二年半の刑期を終えた俺は、あてもなく町をぶらついた。しばらく考えた後、加奈子のマンションにやっぱり向かうことにした。

 加奈子は、相変わらず同じマンションに住んでいた。だが、腕に抱いているものが明らかに変わっていた。

 いつもわけのわからない資料を突っ込んでいたバッグではなく、赤ん坊を抱いていた。隣には優しそうな男が並び、見たことのない笑顔を浮かべていた。

 自動相づちマシーンはもういらない――。

 立ち去る幸せそうな背中が、そう告げていた。加奈子は自動相づちマシーンではなく、本当に話ができる相手を見つけたようだ。

 仕方なく繁華街へと足を伸ばすと、賑わう雰囲気の片隅に畑山の顔を見つけた。頭にタオルを巻き、厨房で客に愛想を振りまきながら鍋をふる姿が滑稽だった。

 どうやら俺がいなくても成功したらしい。僅かに気にはなっていたが、目を輝かせて働く畑山の姿に、俺は寂しさと嫉妬を感じて声をかけることをやめた。

 夜になるまで時間を潰し、マイナスドライバーを手に仕事に出かける。刑務所で誓った更正は、一日ももたなかった。

 忍び込む先を探しながらも、自然と足は資材置き場に向かっていた。二年半の月日で多少は外観も変わっていたが、ユニック車は相変わらず定位置にあった。

 赤外線センサーをかわして忍び込む。ユニック車に鍵がかかっていた。二年半の間で、鍵をかけることを学んだらしい。

 マイナスドライバーでこじ開けて運転席に座る。煙草に火をつけて、霧に滲む街灯をぼんやり眺めた。

 芹那はどうしているだろうか。ちゃんと大学生になって、夢を追いかけているだろうか。

 泥棒が心配することではない。そう思い、俺は自嘲しながらいつものメモを隠した場所に手を伸ばした。

 意外にもメモはあった。さらには、折り畳まれたA4サイズの画用紙が助手席の下に貼り付けられていた。懐かしい気持ちに胸が一杯になりながら、広げた画用紙に目を落とした瞬間、息が止まるのをはっきりと感じた。

 画用紙には、芹那がコンクールに出すはずだった絵が描かれていた。力強く輝く太陽に照らし出されていく町並み。失われた風景に色が宿る瞬間を切り取った絵に、俺の腕は震え始めていた。

 感慨深い気分に浸りながらメモを開いた瞬間、俺は何かの間違いかと思った。胸に突き刺さってきた言葉は、芹那の強気からは想像できなかった。

『秋人、色々とありがとね。お礼にこの絵を送ります。いつか話してた太陽の意味なんだけど、答えは希望でした。それと、私の夢が叶って今度こそ秋人が真面目になったら、その時はまたここで、午前三時に会いましょう』

 芹那にしたらやけに長いメモだった。所々文字が滲んでいるのは、芹那の涙の跡だろう。そう考えたらなぜか涙が止まらなくなったが、清々しい気持ちにもなれた。

 メモを胸ポケットにしまい、絵を片手に俺は資材置き場を後にした。もう二度とここに来ることはないだろう。芹那が残したメモの意味は、互いに本当の道へと歩んだら、午前三時の世界をさ迷うことはないということだった。

 それはつまり、芹那なりのさよならだった。最後に芹那が俺にくれたのは、失われた風景を照らす太陽だった。

 そう考えると、芹那との出会いは夢だったように思えてきた。世界が薄霧に滲む午前三時に現れた不思議な女子高生。妙な奴だったが、俺は確かに芹那に出会い、大切な何かをやっと見つけたような気がした。

 見上げた空には、雲間から消えかけた月が覗いている。空から射し込む淡い光が、街並みを静かに照らしていた。


 ――答えは希望、か


 芹那の言葉を思い出し、一頻り馬鹿みたいに笑い声を上げた俺は、今まで何度も決意しながらもできなかったことを改めて胸に誓うと、川に向かってマイナスドライバーを思いっきり投げ捨てた。

 静寂の中に響く水の音。これまでの人生に区切りをつけた俺は、朝日を待ちわびるかのように明るくなり始めた町並みに向かい、転がり落ちてきた坂道を上るかのように歩きだした。

 ~了~