きるも紙一重。もちろん、つまらないと面白いも。対義語で成り立つことは沢山あるんだよ」
真木くんの言葉にふと思う。
私が対義語で成り立っているのなら、真木くんはどうだろう。彼は変な人だ。「変」の対義語は、紙一重なのは、
「……素敵、」
「え?」
「真木くんは素敵な人……ってことになる」



