9
二軒目でヒットした。
神須屋に連れられて訪れたビルの地下にあるバーだった。照明は絞られており、落ち着いた雰囲気だ。バーテンダーが酒を作るカウンターの奥にはいくつもの琥珀色の酒瓶が行儀よく並んでいる。
神須屋が一歩足を踏み入れた瞬間、バーテンダーと客たちの視線が一斉に集まった。その中で、唯一壁に向かって酒を飲み続けていたのが黒川だった。
「おい、てめえ黒川鷹臣だな」
神須屋は視線をものともせず、奥の席でグラスを傾ける黒川の肩を掴んだ。黒川は鬱陶しげに神須屋を睨みあげた。
「……んだよ、オッサン」
「てめえに話がある。外場唯人のことでな」
黒川の顔色が変わった。席を立とうとするのを神須屋が押し留める。肩を押さえる手の関節が白く浮いていた。
不自然なほど愛想のいい笑顔を作って、神須屋は黒川の目を覗きこんだ。
「オッサンに教えてくれるか? お前がどんなふうに唯人を殺したのか」
「ち、違う!」
黒川が慌てふためいて両手を振る。そこで花彌子が神須屋の後ろから顔を出した。
「別に私たちも、黒川先輩が犯人だと決めつけているわけではありません。何かご存知のことがあれば教えてほしいだけです」
黒川が少し生気を取り戻して、馬鹿にしたような目で花彌子を見る。
「お前は誰だよ?」
「二年三組の玖条花彌子です。先輩の飲酒現場を見てしまって、どうしたらいいのか考えている可愛い後輩ですよ」
「は!? なんなんだよ!?」
「騒がないでください。質問に答えてくれればそれでいいんですから。十七日の夜はどこで何をしていましたか?」
黒川は助けを求めるように辺りを見回した。しかし、神須屋が壁になるように視線を遮り、客たちはこちらの様子には気づかない。
花彌子と神須屋は無言で彼を見つめ続けた。やがて彼の肩ががくりと落ち、ボソボソと言葉を紡ぎ始めた。
「……十七日は、授業が終わってすぐ、ここに来た。酒を飲んでたんだよ。で、店が閉まるまでここにいた。たぶん、二時くらいまで」
「いつもそんなことを?」
「さすがにここまでじゃない。ただ、あの日は外場と派手にやり合って……」
花彌子は眉を上げた。確か目撃情報では、一月十日に揉めていたのが直近だったはずだ。
「どういう理由で?」
「決まってんだろ。俺の推薦取り消しのことだよ。あいつが教師にチクらなきゃ、俺は今頃……それで、まあ、あいつの持ち物をちょっと盗んでやろうとして……それが見つかって揉めたんだ」
神須屋の拳が握り締められる。それを押さえながら、花彌子は続きを促した。
黒川の話によるとこうだ。十七日の放課後、黒川が図書室へ行くと唯人の荷物が机の上に置いてあった。辺りにひと気はなく、唯人に嫌がらせをする絶好のチャンスだった。そこで黒川が荷物を漁っているところに唯人が来て争いになった……ということらしい。
「結局、黒川先輩は荷物を盗んだんですか?」
「いや、外場に見つかったからな。何も出来ずじまいだ」
「そういうことはこれまでにも何度か?」
花彌子の問いに、黒川は気まずそうに視線をそらした。
「答えてください」
「まあ……何度か。それに、部の仲間が因縁つけてたっていう話も聞いてる」
「最低。ゴミカス。人間のクズですね」
「るっせえな! てめえに何が分かるんだよ!!」
黒川が椅子を蹴立てて立ち上がり、花彌子の胸ぐらを掴もうとした。しかし、横合いから伸ばされた神須屋の腕に阻まれ椅子に戻される。
黒川は息を荒げ花彌子を睨みつける。好青年なスポーツマンの面影はどこにもなく、獣じみた形相で歯を剥き出しにしていた。
「確かに俺は酒を飲んだよ! だがサッカー部として実績も残した! 死ぬほど努力したんだよ! それが実って推薦も決まった。こっちは人生がかかってんだよ! それをあいつは……俺はあいつに頼んだんだ。何でもするから黙っていてくれって。それなのに、あいつはこっちの話を聞きもしないで、『許されないことをしたのだから、然るべき裁きを受けなければならない』なんて優等生面で……」
そこで黒川は花彌子と神須屋に視線を巡らせ、唇の片側を吊り上げてみせた。
「俺の人生をめちゃくちゃにしたんだ。死ぬのはふさわしい裁きだろ」
それは一瞬のことだった。凄まじい速さで神須屋の拳が黒川の顔面めがけて振り下ろされた。
だから、どうして花彌子がそれを止められたのか分からない。彼女は思考を振り捨てて必死に神須屋にしがみつき、もろとも床に倒れ込んだ。黒川はか細い悲鳴のような声をあげて椅子の上に丸まった。
「やめてください神須屋さん。一般人を殴るのは悪手ですって!」
「離せ! 俺はこいつを許せねえ。バラバラにして山に埋めてやる!」
「死ぬより生きる方がよっぽど苦しいですから! ゴミクズに相応しい人生をプレゼントした方がいいですって!」
花彌子は意図せず床に神須屋を押し倒したような形になっていた。すぐ真下に神須屋の血走った目や怒りに燃える体がある。たぶん、彼が本気を出せば花彌子は吹き飛ばされるだろう。そうしていないのは、まだ彼に理性があるからだ……と思いたい。
花彌子は言い含めるように諭した。
「私たちにとって大切なのは、唯人くんの死の真相を明らかにすること。それをこんな人間の最底辺のカスを殴ってスッキリしている場合ですか? もっと他にやるべきことがあるんじゃないですか?」
「……どけ」
唸るように言って、神須屋が身を起こす。馬乗りになっていた花彌子も立ち上がって、スカートの裾を手で払った。
「そういえば黒川先輩」
「ヒィッ、何だよ」
怯える黒川に、花彌子は笑いかけた。
「何で飲酒がバレたんですか? 店に出入りしているところを見つかりでもしました?」
「いや、部室でOBと飲んでて……」
「うわ、超馬鹿。救いようがないですね」
黒川は返事をしない。花彌子はもう一つ問いを投げた。
「唯人くんの荷物を漁ったと言っていましたが、その中に便箋はありました?」
「はあ? 便箋?」
黒川は眉を寄せ、腕を組んだ。
「ああ……あったような気がするが」
二軒目でヒットした。
神須屋に連れられて訪れたビルの地下にあるバーだった。照明は絞られており、落ち着いた雰囲気だ。バーテンダーが酒を作るカウンターの奥にはいくつもの琥珀色の酒瓶が行儀よく並んでいる。
神須屋が一歩足を踏み入れた瞬間、バーテンダーと客たちの視線が一斉に集まった。その中で、唯一壁に向かって酒を飲み続けていたのが黒川だった。
「おい、てめえ黒川鷹臣だな」
神須屋は視線をものともせず、奥の席でグラスを傾ける黒川の肩を掴んだ。黒川は鬱陶しげに神須屋を睨みあげた。
「……んだよ、オッサン」
「てめえに話がある。外場唯人のことでな」
黒川の顔色が変わった。席を立とうとするのを神須屋が押し留める。肩を押さえる手の関節が白く浮いていた。
不自然なほど愛想のいい笑顔を作って、神須屋は黒川の目を覗きこんだ。
「オッサンに教えてくれるか? お前がどんなふうに唯人を殺したのか」
「ち、違う!」
黒川が慌てふためいて両手を振る。そこで花彌子が神須屋の後ろから顔を出した。
「別に私たちも、黒川先輩が犯人だと決めつけているわけではありません。何かご存知のことがあれば教えてほしいだけです」
黒川が少し生気を取り戻して、馬鹿にしたような目で花彌子を見る。
「お前は誰だよ?」
「二年三組の玖条花彌子です。先輩の飲酒現場を見てしまって、どうしたらいいのか考えている可愛い後輩ですよ」
「は!? なんなんだよ!?」
「騒がないでください。質問に答えてくれればそれでいいんですから。十七日の夜はどこで何をしていましたか?」
黒川は助けを求めるように辺りを見回した。しかし、神須屋が壁になるように視線を遮り、客たちはこちらの様子には気づかない。
花彌子と神須屋は無言で彼を見つめ続けた。やがて彼の肩ががくりと落ち、ボソボソと言葉を紡ぎ始めた。
「……十七日は、授業が終わってすぐ、ここに来た。酒を飲んでたんだよ。で、店が閉まるまでここにいた。たぶん、二時くらいまで」
「いつもそんなことを?」
「さすがにここまでじゃない。ただ、あの日は外場と派手にやり合って……」
花彌子は眉を上げた。確か目撃情報では、一月十日に揉めていたのが直近だったはずだ。
「どういう理由で?」
「決まってんだろ。俺の推薦取り消しのことだよ。あいつが教師にチクらなきゃ、俺は今頃……それで、まあ、あいつの持ち物をちょっと盗んでやろうとして……それが見つかって揉めたんだ」
神須屋の拳が握り締められる。それを押さえながら、花彌子は続きを促した。
黒川の話によるとこうだ。十七日の放課後、黒川が図書室へ行くと唯人の荷物が机の上に置いてあった。辺りにひと気はなく、唯人に嫌がらせをする絶好のチャンスだった。そこで黒川が荷物を漁っているところに唯人が来て争いになった……ということらしい。
「結局、黒川先輩は荷物を盗んだんですか?」
「いや、外場に見つかったからな。何も出来ずじまいだ」
「そういうことはこれまでにも何度か?」
花彌子の問いに、黒川は気まずそうに視線をそらした。
「答えてください」
「まあ……何度か。それに、部の仲間が因縁つけてたっていう話も聞いてる」
「最低。ゴミカス。人間のクズですね」
「るっせえな! てめえに何が分かるんだよ!!」
黒川が椅子を蹴立てて立ち上がり、花彌子の胸ぐらを掴もうとした。しかし、横合いから伸ばされた神須屋の腕に阻まれ椅子に戻される。
黒川は息を荒げ花彌子を睨みつける。好青年なスポーツマンの面影はどこにもなく、獣じみた形相で歯を剥き出しにしていた。
「確かに俺は酒を飲んだよ! だがサッカー部として実績も残した! 死ぬほど努力したんだよ! それが実って推薦も決まった。こっちは人生がかかってんだよ! それをあいつは……俺はあいつに頼んだんだ。何でもするから黙っていてくれって。それなのに、あいつはこっちの話を聞きもしないで、『許されないことをしたのだから、然るべき裁きを受けなければならない』なんて優等生面で……」
そこで黒川は花彌子と神須屋に視線を巡らせ、唇の片側を吊り上げてみせた。
「俺の人生をめちゃくちゃにしたんだ。死ぬのはふさわしい裁きだろ」
それは一瞬のことだった。凄まじい速さで神須屋の拳が黒川の顔面めがけて振り下ろされた。
だから、どうして花彌子がそれを止められたのか分からない。彼女は思考を振り捨てて必死に神須屋にしがみつき、もろとも床に倒れ込んだ。黒川はか細い悲鳴のような声をあげて椅子の上に丸まった。
「やめてください神須屋さん。一般人を殴るのは悪手ですって!」
「離せ! 俺はこいつを許せねえ。バラバラにして山に埋めてやる!」
「死ぬより生きる方がよっぽど苦しいですから! ゴミクズに相応しい人生をプレゼントした方がいいですって!」
花彌子は意図せず床に神須屋を押し倒したような形になっていた。すぐ真下に神須屋の血走った目や怒りに燃える体がある。たぶん、彼が本気を出せば花彌子は吹き飛ばされるだろう。そうしていないのは、まだ彼に理性があるからだ……と思いたい。
花彌子は言い含めるように諭した。
「私たちにとって大切なのは、唯人くんの死の真相を明らかにすること。それをこんな人間の最底辺のカスを殴ってスッキリしている場合ですか? もっと他にやるべきことがあるんじゃないですか?」
「……どけ」
唸るように言って、神須屋が身を起こす。馬乗りになっていた花彌子も立ち上がって、スカートの裾を手で払った。
「そういえば黒川先輩」
「ヒィッ、何だよ」
怯える黒川に、花彌子は笑いかけた。
「何で飲酒がバレたんですか? 店に出入りしているところを見つかりでもしました?」
「いや、部室でOBと飲んでて……」
「うわ、超馬鹿。救いようがないですね」
黒川は返事をしない。花彌子はもう一つ問いを投げた。
「唯人くんの荷物を漁ったと言っていましたが、その中に便箋はありました?」
「はあ? 便箋?」
黒川は眉を寄せ、腕を組んだ。
「ああ……あったような気がするが」