「卒業式前日に自殺はさ、流石に縁起悪いと思うよ」



3月1日、第1月曜日。

視聴覚室の窓を開け、春の風に吹かれる私に そんな声がかけられた。振り返ると、そこにはブレザーのポケットに手を突っ込んで立つ真木くんが居て、澄んだ瞳が真っ直ぐ私を捉えていた。



「景色を眺めてただけだよ」
「そのわりに、結構身は乗り出してるけど」
「風が気持ちよかったから」
「そう」



真木くんはそれ以上何も言及してこなかった。窓を見つめ、ほんのり暖かい風に吹かれている。グラウンドの桜はまだひとつも咲いていなかった。


卒業時の黒板アートや色紙のデザインには桜が使われるのは 華やかさの演出だと思う。時期に合わせたものにしたら枝の茶色ばかりになってしまうから。卒業という行事に国中が気を使い始めたのはいつからだったんだろう。考えたところで 答えをネットで調べるところまではしない。面倒だからだ。いつもそう。

私は、いつだって何にも強く興味が持てない。



人生で一番言われた言葉は「つまらない」だと思う。いや、だと思うではない。そうなのだ、絶対に。

母に逆らったことは無かった。逆らうほど不満でもなかったからだ。ピアノは合わなかったけれど、小・中学校と音楽の成績は5だった。楽譜が読めることと教科書レベルの演奏は難なくこなせたことが影響したのだと思う。不満は、別になかった。


高校で、隣の席の子が課題をわすれたという日に一度だけ自分をノートを見せてあげてから、「佐倉さんのノート綺麗で読みやすい」という情報が回り、テスト前に限りクラスメイトから頼られるようになった。


「佐倉さんのノートがあれば完璧」
「ノートみせて」
「佐倉、ノート」



いつからか敬称がなくなった。いつからか、名前を呼ばれることとノートを見せることがイコールになった。それさえも別に、気にしてはいなかった。


ある日の放課後、掃除当番を終えて教室に戻ると、クラスメイトの女子が若干名、私の話をしていた。


「佐倉ってつまんないよね。笑わないし」
「ノート貸してくれるだけの機械みたい」
「映画同好会だっけ。真木くんもよくサボらず行ってると思わない?見終わったあとも感想すら言い合わないって話だよ」


自分の悪口を言われているときですら、悲しいという感情は湧かなかった。その後、私が戻っていたことに気付いたクラスメイトたちは慌てて身支度をし、「あははごめんね、またねっ」と無理のある笑みを向け、パタパタと教室を出ていった。


私はつまらない。そんなことはわかっている。分かっていても直せない。何も感じないからだ。心を込めて演奏しなさい とピアノの先生に怒られていたあの時と少し似ていた。

出来ないものはできないと、自分の中で諦めがついている。つまらないと言われても、機械みたいと言われても、治し方が分からないから仕方無い。