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「このあたりには、グレートホーンの群れが出現したんだ」
心地よい休日。朝日が十分に高くあがり、燃えるような緑の草が一面に敷き詰められた丘がなだらかに続く。その先には深緑の葉をつけた針葉樹の森が見えた。
「あいつらは魔物の中でもとりわけ凶暴でね、パワーがある上に足も速いから、よく経験の浅い冒険者が犠牲になっていたよ」
でこぼこした一本道を進む馬車の音に驚いたのか、脇の草むらから美しい色の羽根をした小鳥が1羽飛び出し、それを追うようにもう1羽がさえずりながら飛び出した。
「あいつらに殺られた冒険者の死体はもう大変なことになっててね」
爽やかな風が、馬車の上に並んで座るアンナとバルカンを撫でていく。
「性別も分からないくらい…」
遂にアンナが言った。
「バルカンさん、そういう話続けるようなら、私、ホント帰りますよ」。

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二人は、朝早くに王都を出て、かれこれ2時間ほど馬車に揺られている。
王都から東の方角に広がる丘陵地帯を進んだその先、深い森との境目あたりにバルカンが希望した働き口があるのだが、今日は転職前の職場体験をするために、馬車でそこに向かっているのだ。
ちなみに、なぜアンナが付いてきているかというと、初めて求人募集を出した働き口には聖殿の職員がチェックを兼ねて必ず訪問するという決まりがあり、アンナは担当として、休日返上でその役を担うことになったのだ。

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「わたし、本当は今日、休みなんですからね」
「すまない。昔の事を思い出して、思わず…」
そう言ってバルカンは申し訳なさそうに頭を掻いた。
その姿を見て、バルカンはまだ冒険家を続けたいのだなと、アンナは思った。
聖殿で会った時や、今朝王都を出発した時までは、どちらかと言えば寡黙だったのだが、丘陵地帯に入ったあたりから、やれ大サソリだ、やれコカトリスだと、冒険譚が止まらないのだ。
この景色の清々しさにそぐわない血生臭い冒険譚に、「そういった話題を止めて欲しい」と15分前に頼んだアンナだったが、すぐにグレートホーンの話がはじまったので、むしろいまだ現役の冒険者であるバルカンのことを、面白く、そして少し可哀そうに感じ始めた。
かといって、さすがにグレートホーンによる死体損壊の話の続きを聞きたい気持ちには少しもならなかったので、別の話題を振ることにした。
「ところで、その爪、いつも身に着けてるんですか?」アンナは、バルカンが拳に装備した破邪の爪を指さして言った。
破邪の爪は、長さ30cmほどの刃が両手3本ずつ、計6本付いた小手のような武器で、革製のベルトで手首のところで固定されている。
「ああ」
「もう魔物は出ないと思うんですけど?」
「この爪のような精霊の加護のついた武具は、常時使う必要があるのだ」
バルカンは爪を見つめて言った。
「使わずに放置すると、精霊が拗ねて力が薄れることがあるのだよ」
「へぇ、そうなんですね。知りませんでした」
加護のついた武具は、SSSクラスの冒険家よりも希少で、世界に50個ほどしかないといわれ、アンナも実物を見たのはこれが初めてだ。
「この爪は、聖属性の穏やかな気質なので大丈夫とは思うのだが、中には扱いが悪いと所有者を呪うものもあるらしい」
「それは怖いですね」
「こういった武具を使うには、力だけでなく、命をかける強い覚悟が必要ということだ」バルカンは馬車の外を見つめながら、そう言った。
アンナからバルカンの顔は見えなかったが、なだらかに続く丘陵の、さらに遥か先を見つめているようだった。
アンナはその後ろ姿をみて、ただ頷いくだけだった。その覚悟という言葉に「冒険者の道に生涯に命をかけた」の意味があることが分かり、返す言葉が見つからなかった。そして、少し考えてから言った。
「…ちなみに寝るときは、どうしてるんですか?」
「もちろん身に着けている」とうなずくバルカン。
「…じゃあ、お風呂は?」
「もちろん、風呂も」
アンナは「うわ、めんどくさ」と内心引いていたが、それをバルカンに気づかれないよう冷静な口調で返した、
「じゃあ、デカい斧とかじゃなくてよかったですね」
その言葉に、バルカンはうなずき、また遥かの先を見つめながら「ただ、辮髪を結うときはとても邪魔なんだ」と言った。
武闘家の道は色んな意味で過酷だな、とアンナは思った。