翌日の土曜日、家のソファーに沈みこむように座りながら、私は天井を見ていた。
“彼女”……。
昨日先輩に言われた言葉を頭の中で繰り返しては、「うーん……」と唸る。私と付き合っているという噂が広まれば、藍川先生との噂が薄れて、いずれ消滅するだろうという算段らしい。
そもそも藍川先生との噂が広まっているのかどうかさえ確かじゃないけれど、自分が先輩にそう発言したのが引き金だから始末が悪い。先輩は藍川先生を守るために、すでに臨戦態勢だ。
『ただの疑似交際だし、そんなに構えなくていいから』
先輩はそう言った。けれど、私がなかなか首を縦に振らないままバスが来てしまって、
『とりあえず、来週火曜日までに覚悟を決めておいて』
と、引き受けること前提で言い渡されている。
「疑似交際って……」
実際、どういうことをすればいいのだろうか。そもそも交際経験のない私には、未知の世界だ。面倒なことになったなと、ため息がもれる。
「ただいまー」
そのとき、お母さんが買い物から帰ってきた。すると、ラグの上で寝ていた小型犬のモコがしっぽを振りながら出迎えに行く。
「おかえり」
「あら? 澪佳、モコの散歩に行くって言ってなかった?」
ダイニングテーブルにエコバッグを広げたお母さんが聞いてきた。土日の予定のない日は、私がモコの散歩を担当している。
「うん。今から行くよ」
立ち上がって伸びをした私に、
「最近、散歩中にモコがなぜか走りたがるのよね」
と、冷蔵庫に食材を入れながら言うお母さん。
「……へぇ、そうなんだ」
「澪佳、無理はしなくていいからね」
「わかってるよ」
互いに横顔同士で話し、私はモコの散歩の準備に取りかかった。
こういう会話をするときに、ふたりともなんとなくよそよそしいのには理由がある。過去……私が手術後に起こした、いくつかの発作のせいだ。
「じゃあ、行ってくる」
「行ってらっしゃい。気をつけてね」
リードを握りながら外へ出た私は、さっきとはまた違うため息をついたのだった。
「ねぇ、荘原マネ、知ってる? 九条先輩と藍川先生の噂」
部活の休憩中、絆創膏を取りに来た北見さんに耳打ちされ、私は絶句する。今日は月曜日で部活に九条先輩は来ていないけれど、無意識に先輩の姿が近くにないか確認するほど動揺してしまった。
「な、なに……? どういう噂?」
「なんかね、ふたり、付き合ってるらしいよ。九条先輩が高2のときに藍川先生から手を出して、大人の関係が始まったんだって。本当かな?」
北見さんは、わざとらしく藍川先生へちらりと視線をやった。リングの下にいる先生は、男バスの数人と話をしている。その無邪気で楽しそうな様子からは、“手を出す”だの“大人の関係”だの、まったく似つかわしくない。
私は尾ひれの付きまくっているその噂に、額を押さえてうなだれるほかなかった。今、北見さんにだけ“それは違う”と説明することにどれだけの意味があるのだろう。というか、私が説明する信憑性自体も薄い気がする。
と、そのとき。
「荘原、はい!」
反対方向から、なにか冷たいものを頬に押し当てられる。見ると、政本君がレモンティーの缶ジュースを持っていた。
「リストバンドのお礼」
そう言って私に手渡した彼は、爽やかに去っていく。
「…………」
一瞬、ポーッとして彼の後ろ姿を見つめてしまっていた。だって、本当に嬉しかったからだ。
「なんか、青春て感じ……」
けれど、すぐ横でそう呟いた北見さんの言葉にハッと我に返った。べつに非難されたわけじゃないのに、責められたような気持ちになる。そして、ちらりと根津さんを確認し、こちらを見られていなかったことに安堵した。
だから、なんで私がこんな申し訳ない気持ちにならなきゃいけないんだ。
「なんていうか、政本って罪作りなヤツだよね。真梨香もああいう優しいところにコロッていったみたいだし」
「え? あ、あぁ……ハハ」
「荘原マネもあんなことされたら、好きになっちゃうじゃんね?」
……なんだろう。もしかして北見さんも政本君のことが好きなんじゃないかと疑ってしまいそうな牽制だ。悪気はないのだろうけど、好きになるなと言われているみたいで動悸が激しくなる。
「な、ならないよ。なるわけない。ほら、私、他に好きな人がいるし」
「そっか、そうだったよね」
「そうだよ、ハハ」
私は、ここ最近で一番の作り笑顔をしていた。頬が引きつって、痛い。
「ていうか、いい加減誰なのか聞きたいなー。荘原マネって、秘密主義なの?」
「そういうわけじゃないけど……」
政本君だから、言えないというだけで。
「怪しいなぁ。言えない人ってことは……あ! もしかして、九条先輩と藍川先生みたいに、先生とできてたり……」
「北見さん」
押しの強い北見さんに、私は思わず口を開いて制止した。そして、自分でも驚くほど流暢に嘘をつく。
「実は、私の好きな人、九条先輩なの」
「……えっ?」
北見さんは、ぎょっとした。口走ってしまった私は、すでに乗りかかった舟だと、生唾を飲んで覚悟を決める。
「ていうか、九条先輩と付き合ってるのって、私なんだよね」
「展開、早……」
次の日、火曜日のバスの待ち時間。バス停に着いていつもどおりベンチの端っこに座った途端、先に座っていた九条先輩がぼそりと呟いた。組んだ足で頬杖をつきながらこちらを見ている先輩に、私は「ハハ……」と力なく笑う。
今日の帰り際、女バスの数人が九条先輩に何やら尋ねに行っているのが見えた。先輩のこのご様子を見るに、きっと、私と付き合っているのは本当なんですか、とかなんとか聞かれたのだろう。
「これは……“すみません”て言うところでしょうか?」
「……いや、ドウモアリガトウ」
めちゃくちゃ棒読みで不本意そうだ。そうだろう、もともと九条先輩は女子たちのそういうノリが嫌いっぽいからだ。でも、藍川先生のために疑似交際を始めたら、遅かれ早かれこうなっていた。だから、必死で女子高生のひやかしにも耐えたのだろう。
私だって、言ってしまった後で自分で自分に驚いた。でも、咄嗟に一石二鳥だって気付いてしまったんだ。これで、私は政本君のことは何とも思っていないと、北見さんにも根津さんにも証明できたはずだからだ。
目の前を、いつものように他の部活帰りの生徒たちが通り過ぎていく。それをぼんやり見送った先輩は、ちょっと考えるような仕草をして、
「こっち来れば?」
と言った。
「え? なんでですか?」
「付き合ってるなら、こんなに離れてるのおかしいから」
たしかに、人ふたり分離れているこの距離は、恋人同士としてはおかしい。でも、なぜ私が寄らなければいけないのだろうか。先輩が立ってこっちにくればいいのに。
「……はい」
でも、そんなことは言えない。いまだに先輩に対して恐れ多いという気持ちが抜けないからだ。
先輩の隣に座りなおした私は、もっとそれを意識することになった。背が高いということはもちろん、九条先輩独特のオーラというか圧を間近に感じるからだ。肩が触れそうな距離感に、怖さと恥ずかしさ二種類の緊張がないまぜになる。
「すぐに噂が広がってくれるとは思うけど、しばらくは交際しているていでいたほうがいいだろうし」
「……はい……いっ?」
ふいに手を握られて、私は背筋を伸ばした。私より少し体温の低いその大きな手は、私の手を覆うように包んでいる。突然のことに、そして初めてのことに、心臓が縮み上がった。
「ご協力ありがとう」
「……いえ」
こちらにも利があるんです。というのは、内緒にしておく。
「しばらくのお付き合い、よろしく」
「……はい。よろしくお願いします」
この密着度とは反比例する他人行儀。私は無意識に生唾を飲みこみ、やはり判断を早まったかもしれないと少し後悔した。
「おつかれ」
「おつかれさまです」
「はい、手」
「……はい」
火曜日と金曜日、バス停での会話の始まりはほぼこれになった。九条先輩の真横に座って、手をつないで話す15分間。
最初は挙動不審だったし、手汗やら肩が触れることやら気にしていたけれど、徐々に慣れはじめてきた。緊張は完全には解けないものの、会話も普通に続くようになったし、先輩の口数も増えてきたように思える。ほぼ、バスケ部の話なのだけれど。
ある日は……。
「女子バスケ部、人数やばくない?」
「去年は多かったんですけどね、ひとつ上の先輩たちが引退してからぎりぎりです。それに、この春、3年がひとり抜けちゃって」
「あとひとり欠けたら、試合出れないでしょ」
「はい。1、2年生を勧誘中です」
また、ある日は……。
「なんか、みんな同じリストバンドしはじめたけど、あれ部費で買ったの?」
「そうです」
「へー、俺にはないの?」
「いいですよ。500円くだされば」
「金取るんだ」
またまた、ある日は……。
「強化メニューを加えようと思うんだけど、見てくれる?」
「はい。うん……すごくいいと思います。テクニック磨きに偏ってる人が多いので、これでスタミナがつくはずです」
「あと、1年のゴール下の動きがまだ……」
「わかります! とくにこの場合の……」
部員ではなく、第3者目線であるコーチとマネージャーだからだろうか、私と九条先輩のバスケ話は、とりわけどうしたらチームがよりよくなるかという話題で盛り上がった。
「それでですね、今度の練習試合の日には……」
疑似交際開始から2週間経ったその日も、例のごとくバスケの話をしていた。けれど、夜7時過ぎの薄暗さの中、いつもはここを通らないはずの人が、目の前を通り過ぎざま立ち止まり、私たちは会話を止める。
「あ……おつかれさまです」
それは、政本君だった。
「おつかれ」
九条先輩が短く返すと、政本君の目が私と九条先輩の真ん中に落とされる。それがつないだ手だと気付いた私は、無意識にパッとその手を剥がしてしまった。
「おつかれさま! まだ帰ってなかったんだ? ていうか、珍しいね、こっち通るなんて」
そして、いつもより早口で尋ねてしまう。
「あぁ、うん。友達と話してて出るのがちょっと遅くなって。あと、コンビニに寄って雑誌買おうと思ったから」
「そうなんだ! ハハ……」
私と政本君が喋っていると、隣から視線をチクチクと感じた。九条先輩が、意味深な目で私の横顔を見ているのがわかる。
「ていうか……マジなんだな、噂」
「……え?」
「荘原と先輩」
「……あ、あぁ……」
ツキンと、胸のどこか深い場所が痛んだ。でも、違うと言うわけにはいかない。私は、自分に言い聞かせるようにゆっくり頷いて見せる。計画どおり私たちの噂は広まっていて、それは喜ばしいことなのだと自分を納得させながら。
「へー……そっか。それじゃ、お邪魔しました。失礼します。じゃーな、荘原」
「うん、バイバイ」
政本君がいなくなると、バス停はしんとなった。向かいの小さな公園の外灯が、一度消えかけて、またパッと点く。
離した手……またつなぎなおしたほうがいいんだろうか。なんとなく、今日はもうつなぎたくない気がするけれど。……でも、後になって考えると、咄嗟に離してしまって、ちょっと感じ悪かったかもしれない。
少し反省をしていると、先輩が鼻を鳴らす音が聞こえた。
「なるほど……政本か」
呟いた先輩を、私は瞬時に見る。先輩は顎をさすりながら、「ふーん」と小刻みに頷いていた。
「……なんですか?」
「いや? べつに」
先輩の、こういう余裕そうでお見通しっぽい態度が嫌だ。年上だから当たり前なのだろうけれど、少し小馬鹿にされている気がする。
「アイツにだけ、本当のこと説明する?」
「いえ、いいです」
「ホントにいいの? 誤解されたままで」
「いいんです」
少しムキになってしまうと、先輩がふっと噴きだした。
「じゃあ、手、つなぎなおす?」
「…………」
差し出された手を見ながら無言でいると、またもや小さく噴きだされ、
「いいよ、今日はもう」
と言われた。やはり、お見通しだ。私は照れ隠しで、ほんの少し口を尖らせる。
「そういえば、千早にも噂届いたみたい」
すると、先輩が思い出したかのようにそう言い、ベンチにのけぞった。
「そうなんですか?」
「うん、今日、釘を刺された。一応コーチなんだから、節度のある交際をしろって」
「節度……」
節度もなにも、本当に交際していないのだから、手つなぎ以上に進展しようもないのだけれど。
そんなことを思いながら先輩の顔を見ると、なんだか少し覇気がないように思えた。そして同時に、九条先輩が藍川先生へとたまに向けている、あの優しい眼差しを思い出す。
そういえば、先輩は、藍川先生のためにこんなことをしているんだったっけ。藍川先生が大事だから、彼女が白い目で見られないように。
でも、それって……。
「あの……九条先輩って、もしかして藍川先生のこと……」
「あ、バス来た」
九条先輩が声を出したその絶妙なタイミングに、うまくはぐらかされた感がぬぐえない。私は鼻でため息をつき、バッグを肩にかけながら立ち上がる。そして、
「ホントにいいんですか? 誤解されたままで」
と、さっき先輩にされた質問をし返した。
すると、先輩がふわりと笑った。それは今までとは違う、心を許したような顔に見えた。
「いいんです」
バスのエンジン音にかき消されそうだったその返事を聞き、私は互いの秘密を共有したような気持ちになった。核心的なことは言っていないけれど、きっと、私の予想は当たっているし、私の気持ちも先輩にはバレている。
「……それじゃ、おつかれさまです」
「じゃーね」
バスに乗りこみ、席に座った私は、先輩との関係を思った。
それぞれ他に好きな人がいるのに、バス停で15分間手をつないで会話するという、妙なパートナーシップ。そして、気持ちの成就を考えていないという共通点。
「……なんなんだろう、ホント」
このへんてこな関係に、私はふっと笑ってしまったのだった。
次の金曜日は、部活中は曇り空だったけれど、帰り際になってから急に土砂降りになった。先日梅雨入りが発表されてから折り畳み傘は常備しているものの、きっとバス停に向かうまでに、横雨で濡れてしまうだろう。
倉庫で最後の点検をしながら、体育館に打ちつける雨の音にそう思っていると、
「あんた、まだ残ってんの?」
背後からかけられた男の声に「わっ」と驚いた。この前は政本君だったけれど、今度は九条先輩だった。
「……はい。今日はバスケ部が最後だったんで、用具と照明の最後の確認をしてて」
「真面目」
九条先輩は鼻を鳴らし、つかつかと中に入ってきた。そして、おもむろに拭いたばかりのバスケットボールを手に取る。
「帰らないんですか?」
「雨がひどいから、千早が送ってくれるって」
九条先輩はボールを弾ませながら、倉庫から体育館へと出る。
「……よかったですね」
そして私がそう言うと、振り返り、
「あんたも一緒。バス停同じだって話したら、まとめて送ってやるって」
と言った。
「え? いや、そんな、悪いですよ。私、傘持ってるし」
「いいんじゃない? 彼女なんだから。千早もそれわかってて言ってくれたんだろうし」
「……彼女……」
微妙な気持ちだ。九条先輩は藍川先生が好きだというのに、どういうつもりで話しているのだろうか。
「仕事済ませてくるから、ここでしばらく待ってろだって」
「……わかりました」
九条先輩は、待ち時間を潰すためだろうか、そのままドリブルをして軽やかにレイアップシュートを決めた。私はそれを見て、あいかわらずきれいな動きだな、と感心する。
「はい」
すると、シュッとこちらへボールが飛んできた。驚きながらもキャッチした私は、
「え?」
と言ってたたずむ。
「1対1(ワンオンワン)」
「や、私は……」
「暇つぶしに付き合ってよ」
そう言うや否や私のボールを奪いにきた先輩。その顔が眼前に来て、私はとっさに先輩の伸ばされた手をかわした。体勢を低くして、ひらりと体を翻す。
「やるね」
九条先輩が面白そうに口角を上げた。私は、気付けばドリブルをしていた。もうずいぶんやっていないのに、体がバスケを覚えている。
「みんなのプレーを毎日観察してるからだと思います」
「見るのとやるのじゃ違うだろ」
たしかに全然違う。その証拠に、うまくできたと思った途端、ボールが手から離れていた。九条先輩に取られたのだ。そして、そのまま一気にシュートを決められる。
「…………」
私は、毎日片付けでボールに触れているというのに、それとは全く違う感覚の残った手を見た。ピリピリとした重い感じが手のひらから腕を伝い、心臓まで届いているかのようだ。さっき、たしかにボールと一緒に私の心も弾んでいた。見るのとやるのじゃ、興奮も段違いだ。
「も、もう一回……」
気付けば、私はそう言っていた。九条先輩は、何も言わずにまたボールをパスしてきて、私優位にゲームを始める。
もう、大きな雨音も聞こえなくなっていた。何度もミスしたり取られたりしつつも、ひとつのボールを追いかける楽しさに夢中になる。そして、最後になってようやく、私はスリーポイントシュートを決めることができた。
「……やった!」
入った……。その声は、声になっていなかった。久しぶりにこんなに息が切れているからだろう。それよりなにより、嬉しさが半端ない。リングネットにボールが入った気持ちいい音が、何度も耳にこだましている。
「やっぱり、いいフォームじゃん」
全然息の切れていない余裕そうな九条先輩が、私のシュートフォームを真似て言ってきた。私は、瞬きを繰り返しながら、なんて言ったらいいのかわからずにたたずむ。“やっぱり”が2年前にかかっていることに気付いたからだ。
それよりなにより、自分の心臓の音がこんなにけたたましく打っているなんて、いつぶりだろうか。体を動かすことがこんなに面白かったのも、いつぶりだろうか。
「やればいいのに、部員として」
先輩にそう言われたことで、耳に大雨の音が戻ってきた。コート内だけのキラキラした世界だったのが、薄暗いいつもの体育館に元通り。急に現実に戻されたかのようだ。
私は胸に手をあてて息を整えながら、
「……いえ、それは無理です」
と答えた。
「もう3年で、今さらっていうのもあるし、それに……」
「“体が弱いから”? だったっけ?」
「……はい」
「今、めっちゃ動けてたのに?」
九条先輩はそう言って、ポンと一回ボールをバウンドさせた。その音が体育館の隅々にまで反響したことで、急にこのだだっ広い空間にふたりきりだということを意識させられる。バス停でのふたりきりとは、空気が違っていた。
しばらく押し黙っていた私は、「あの……」と言い淀んでから、また口を開きなおす。
「先輩と一緒です。短時間ならいいけど、試合とかってなると別っていうか。激しく動き続けたり、たくさん走ったりできないんです。発作が出るっていうか……過呼吸になることがあるので」
「発作? 持病持ちっていうこと?」
「……いえ、小学校のときに手術をして、もう完治はしてるんですけど」
先輩は普通に疑問を投げかけているだけなのだろうけれど、問い詰められているようで後ろめたい気持ちになる。わずかにかいていた汗が冷え、背筋が冷たい。
「よくわからない。どういう意味?」
「……私もわかりません。発作が出るたびに病院に行くんですけど、お医者さんもわからないって。健康体だし、なんの問題もないはずって毎回言われます」
「精神的なヤツ? 自分で心当たりとかあるの?」
質問が矢継ぎ早に飛んできて、ひるみそうになる。
「えっと……フラッシュバックのひとつっていうか、発作が出たときの息苦しさを思い出しちゃって、逆に発作を誘発させているのかもしれません。それが怖いし、みんなにも迷惑かけちゃうので、クラスマッチとか体育祭の団体競技も見学させてもらってます」
「へぇ……」
こういうふうにちゃんと説明したのは初めてだったから、少し声が上擦ってしまった。先生や友達には、“体が弱くて発作が出るから”と、おおまかにしか言っていなかったし、触れてはいけない話題のように思われているのか、深く追究してくる人もいなかった。
「てかさ、この前、あんたが犬の散歩してるとこ見たんだけど」
「え?」
「河川敷のあの長い一本道、けっこう走ってなかった?」
「…………」
見られていたんだということに驚き、そして言い当てられていることに動揺する。たしかにこの前の散歩のとき、モコに引っ張られ、早くはないものの、けっこうな距離を走った。そして、それはその日に限った話ではない。
私は、無意識にジャージのポケットに手を入れ、ハリネズミのストラップを探していた。部活中はいつも、バッグからジャージのポケットに移しているからだ。けれど、今日はバッグの中に入れたままで、手元にない。そのことで、いっそう胸の奥がザワザワと落ち着かなくなる。
「あぁ……ハハ、あのときは大丈夫で……」
「大丈夫なときと大丈夫じゃないときがあるってこと?」
「……たぶん」